幸せだけがあなたに降り注ぎますように

「う〜ん。どっちにしようかなぁ」

 悩ましげに、しかしどこか楽しそうな声を上げながら、ニィロウはリヴィアの体に二着のワンピースを交互に当てている。一着は赤を基調としたワンピースで、もう一着はグリーンを基調としたワンピースだ。ズバイルシアターの衣装室に籠ってから早一時間ほど、ずっとこの調子である。

「インパクトがあって女性らしい赤もいいし、爽やかで落ち着いたグリーン系も素敵だと思う。ねぇ、リヴィアはどっちが好き?」
「……どっちでも。というより、いつもの服じゃいけないの?」
「ダメじゃないけど、今日はカーヴェさんのお誕生日でしょう? だったら、とびきりオシャレしたほうがカーヴェさんも喜ぶと思うの!」
「そういうものなの?」
「うんうん! だって、恋人が自分のために可愛い格好をしてきてくれたんだって知ったら、絶対に嬉しいはずだもん」

 そんなものだろうか、とリヴィアは二着のワンピースを交互に見やる。どちらが自分に似合っているかとか、どちらが今日という日に相応しいかとか、ファッションのことはよくわからないが、たくさんある衣装の中からニィロウがここまで絞ってくれている時点で、どちらを選んだとしても正解には違いないはずだ。
 それならば。リヴィアは赤いワンピースを指差した。

「じゃあ……こっち」
「赤い服にする?」
「うん。……いつもの服の色に近くて落ち着くから」
「わかった! じゃあ着替えてきて。できたら呼んでね!」

 服と共にフィッティングルームに押し込められたリヴィアは、小さく息を吐き出したあとに服を着替えはじめた。手元にある赤いワンピースは軽やかで着心地がよく、それでいて華やかで女性らしい。お腹や背中や胸元が隠れる変わりに、腰から下が少々風通しがいい気がするのが逆に落ち着かないが。
 着替え終えてさあ出ようと靴を履こうとすると、ご丁寧にもワンピースに合わせたパンプスが用意されていた。普段ヒールを履かないリヴィアのことを考慮してくれたのか、ヒールの高さは控えめだった。
 パンプスを履いてフィッティングルームのカーテンを開ける。そこにはニィロウだけではなく、ディシアの姿まであった。

「わぁ! かわいい……というより、すごく綺麗! こっちを選んで正解かも」
「いいじゃないか。服はこれで決まりか?」
「うん! 決まったよ!」
「よし! じゃあ次はあたしの出番だな。試したいメイク道具を一式持ってきたんだ」
「ディシア。ここのドレッサーを使って」
「サンキュー、ニィロウ」

 衣装室の一角に用意されているドレッサーの椅子を引いて、こちらへどうぞと紳士的な対応を見せるディシアだが、やはりその表情はどこか楽しんでいるように見える。警戒しつつもリヴィアが椅子に座ると、邪魔にならないように髪をまとめられ、よくわからない液体やクリームを次々に顔に塗りたくられていく。顔を撫で回される感覚は苦手ではなかったが、瞼に煌めきをのせたり、頬に色をのせたりする、メイクブラシにくすぐられる感覚には耐えきれず思わず不満を漏らした。

「……ムズムズする」
「我慢だ、我慢。今日はあんたの恋人の誕生日なんだろう? だったら、一番綺麗な姿で祝ってやろうぜ。そのほうが……」
「カーヴェが喜ぶ、っていうんでしょ? さっきも言われた」

 今日という七月九日はカーヴェの誕生日だ。人生のほとんどを砂漠の辺境で生きてきたリヴィアでも、誕生日を祝うという概念は持っている。一年を無事に生き、新しく歳を重ねるということは、決して当たり前のことではないのだから。
 しかし、そのためにドレスアップしなければならないということが、どうしても理解できない。ただ「誕生日おめでとう」と伝えて、美味しいものを食べられたらそれだけで十分なのではないだろうか。リヴィアの家族が生きていた頃は、駄獣の肉をたくさん焼いてお祝いしてくれていた。
 だから、リヴィアも同じようにしてカーヴェを祝うつもりだったのだ。駄獣を狩るか、それとも蠍を狩ってもいいかもしれないと数日前から悩んでいたところ、ニィロウから「カーヴェさんにちゃんと欲しいものを聞いて! そして誕生日の朝に、カーヴェさんのところに行く前にシアターに来て!」と、必死の形相で言われたからこうしているわけなのだが。

「できたぞ」

 ディシアの声が降ってきた。ゆっくりと顔を上げる。肌はいつもより滑らかに見えるし、睫は濃くリヴィアの瞳をさらに華やかに飾っている。瞼や頬、唇には見慣れない色がのっていているし、髪はいつも通りのツイストヘアに戻されていたが一緒にリボンが編み込まれている。

「うわぁっ! すっごく素敵だよ、リヴィア!」
「……ありがと」
「ははっ。少し不足そうだな」
「だって、落ち着かない。でも、カーヴェが喜んでくれるなら……」

 はっきり言うと、とても窮屈だ。今すぐに服を脱ぎ捨てて、頭からオアシスの泉にダイブしたくてたまらないくらいに。それをしないのは、脳裏に目を輝かせてくれるカーヴェの姿がちらつくから。

「ニィロウ、ディシア。ありがと。行ってくる」
「行ってらっしゃい! お誕生日デート、楽しんでね!」
「うん。その間に“そっちのこと”は任せたから」
「おう! あっ、ちょっと待て」

 ディシアの声に引き留められ、振り向く。ディシアは自分の首元をトントンと叩きながら、こう言った。

「そのネックレス、今日の服装とはちょっとテイストが違うな。別のを見繕ってやろうか?」
「いい」

 間髪入れずにリヴィアは首を横に振ると、オリーブの首輪をひどく愛おしそうに撫でた。

「これはカーヴェの次に大切なものだから」
「! そっか。そりゃ悪かった。それなら、それをつけていったほうがカーヴェも喜ぶだろうな」

 こくり、と頷いたリヴィアは今度こそシアターを出てグランドバザールを歩いた。地下から外に出る扉を開けると、強い日差しが降り注いできて目が眩む。砂漠とはまた違う太陽の輝きの下、リヴィアは転ばないように斜面をゆっくり降りていった。
 待ち合わせをしているランバド酒場前の広場には、すでにカーヴェの姿があった。石造りのベンチに腰かけて、スメールシティの郊外を眺めている。その姿は人々が往来する中でも美しく輝いて見えた。
 スメールが誇る建築デザイナー。妙論派の星。アルカサルザライパレスを築き上げ地位も名誉も何もかもを手に入れた歴史に名を残す偉人。人々の目に、カーヴェはそのように映っているのだろう。それは彼が壊さないように必死に守り抜いている、理想の姿だということに気付きもせずに。

「カーヴェ、おまたせ」
「リヴィ! 気にしないでくれ、僕もさっき来た……」

 声をかけると、カーヴェはすぐに視線を戻してリヴィアを見上げた。リヴィアの頭のてっぺんから爪先までを、カーヴェの視線が往復する。光の入り方や角度によって赤の濃淡が変わる、彼のためだけにあしらわれたような美しい宝石のような瞳にこうも改めてじっくり見つめられると、じわじわと頬に熱が集まってきて、むず痒い。落ち着かない。

「どこか変?」
「あっ、いや、違うんだ! そうじゃなくて、見惚れてしまって言葉が出てこなかったというか、その……すごく綺麗だよ。赤いドレスがリヴィのエメラルドみたいな瞳を引き立てているし、メイクにグリッターが入っているのも素敵だ。それから……」
「ま、待って。もういいから」
「どうして? リヴィの素敵なところは全部伝えたいんだ」
「……今日はカーヴェの誕生日なのに、あたしがもらうのもおかしな話でしょう?」

 思わずすり寄ってしまいたくなる衝動を我慢しながら、そっとカーヴェの手をとる。
 ようやくニィロウとディシアが言っていたことの意味がわかった気がした。会うために少し時間をかけたくらいでこんなに喜んでもらえるのなら、重い睫も窮屈な服も歩き慣れない靴も我慢できる。

「カーヴェ。誕生日おめでとう。カーヴェに出逢えて本当によかった。これからも傍にいることを許してくれる?」
「……ああ。ありがとう、リヴィ! もちろんだ」
「でも、誕生日なのにプレゼントが一日を一緒に過ごすだけなんて……本当にそれだけでいいの?」
「それだけ? 十分じゃないか! 普段通りの一日を大切な人と過ごすことができるなんて、それ以上のことはない。だって、誕生日は僕にとって……」
「家族がもっとも恋しくなる日、でしょう?」
「……ああ。それに、僕の誕生日を祝うためにリヴィがオシャレをして来てくれたこと、すごく嬉しいよ。リヴィには赤がよく似合うな」
「ふふ。カーヴェはこっちが好きなんじゃないかって思ったから」

 リヴィアが赤を選んだのは、いつも来ている服と色味が近いからという理由だけではなかった。カーヴェの瞳の色と同じだから。カーヴェが喜んでくれそうな色だから。カーヴェが着ている服も赤だから。そういった単純な理由。その裏表のない素直さを、カーヴェは好きだと知っているから。

「今日は何がしたい?」
「そうだな。……朝から教令院の依頼で旅人たちが家に来たとき、彼らにコーヒーを出したんだ。そのときちょうど豆を切らしてしまったから、まずはコーヒー豆を買いに行きたい。新しいものを開拓してみたいから、リヴィにも一緒に選んでほしいな。それから、プスパカフェでゆっくり話をして、そのあとはズバイルシアターに行くのはどうだろう? 踊りを見たあとはグランドバザールを散歩しよう。綺麗なリヴィの姿をスメールシティの人たちに見せびらかしたい気分だ」
「なにそれ」
「それから夕食は……ランバド酒場、でいいんだよな?」
「うん。みんなが食事会の準備をしてくれてるはずだから。誕生日なんだし、お酒を飲んでおいしものを食べよう?」
「ああ、そうだな! 今日は嫌なことや悩みごとを全部忘れて楽しむぞ!」
「でも、お酒はほどほどにね」
「わかっているよ。リヴィの前で酔い潰れるわけにはいかないからな。ほら、リヴィ。行こう!」
「うん。カーヴェ」

 差し出された手に自らのそれを絡める。指を折り重ねるように、隙間なくぎゅっと。繋いだ手の体温から、あなたが生まれてきてくれたことに、生きてくれていることに、心から感謝している人がいることが伝わりますように。



2023.07.09


- ナノ -