大切なものは唇で確かめる

「なんだかいい匂いがする」
「わっ!」

 とある日の休日をアアル村のリヴィアの家で過ごしていたときのことだった。突然降りてきたインスピレーションを書き留めておくために、持ち歩いているスケッチブックにペン先を走らせていたカーヴェの目の前に、エメラルドグリーンの猫目が現れた。スケッチブックの下から潜り込むようにしてカーヴェの懐に入ってきたリヴィアは、鼻先をくんくんと動かしながらカーヴェの口元の匂いを探っているようである。

「うちに来る前になにか食べてきた?」
「あ、ああ。軽食を摘まんできたけれど」
「ふーん」

 ぺろん。カーヴェの唇を、なま暖かい舌が撫でる。天才と謳われるほどの類い希なる才を持ったカーヴェの脳でさえ、目の前で起こった出来事を処理できずに体の動きを停止させた。その間にも、リヴィアはお構いなしにカーヴェの唇をぺろぺろと舐めていく。

「あ、わかった。サモサだ。正解でしょう?」
「……」
「カーヴェ?」
「あ、ああ。そうだけれど」
「やっぱりね」

 ふふん、と得意気に喉を鳴らしたリヴィアは満足げにカーヴェから離れ、自分が座っていた定位置に戻った。そのまま何事もなかったかのように読書を続けるリヴィアを見て、彼方へと飛んでいっていたカーヴェの思考が戻ってくる。

「ちょっと待った!」
「なに?」
「なに? じゃないだろう! そこまでして誘っておいて、何事もなかったかのようにおあずけするなんて酷いじゃないか」

 リヴィアの手から本を取り上げてテーブルの上に放る。かわりに指先を繋ぎ、うなじを引き寄せて、唇が触れ合うギリギリの距離で視線を絡めた。

「別に誘ったつもりはないけど」
「そっちがその気はなくてももうスイッチが入った」
「インスピレーションはいいの?」
「このくらいで忘れるようなインスピレーションなら大したことがないってことさ」

 挑発的な言葉とは正反対の、慈しむような口付けを落とす。どこまでも愛しかない、柔らかで優しいキスを施す。そんなカーヴェの唇とは対照的な、喰らい付くような口付けが返ってくる。愛と欲と本能にまみれた、獣のように官能的な口付けだった。

「カーヴェのキス、やさしくて好き」
「僕もリヴィの情熱的なキスが好きだ」

 二人の瞳に宿った熱。それは孤独な二人がずっと欲していたもの。冷たい砂漠の夜さえあたためるような、熱い、熱い、愛は、確かにここにあったのだ。



2023.05.23


- ナノ -