風花の箱庭

 籠の中の鳥が不幸だと決めつけたのは、いったい誰が始めだったのだろう。
 飛びかたを忘れてしまったと歌った吟遊詩人? 空を見上げるだけで世界を知らないと描いた絵本作家? 娯楽のために飼い鳥の美しさを競う貴族?
 もしかしたら、望んで籠の中にいる鳥だっているかもしれないというのに。

 風と自由の国・モンドの中心となる城壁都市――モンド城。城壁に囲まれた街の中には、活気溢れるモンドの人々が暮らしている。
 街の治安を守っている西風騎士。額に汗を滲ませて鉄を叩いている鍛冶屋。アイテムを調合する錬金術師。柔らかな微笑みを携えた花売りの少女。明るい声で人を引き付ける飲食店の店員。人々の悩みを聞く優しい西風教会の牧師。
 様々な人たちが自分の役割を全うし、モンド城という世界を動かしている。自由の国であるモンドが受け入れているのは人間だけではなく、獣人はもちろん、エルフやホムンクルスといった種族すら、なんの偏見に晒されることなく生活を送ることができている。

「カナリー!」

 そんなモンド城に住んでいるとある少女は、石畳の上を軽やかな足取りで歩いていた。鮮やかな金の髪を持つ少女――カナリーの元に明るい声が降ってきて、彼女は足を止めて顔を上げる。そこにいたのは栗色の髪に兎の耳のようなリボンをつけた少女――西風騎士団の偵察騎士、アンバーだった。アンバーは石階段の一番上から大きく手を振ると、一段飛ばしにカナリーの元まで駆け下りてきた。

「アンバーちゃん。こんにちはっ! 相変わらず元気いっぱいだね」
「カナリーこそ。もうすぐブリーズブリュー祭が始まるけど、忙しくやってるんじゃない? 確か、おうちで野菜を育てていたよね?」
「うんっ! 採れたお野菜を使ってブリュー祭で露店を出すつもりなんだぁ。パパとお姉ちゃんは相変わらずいろんなところを飛び回っているから、私くらいママのお手伝いをしないとね!」
「あ、そっか。カナリーのお父さんとお姉さんは冒険者だっけ」
「そうだよ!」

 カナリーは弾むように明るい声で、楽しげに家族のことを語った。冒険者協会に所属する父と姉。それから、小さな畑で野菜を育てている母とカナリー。これがラークスパー家の家族構成。どこにでもある一般家庭だ。
 アンバーに話した通り、カナリーの父と姉は冒険者協会の依頼をこなすためにモンド各地に赴いており、家を空けている時間のほうが長い。母は母で、のんびり自分のペースで好きな野菜を育てて売り、家計の足しにしている。それぞれが好きなことをしている自由な家族だ。家族四人が顔を合わせることは決して多くはないが、カナリーは自分の家族を気に入っていた。

「そういえば、アンバーちゃん。私に何か用事? 少し前に西風騎士団の人たちが本部のほうに走って行ってたから、何かあったのかと思ってたけど」
「そうそう! そうなの! あのね、カナリー!」

 思い出したとでもいうように、アンバーはパチンと両手を叩いた。そして、興奮気味にこう告げたのだ。

「ミカが帰ってきたんだよ!」
「ミカ……って、え?」
「ミカ! カナリーの幼馴染みのミカ! 半年前に遠征隊に引き抜かれてからずっとモンドに戻ってなかったけど、ファルカ団長の手紙を本部に届けに戻ってきて、それで……って、いない!?」

 アンバーの言葉を聞き終えるよりも早く、カナリーはその横を風のように走り抜けていった。スカートが靡くのも構わずに、石階段を一段飛ばしで駆け上がる。目指すのは、アンバーが話していた西風騎士団の本部だ。
 彼と最後に会ったのは半年前だ。たった半年、とは言い難いくらい長い空白を過ごしていた気がする。背は伸びただろうか? 自分のことを覚えているだろうか? 少しの不安以上に、再会の喜びがカナリーの胸に押し寄せてくる。
 その感情は本部前にいた一人の少年の姿を目にすると爆発して、笑顔として現れた。

「ミカくんっ!」

 カナリーとよく似た色鮮やかな金髪の毛先は焦げ茶色に染まっており、ところどころ明後日の方向に跳ねているのを後ろで小さく一つにまとめている。まだあどけなさの残る紺碧色の瞳には小さな蒲公英色が差し込み、まるで夏の青空に浮かぶ太陽のようだ。
 胸元に西風騎士団の紋章を身に着けている少年――ミカの手をぎゅっと握る。ミカは大きな目をさらに大きく真ん丸に見開き、どこか狼狽えた様子でカナリーを見つめた。

「ミカくん、久しぶり!」
「え、えっと……えっ? もしかして、あなたは……」
「カナリーだよっ! ミカくんの幼馴染みのカナリー・ラークスパー!」
「っ、本当に……?」

 カナリーの名前を聞くと、ミカはようやく肩の力を抜いて微笑んだのだった。
 ミカとカナリーは噴水の前に場所を移動した。噴水の脇に腰を下ろすや否や、カナリーは前のめりになりながらミカへと矢次に質問を繰り出した。

「ミカくん、遠征から帰ってきたばかりなんでしょう? 疲れてない? 怪我してない?」
「は、はい。僕は大丈夫です。心配しないでください」
「そっか。よかった!」
「あ、あの。本当にカナリーちゃん、なんですよね……?」
「本当だよっ! しばらく会わないうちに忘れちゃったの?」
「い、いえ、そんなこと! ただ、雰囲気が変わっていたからわからなくて……僕が遠征隊に入ってモンド城を離れたとき、カナリーちゃんは髪をまとめていたし、服装もスカートじゃなかったし、踵の高い靴もはいていなかった、でしょう?」

 そういえばそうだった、とカナリーは自分の服装を見下ろしながら当時のことを思い出した。
 確かあの頃は、動きやすさを重視して髪をお団子にまとめていた。今のようにワンピースを履くことはなく動きやすいパンツスタイルばかりで、足元もヒールの低いしっかりとしたブーツをはいていた。それが今や、髪を長く腰まで伸ばし二つに結っている。ワンピースとヒールのある靴は動きやすいとはいいがたいが、可愛らしいデザインで気に入っているところだった。

「女の子がおしゃれをするのはダメ? 長い髪と、スカートやヒールは似合わない?」
「そ、そんなことないよ! ただ、ちょっと驚いただけで、その、すごく似合ってる」
「よかった! それに、昔みたいな口調に戻ってくれた!」
「あ……騎士団ではずっと敬語で話しているから、つい」
「ねっ! 昔みたいに呼んでほしいな?」

 ねだるように首を傾げ、同じ高さにあるミカの瞳をじっと見つめた。する人によっては計算高く媚びるように見える仕草も、天真爛漫を絵に描いたような性格を持つカナリーがするとなんの企みも見当たらない。

「うん。カナちゃん」

 カナちゃん。幼馴染みのミカだけが呼ぶカナリーの愛称。アンバーのように親しい女友達からもあだ名で呼ばれることはない、ミカだけの特別な呼び方。
 ようやく昔の二人に戻れた気がして、カナリーは締まりのない表情を戻すことができずにいた。すると、小さく囀るようにミカが笑った。

「カナちゃんこそ、僕の前なんだからずっと喋りっぱなしじゃなくてもいいよ」
「え? 喋ることは好きだよ?」
「うん。知ってる。でも、風を感じながらのんびりした時間を過ごすことも好きだよね?」
「……ふふっ。控えめなところは相変わらずだけど、ミカくんは昔から人を観察するのが上手いなぁ」

 控えめで実直な性格のミカは、昔から人の顔色を窺ったり、周りからどう見られるかを気にしたりしていた。臆病ともとれる性格だが、それが好転してミカは誰よりも他人の想いをくみ取ったり、そのときの最善を選んだりすることに長けていた。
 ふ、とカナリーは肩の力を抜いた。やっぱり彼の隣は落ち着いて羽を休めることができる、と。

「おかえりなさい、ミカくんっ」
「うん。ただいま、カナちゃん」

 これで本当に、幼馴染みとしての二人に戻れたのだ。

「ねっ。私のことよりもミカくんのことを聞かせて? しばらくモンドにいられるんでしょう?」
「うん。エウルア隊長の隊――遊撃小隊に復帰することになったんだ。だから、何かない限りモンドから離れることはないと思う」
「本当? 嬉しい!」
「それに、少しだけ休暇をもらったんだ。しばらくのんびり過ごすつもりだよ」
「じゃあ、ブリュー祭を一緒に回ろうよ! 畑で採れた野菜を使って、ママが手作りの料理を出品するんだぁ。久しぶりにミカくんの顔を見られたら、ママも喜ぶよ!」
「い、いいの? カナちゃんのお母さんの料理は美味しいから楽しみだよ」
「うんうん! あ。それから、モンドの地形が変わったところがないか調べにいきたいんでしょ?」
「えっ!? ……カナちゃんにはお見通しなんだな」
「だってミカくんの幼馴染みだもの! 一緒に行こう! なにかあったときのために、私がついていないとね!」
「あはは、ありがとう」

 ミカとは対称的に、カナリーは積極的で困っている人を放っておけない性格だった。幼いころはミカが他の子供と遊べるように仲裁に入ったり、言いたいことが言えないミカに代わって手を引いたりしたものだ。
 ミカの性格はあの頃のままだ。ならばやはり、自分が一緒にいて手を引いてあげないと。カナリーは当たり前のようにそう思っていた。

「僕、いったん本部に戻るよ。報告することとか、確認することが残っているんだ」
「あ、そっか。引き止めちゃってごめんなさい」
「う、ううん。カナちゃんと話せてよかった。僕が遠征していた間のこと、またゆっくり聞かせてね。それじゃ」

 手を振るミカの右手。グローブの甲の部分に、沈静な光を放つ神の目が見えた。ミカが遊撃小隊に入って間もないころに授かったとされる、氷の神の眼差しを受けた証。当時のことをミカはよく覚えていないと言っていたが、神の目を授けられたという事実だけでカナリーにとってはミカという人物が少し遠くに行ってしまったような、当時はそんな気持ちになったことを思い出した。
 カナリーは空を見上げた。街を守っている堅牢な城壁よりも高く、遠く、広がっている空はまるで吸い込まれてしまいそうなほどに青い。数多の人間が未知なる空に憧れるように、カナリーもかつてはその青に見入ってしまった一人だったが、それも昔の話だ。

「私はずっと、鳥籠の中で暮らしているよ」

 だって、ここにいれば安全だ。痛い思いをすることも、迷子になることもない。もう二度と、傷付くことはないのだから。



2023.04.19