キスしないと出られない秘境に入ったら〜カーヴェの場合〜

 世の中には様々な秘境が存在することは知っている。迷路のように入り組んでいる秘境や、主を倒さなければ出られない秘境、難解なギミックを解かなければならない秘境など、その種類は星の数ほど存在する。
 カーヴェ自身、今まで様々な秘境や遺跡に遭遇してきた。そしてその度になんとか攻略し、自らの悪運の強さを証明してきた。
 しかし、そんなカーヴェですら遭遇したことがなかった秘境が、今、ここに在る。

「『キスをしなければ出られない』……? そんな馬鹿げた秘境があってたまるか!!」

 石板に刻まれた文字を読み上げたカーヴェは、あらんかぎりの声を張り上げた。
 キスをしなければ出られないなんて、そんな秘境、今まで聞いたことも見たこともない。カーヴェの大先輩である妙論派の偉人――ファルザンですら、遭遇したことがないと唸り声をあげるだろう。そんな確信すらあった。

「キスをしたら本当に出られるとして、判定基準はなんだ? 唇にしないといけないのか、それとも他の場所でもいいのか? キスする者同士の関係性は影響するのか? 説明が不十分すぎる!!」
「カーヴェ」

 ちょんちょん、と服の裾を引かれて振り向く。砂漠を横断していた最中、共に秘境に閉じ込められた恋人――リヴィアが不思議そうにカーヴェを見上げていた。

「しないの?」
「えっ? な、なにをだ?」
「キス。とりあえず試してみようよ」

 はぐらかす素振りを見せたところで、それが通用する相手ではなかった。カーヴェ以上に直球で、まどろっこしいことを嫌う。それがリヴィアという女性だ。キスをしてここから出られるのであれば、さっさとそうするべきだとリヴィアの顔に書いてある。しかし、カーヴェは複雑な気分だった。

「リヴィは、嫌じゃないのか?」
「なにが?」
「こんな形でキスをすることがだよ。だって、恋人同士のキスってもっとロマンチックなものだろう? 酒でも飲んで愛を語らいながら……」
「そういうの、今はいい。ここにとどまっていたらどんな危険があるかもわからない。出られる可能性があるのならさっさと試してみよう」

 カーヴェの言葉をバッサリと切り捨てると、リヴィアはさっさと瞼を閉じた。リヴィアの言葉はもっともだ。もっとも、なのだが。
 リヴィアに気づかれない程度に細いため息をついたあと、覚悟を決めたカーヴェは目の前の体を抱き寄せた。全く抵抗する気がなく、身を委ねきったその姿は、まるで据え膳だ。
 稲妻には『据え膳食わぬは男の恥』という諺があると聞いたことがある。リヴィアが覚悟を決めている……いや、本人にとっては大したことの無い問題なのかもしれないが……とにかく、恋人にここまでさせておいて躊躇うなど、意気地がないにもほどがある。
 唇を親指でなぞると、リヴィアの大きな耳が微かに震えた。うっすらと開いた唇に、自らのそれを重ねる。いつも口づけるときと同じように、その唇は柔らかく、あたたかい。思わず舌を差し入れそうになってしまう衝動を堪えながら、カーヴェは頭の中で素数を数えることで邪念を振り払おうとした。

 ――一分、いや、五分は過ぎただろうか。もしかしたらそれ以上かもしれない。それでも、あたりに変化が起きている気配はない。

 いったい、いつまでこうしていたらいいのだろう。まさか、もっと深く、もっと熱く、我を忘れるような口づけでないと効果がないのだろうか。
 早く、なんでもいいから早く、効果が現れて欲しい。でなけいと、劣情ばかりが募っていく。
 いったん唇を離してみようか。カーヴェがそう考え始めたそのとき、カツン、と遠くで何かが外れる音が聞こえた。
 ふたり同時に唇と体を離して、音がした方に視線を投げる。秘境に入ってきた方とは反対側の扉が、あっけなく開いていた。

「開いた」
「……みたいだな」
「ほら、やってみてよかったでしょう? 早く出よう」

 さっさと出口に向かおうとするリヴィアの手首を掴むと、振り返り様に猫のようなエメラルドグリーンの瞳がカーヴェを見上げた。その瞳に映る自分の姿を見て、我ながら情けないと心の内で自嘲する。まるで物欲しそうにねだる子供だ。

「……秘境を出たらあたしの家に来る?」
「……行く」

 この程度では足りない。もっと深く、熱く――欲しい。
 それはリヴィアも同様で、カーヴェの腕に尻尾を巻き付けたリヴィアは、その答えを聞いて満足そうに喉を鳴らしたのだった。



(複雑な気分/据え膳/はぐらかす) 2024.02.11


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