恋は青より出でて愛より青し


『せつなの放課後の時間をオレにくれるかい?』

 誕生日プレゼントに欲しいものがあったら教えてほしい。そんなせつなの問いに、返ってきたのがこの言葉だった。
 そして、一月九日。トーマの誕生日当日。授業が終わり下校の時間になると、ふたりはすぐに教室をあとにした。向かった先は学校から少し離れたところにあるコンビニ。トーマのリクエストで最後の一つとなっている肉まんを買い、近くの公園へと移動する。冬の寒空の下にはトーマとせつなの他には誰もいない。まるで世界にふたりきり取り残されたみたいだ、と思ってしまうほど静かだった。

「このあたりに座ろうか」
「ええ」

 空いているベンチに腰かけて、せつなは購入したばかりの肉まんを取り出した。熱がじんわりと、薄い紙越しに手のひらへ伝わってくる。それをどうしたらいいのかわからずに戸惑っていると「貸してごらん」とトーマが言うので、素直に渡す。トーマが肉まんを真ん中から両手で割ると、湿り気を帯びた白い湯気が立ちのぼった。トーマは薄い紙に包まれているほうの肉まんをせつなへと差し出し、ふわりと笑む。

「はい、どうぞ」
「ありがとう。でも、お誕生日のプレゼントがコンビニの肉まんでよかったの? しかも最後のひとつ……」
「いいの。寒い日に食べる肉まんは格別だからね。それに、最後のひとつをせつなと半分こして食べられるんだから、なおさら特別な気分だよ!」
「……トーマさんがそう言ってくれるのなら」
「うん! じゃあ、いただこうか」

 いただく、といってもどのようにしたらいいのだろう。せつなは手元でほかほかと熱を放っている肉まんに視線を落としたまま、しばし考え込んでしまった。手でちぎって食べるのか、それともかぶりつくのが正解なのか。
 ちらりとトーマのほうを盗み見ると、トーマは大きく口を開けると豪快にかぶりついていた。それはもう、見ていて気持ちのいい食べっぷりだった。
 まったく同じようにはできないけれど。せつなは小さく口を開けて、見よう見まねでかぷりと肉まんにかぶりついた。口の中に湿った熱気と肉汁がじわりと広がる。コンビニを利用したことは今までほとんどなかったが、思いの外美味しかった。

「うん! 美味い!」
「本当に美味しいですね。思っていた以上にふかふかです」
「もしかして、コンビニの肉まんを食べるのは初めて?」
「はい」
「そうか! せつなの初めてを共有できるなんて、ますます特別なプレゼントになったよ」

 確かに、とせつなは今までを振り返った。入学してから今まで、トーマに教えてもらったことはたくさんある。学校帰りに寄り道をすること。屋上で音楽を一緒に聴くこと。肉まんを半分こして食べること。そして――恋をするということも。それらは全てせつなにとって初めてのことで、どれもが『特別』になっていた。同じように、トーマが少しでもそう思ってくれているのなら……これ以上嬉しいことはない。

「あっという間になくなってしまいました。……残念」
「オレも。アハハッ! 美味しかったから仕方ないね。でも、確かに少し惜しいな」

 話をしながら食べていても、ひとつを分け合った肉まんはあっという間にふたりの腹の中へとおさまってしまった。それを残念だと口にすれば、同調された想いが返ってきたことにせつなは目を瞬かせる。ふたりは肉まんがなくなってしまったことを残念がっているのではない。この時間を切り上げてしまうのが惜しいのだと、同じ気持ちを抱えていた。

「そうだ。肉まんのお礼に飲み物を買ってくるよ。少しだけ待っていて」
「えっ? それなら、わたしが買いに行きます。トーマさんの誕生日なのだから……」
「いいから! これもオレを祝うと思って!ね?」

 そう言われてしまえば、せつなが強く引きさがる理由もない。ベンチへと押し戻されてしまったそのままの状態で、トーマが公園の奥へと走っていく後姿を眺めていた。
 街灯の下にひっそりと佇む自販機の前でトーマが立ち止まり、制服のポケットから財布を取り出しているのが見える。しかし、なかなかボタンを押すそぶりを見せず、なにやら考え込んでいるようである。まさかお金が足りなかったのだろうか。月末になると『今月はあと十モラしかない』と嘆いている姿をたまに見かけるのだから、ありえないこともない話だ。
 せつなは立ち上がりトーマの元へ駆け寄ろうとしたが、同時にガシャンという音が遠くから聞こえてきた。トーマは無事に飲み物を購入することができたようで、飲み物を両手に持ってせつなの元へと駆け戻ってきた。

「ただいま、せつな」
「おかえりなさ……い……?」

 トーマの両手におさまった飲み物のパッケージを見たせつなは、再び目を瞬かせた。見間違えでなければ片方は『おでん風味』と書かれており、もう片方は『蕎麦風味』と書かれている。

「トーマさん。それは……?」
「ごめん、せつな。もっと普通のあたたかい飲み物もあったんだよ。ココアとか、コーンスープとか。でも、好奇心に抗えなくて……っ」

 ああ、それであんなにも悩んでいたのかと、安心して思わず小さく吹き出す。大の大人に対して抱く感情ではないかもしれないけれど、それでもトーマのことを「可愛い」と思ってしまった。

「ふ、ふふふっ。そんなに神妙な顔をしないで。わたしも、それがどのような味か興味があります」
「ああ、よかった! でも、せめてせつなが先に選んでくれ。どっちを飲みたい?」
「では……こちらの蕎麦味をいただきます」
「それなら、オレはこっちのおでん味にするよ。せーので飲もう」
「わかりました」
「じゃあ、乾杯といこうか」
「ふふふ。はい」
「健闘を祈るよ」

 カツン。トーマは缶の蓋を開けると、せつなへと差し出した。缶を受け取り、パッケージをしげしげと眺める。書かれているのは蕎麦の文字。描かれているのは蕎麦のイラスト。どこからどう見ても、蕎麦の出汁缶だ。
 準備ができたトーマが目配せして「せーの」と合図を送る。それに合わせて、せつなは缶の縁に口をつけて液体をこくりと飲み込んだ。香りも、味も、想像以上にあたたかい蕎麦の出汁そのもので、思わずあたたかい息が零れる。

「美味しい……」
「美味い……」

 同じ感想が隣から聞こえてきて、互いに視線を絡ませてクスクスと笑う。それから、ふたりで他愛もない話をしながら過ごした。今度はあっという間に空にしてしまわないよう、少しずつ、少しずつ、せつなは缶の中身を口にしていた。
 それでも、終わりは訪れてしまう。いつの間にか缶の中身はほぼ空になり、陽は傾き風が冷たくなってきた。帰る時間も、明日の授業のことも、宿題のことも、全部忘れたことにして、この時間がもっと続けばいいのにと思ってしまった。
 話を切り出したのは、トーマだった。

「せつな。今日はオレの我が儘を聞いてくれてありがとう」
「そんな、我が儘なんて思っていないわ。本当ならもう少し特別なことをしてお祝いしたかったけれど」
「言っただろう? オレにとっては十分特別だよ。でも、そもそも誕生日が特別である必要はないんだ」
「と、言うと……?」
「豪華なプレゼントがなくてもいいし、飾り立てられた言葉がなくてもいい。家族や友達、そういった大切な人たちと一緒に楽しい時間を過ごすことができたら、それだけでオレにとってかけがえのない一日になる」
「トーマさん」
「だから、ありがとう。せつなとこうして過ごして、笑顔を見られたこと。それが何よりも嬉しいプレゼントだよ」

 本当に、どこまでも眩しい人だ。トーマがせつなに向ける明るさには一つの曇りもなく、本心から紡がれる言葉には何の下心もない。だからきっと、こんなにも――惹かれてしまうのだろう。

「風が冷たくなってきたね」
「そう、ですね」
「もう飲み終わった?」
「……いいえ。もう少し、入っています」

 嘘をついてしまったことを、トーマは気づいているだろうか。せつなが持っている缶の中はとっくに空になっている。でも、少しでもこの時間が続くようにと、缶の縁に口をつけて中身が入っているような振りをする。自分にこんな子供じみた一面があるなんて、知らなかった。知ってしまったら、トーマは呆れるだろうか。

「せつな」

 見透かされるように名前を呼ばれて心臓が跳ねた。この鼓動が聞こえていませんようにと願いながら「なんでしょう?」と首を傾げる。

「もう少しだけ、我が儘になってもいいかい?」
「はい。わたしに叶えられることなら」
「これから一緒に神里家に来てくれるかい? 毎年のことなんだけれど、若とお嬢がオレのためにパーティーを開いてくれるんだ」
「えっ!? 神里家のパーティー!?」
「ああ、そんなに厳かなものじゃないから大丈夫。ふたりはオレのことをよく知ってくれているからね。三人で鍋遊びを楽しむささやかなパーティーさ。よかったら、そこにせつなも来てくれたら嬉しい。遅くなるかもしれないけれど、帰りはオレが送るからさ」
「そんな……家族水入らずのお祝いに、わたしが行ってもいいの?」
「もちろん! 鍋遊びの準備をするのはオレだし、そもそも主役のオレが招待するんだから大丈夫。それに、せつなならふたりも大歓迎だ」
「それなら……ぜひ」
「ありがとう! じゃあ、早速行こうか」
「あっ、待ってください。大切な贈り物を忘れていました」

 ――あなたのことが好きです。
 その言葉は、今はまだ秘めて。こんな感情を教えてくれた眩しくあたたかいあなたに、心からの祝福の言葉を贈らせてほしい。

「トーマさん。お誕生日おめでとうございます!」



(鼓動/世界に二人きり/全部忘れた)2024.01.09





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