コルナリナの結晶

 ペパーくんは目的地へと向かう道すがら、彼の宝探しの目的を教えてくれた。
 宝探しの目的。それは『秘伝スパイス』を集めること。なんでも、医学では考えられないほどの絶大な滋養効能を秘めていて、口にすると身体機能が活性化するといわれているらしい。ただ、秘伝スパイスはヌシと呼ばれる強いポケモンに守られていて、ポケモンバトルが『苦手』なペパーくん一人の力では太刀打ちできるか不安だという。そこで、わたし以外にも他に助っ人がいるのだと教えてくれた。
 ひとまずの目的地は、ボウルタウンの手前に位置する岩場。ペパーくんいわく、そこにヌシポケモンの住処――すなわち、秘伝スパイスがあるのだという。
 ヌシポケモンがどんなポケモンなのか、わたしはもちろんペパーくんすらわからない。でも、岩場に生息しているとなるといわタイプやじめんタイプを有している可能性が高いと踏み、岩場に向かう前にペパーくんの戦力を補充することにした。さすがにホシガリス一匹だけでは心もとないから。

 そして、ボウルタウンで一泊して準備を整えた後、わたしたちは南三番エリアの岩場に足を運んだ。急な斜面や、整備されていない入り組んだ道。自然が生み出した迷路のような光景に、わたしは思わず歓声を上げた。

「わあっ……!」
「そう感動する景色でもなくないか? ただの岩場だぞ?」
「いいえ! 前回の課外授業のときは来なかった場所です! 早速知らないところに連れてきてくれてありがとうございます! ペパーくん!」
「お、おう。なんつーか、お嬢サマも意外と安上がりちゃんなんだな」

 ペパーくんは不思議そうにしていたけれど、本当にわたしにとっては珍しい景色なのだ。移動はもっぱらイキリンコタクシーを使い、街から街への移動しかしたことがない。手持ちのポケモンは幼いころからわたしのお世話をしてくれているポケモンばかりで、自分でゲットしたわけではない。
 パルデア地方に住んで十六年経つけれど、ここにはまだわたしが、わたしたちが、知らない景色がたくさんあるのだと実感した。だから、やっぱりペパーくんの宝探しに同行させてもらえて本当によかったと思う。この旅はきっと、わたしたちにとっての宝になる。

「この岩場のどこかに岩壁のヌシがいるらしい。ハルトにも連絡しとくか……」
「ハルト……くん?」
「ああ。ヌシポケモン探しを頼んだんだ。知り合いか?」
「直接的な知り合いではないのですが、ネモちゃんが気にかけていた子なので名前を覚えていたのです」
「あー、生徒会長な。ポケモンバトルが強いらしいから、そりゃ目も付けられるか」

 ペパーくんはスマホロトムを取り出して、ハルトくんという人物に電話をかけ始めた。わたしがここにいてもいいものかと、迷っている間にペパーくんは通話を終えてスマホロトムをリュックのポケットにしまい込み、わたしへと向き直った。

「とりあえず、ここでの目的は岩壁のヌシポケモンを探すことだ。手分けして探そうぜ。それらしいポケモンを見付けたら大声で呼ぶこと。勝手に倒したり捕まえたりすんなよ?」
「はい! 大きな声でペパーくんの名前を呼びますね!」
「……本当に大丈夫か?」
「任せてください! 行きましょう、クエスパトラ!」

 わたしが合図すると、クエスパトラは高らかに鳴いて斜面を登り始めた。
 ヌシポケモン、というくらいだからきっとこのエリアのボスともいえるようなポケモンに違いない。そういうポケモンはたいてい、エリアの最も奥や、最も高いところ。逆に最も深いところにいるものだと考えられる。このエリアでボスがいるに相応しい場所といえば、やっぱり高い場所だ。
 岩場の頂上を目指すようクエスパトラに指示して、わたし自身は周辺を注意深く観察する。ヌシポケモンはいないか注視して、そして、この景色を目に焼き付ける。

「ヤングース。パピモッチ。コジオ。いろんなポケモンがいますね。それに、道が曲がりくねっていて迷路みたいで楽しい!」

 そしてリュックの外ポケットへと手を伸ばし、一つのラブラブボールを手に取った。

「……あなたにも、この景色が見えていますか?」

 問いかけてみても返事はない。ボールの中には確かにポケモンがいるのに、その気配すら感じない。この声が届いているのかもわからない。それでも話しかけずにはいられなくて、無理やり明るい声を出す。

「ほら、見てください! あの崖には大きなガケガニが張り付い……て……?」

 人間の成長にも個人差があるように、ポケモンも個々によってサイズが大きく異なる。同じ種類のポケモンでも、極端に小さなサイズもいれば極端に大きなサイズもいる。
 しかし、目の前で崖に張り付いているガケガニというポケモンは、バラツキの範囲内に収まり切れない大きさだ。歴史の授業で習った、大昔のヒスイ地方という場所に生息していたとされるオヤブンポケモンよりもきっと大きい。
 その大きさにただ圧倒されていると、甲羅から飛び出した大きな目玉がぎょろりとわたしを捉えた。

「ペ、ペパーくんー−!!」

 生まれてこの方、ここまで大きな声を出したことはない。そのくらいの声量で、お腹の奥から叫んだ。おそらく、この岩壁地帯のヌシポケモン――ガケガニは、大きなハサミを振り上げ、わたしを目掛けて振り下ろしてきた。
 クエスパトラへと指示をするよりも早く、わたしの目の前に炎が飛び出す。

「グレンアルマ!」

 幼いころから私のことを守ってくれている、ボディーガードのようなポケモン。グレンアルマはまもるを発動させて、ガケガニの攻撃を無効化した。そして続けざまにかえんほうしゃを繰り出して、ガケガニの体を炎が包み込む。
 いわタイプのガケガニに対してほのお技の効果はいま一つだけれど、タイプ相性を覆す実力差を見せつけられたガケガニは、わたしたちに背を向けて崖から飛び降りてしまった。

「っ、逃げてしまいました。……追いかけないと!」

 身を守るためとはいえ勝手に戦い、ましてや逃がしてしまっては、ペパーくんとの約束を破ってしまうことになる。秘伝スパイスを手に入れる鍵は、きっとガケガニが握っているのだから、ペパーくんが来てくれるまで見失わないようにしなければ。
 先導するグレンアルマの後に続いてクエスパトラを走らせる。ガケガニが飛び降りた先では、大きな音が鳴り響いている。ガケガニの巨体が飛び降りた衝撃ではなく、もっと他の何か、崖崩れでも起きたような音だ。
 崖の中腹にガケガニはいた。崖にぽっかりと空いた空洞から桃色に光る何かを取り出し、口へと運んでいる。その様子をただ唖然と眺めていると、背後から慌ただしい足音が聞こえてきて振り返った。よかった、ペパーくんが来てくれた。それから、もう一人。大きな帽子が特徴的な男の子が、きっとペパーくんが話していた助っ人――ハルトくんだ。

「アレリ! 呼んだか、ってうぉっ!?」
「これがヌシポケモン!? 大きい……!」
「あなたがハルトくんですか? わたしはアレリと申します」
「あ、はい。ハルトです。どうぞよろしく」
「呑気に自己紹介してる場合かよ!? スパイス食って強くなっているヌシポケモンは……手強いぞ!」

 ペパーくんの言葉にようやく気が付いた。ガケガニが食べている、桃色に光っている葉っぱの正体が秘伝スパイスなのだ、と。
 ハルトくんとペパーくんは同時にモンスターボールを構えた。

「三対一で気が引ける、なんて言ってられないね」
「ですね。グレンアルマ!」
「頼むよ、ホゲータ!」
「シェルダー! はさみ揚げだ!」

 それぞれが出したポケモンを見ながら分析する。ほのおタイプが二体と、みずタイプが一体。そして、相手となるガケガニはいわタイプだ。相性的にはペパーくんのシェルダーに任せるのが一番いいけれど、技の効果を高めるためにわたしはハルトくんの耳元に唇を寄せる。

「ハルトくん。わたしが合図を出したらほのお技を指示してもらえますか?」
「え? うん。いいけれど」
「オレは?」
「ペパーくんには一番いい出番を用意しますね!」

 巨体のわりにガケガニは素早く、三体のポケモンたちは振り下ろされるハサミを避けながら反撃する機会を窺っている。ガケガニの攻撃はなかなか止むことがなく、このままではこちらが先に集中力を切らしてしまうかもしれない。グレンアルマがちらりとわたしのほうを見る。その眼差しに甘えて、目くらましの技を指示する。

「グレンアルマ、ふんえんです!」

 両肩のアーマーが腕へと移動、合体し、キャノン砲へと姿を変える。そしてそこから黒い煙が噴き出せば、眼球をむき出しにしているガケガニの目はその機能を果たさない。今がチャンスだ。

「ハルトくん!」
「オッケー! ホゲータ、やきつくす!」
「グレンアルマ、かえんほうしゃ!」

 二体分の炎がガケガニを包み、その身を焼く。いわタイプのポケモンには大したダメージにならないけれど、岩でできた体は炎の熱で温度が上昇し、熱板のようになる。そしてそこに、冷たい水を灌ぐとどうなるか。答えは、言わずもがな。

「ペパーくん、今です!」
「おう! シェルダー、みずでっぽうだ!」

 熱がこもった体に冷たい水が叩きつけられ、凄まじい音と共にガケガニの体から蒸気が上がった。悲鳴を上げたガケガニはわたしたちに背を向けて逃げ出そうとしたけれど、追う必要はないとペパーくんに制されてグレンアルマとクエスパトラをラブラブボールの中に戻した。

「よっし! 二人ともお疲れちゃんだぜ!」
「何とか倒せたね」
「追いかけなくてもいいのですか?」
「ああ! オレたちの目的はヌシポケモンじゃないからな。さ! 早くこの中を調べようぜ! ヌシポケモンが秘伝スパイスを食ってでっかくなったのなら、近くにあるはずだ!」
「あっ、ペパーくん!」

 そう言うやいなや、ペパーくんは一人で洞窟の中へと走って行ってしまった。中には他のポケモンがいないとも限らないのに。
 ハルトくんと共にペパーくんの後を追いかける。足音が洞窟の壁に反響して、何重にも聞こえる。
 しばらく走っていると、ようやくペパーくんに追い付いた。ペパーくんは桃色の光を放つ植物を前にして立ち尽くしていた。目は大きく見開き、唇は震えている。それは、落胆や愕然から来るものではなくて――。

「これが秘伝スパイス……?」
「ああ! 本で見たまんまだ!
「光ってる。いかにもって感じだね」
「……本当に……見付かったんだなぁ」

 嬉しさと安心感を包み隠さず吐露した、ペパーくんの本心だった。
 ペパーくんは本をめくり、目の前の秘伝スパイスと照らし合わせているようだ。

「桃色の光はあまスパイスだな」
「あまスパイス?」
「ああ。胃を健康にして食べ物を消化しやすくなるらしい。腹痛や食欲不振にも効くって書いてあるぜ。早く食わせてやりたいな……」

 誰に? と、そう問いかける前に、ペパーくんは勢いよく本を閉じるものだから、思わず肩が跳ねてしまった。

「よっし! じゃあやるか! オマエたちは座って待ってな!」
「え? 作るって、何をですか?」
「決まってるだろ!」

 ペパーくんは担いでいたリュックサックをどさりと下ろし、その中からエプロンを取り出すとにっかり笑った。

「料理だ!」

 宣言した通り、ペパーくんは十代の男の子とは思えない手際の良さで料理を始めた。ペパーくんのリュックの中からピクニックのセットを取り出して組み立てていた、わたしとハルトくんが手を止めて見入ってしまうほどの腕前だった。「うおおおお!」とか「ずりゃあああ!」とか「おりゃー!」と豪快に叫んでいる様子とは反対に、包丁でスパイスを刻む手付きは丁寧で、飾り付けまで完璧だった。
 そして、しばらく経った後。広げられたテーブルクロスの上には、美味しそうなサンドウィッチたちが並んでいた。秘伝スパイスの効果なのか、桃色の光の粒子が散りばめられているように見える。

「お待ちどうさん!」
「うわぁ……美味しそうなサンドウィッチ!」
「ヌシポケモンを倒すのを手伝ってくれたお礼だ! それからこれもやる!」

 さらに、ペパーくんはわたしとハルトくんの手のひらに、コインよりも一回りほど大きいサイズのバッジを落とした。一見ジムバッジのように見えたけれど、中央のシンボルはパルデア地方のジムのどこのものにも当てはまらない。それに、造りがどこか不格好だ。
 もしかして、とペパーくんを見上げる。

「もしかして、ペパーくんが作ったのですか?」
「まあな。ジムバッジのレプリカをアレンジしてみたんだ」
「わぁっ! すごいです!」
「ありがとう! 雰囲気出ていいね!」
「だろ? さ、みんなで食おうぜ!」
「はい! いただきます!」

 ペパーくんが用意してくれたバッジを大切にバッグの中にしまい、手を拭いてからサンドウィッチをいただく。パリッとしたパンの表面とは違って、中身はふわふわだ。そして挟んであるフルーツに振りかけられたスパイスの甘みが口の中いっぱいに広がって、噛むたびに幸せに浸されていくようだった。

「美味しい……っ!」
「そんなに目をキラキラさせて……いいところのお嬢サマの口には合わねえだろ」
「そんなことありません! こんなに美味しい料理を食べたのは生まれて初めてです! 本当です!」
「お、おう。そーかい」

 本当に、本当に美味しかった。ペパーくんが作ってくれたサンドウィッチのことをもっと上手に褒めたいのに、美味しいとしか口に出てこないほど、美味しかったのだ。
 わたしたちはただ夢中になってサンドウィッチを咀嚼した。食事の途中、ハルトくんのモンスターボールからミライドンと呼ばれるポケモンが出てきて、なぜかペパーくんと険悪な雰囲気になってしまったことを除いて、楽しい時間を過ごした。
 でもわたしは、ミライドンがハルトくんの手からサンドウィッチを食べる姿を見て「もしかして」と思ったのだ。
 半分ほど食べたサンドウィッチを紙ナプキンに包むわたしを見て、ペパーくんは不思議そうに首を傾げた。

「なんだ。結局残すのか?」
「いえ。お腹がいっぱいになったので後ほどいただきます」
「それっぽちで満腹ちゃんになるのか!? 女子って小食なんだな……」
「あはは……」

 わたしは眉を下げて曖昧に笑った。小食どころか、むしろよく食べるほうだと自覚しているけれど、勘違いをしてもらえるならそれでいい。

「オレはここを片付けていくからさ、オマエたちは先に行っててくれよ。特にハルトはオレの手伝いの他にもやることがあるんだろ?」
「うん。これからジム戦に行こうかなって。あとはスター団のこともあるし……」
「んじゃ遠慮なく行ってくれよ! もし道中ヌシポケモンを見付けたら教えてくれよな!」
「わかった! ペパー、アレリ、またね!」
「ええ! ハルトくんもお気を付けて」

 ハルトくんはミライドンに乗って、颯爽と洞窟から出て行ってしまった。わたしは片付けの手伝いをしようと思い、テーブルクロスに手を伸ばすと、横からペパーくんの声が飛んできた。

「アレリはこの辺りが物珍しいんだろ? 片付け終えるまで探検したらどうだ?」
「え? いえ、わたしもお片付けを手伝います」
「いいって! 力仕事は任せとけ! その代わり、次のヌシポケモンとのバトルも頼むぜ!」
「……わかりました。じゃあ、お言葉に甘えて」
「おう! 終わったら声かけるからな!」

 申し訳なさがなかったわけではないけれど、ペパーくんの好意を受けることにした。
 洞窟から出たわたしは、足早にその場から離れた。誰にも邪魔されないところ。誰にも見られないところ。岩場の影まで移動すると腰を下ろし、リュックの中から一つのラブラブボールを取り出す。まるで新品のように真新しいボールには、傷一つない。それも当然だ。他のボールみたいに、投げたり開閉したりする機会が極端に少ないのだから。

「イーブイ、出てきて」

 ラブラブボールから呼び出したのは、イーブイ。わたし初めてのお友達。忙しい両親の代わりに、ずっと傍にいてくれた大切な子。
 一緒に笑って、走って、食べて、眠って。当たり前のように過ごしていた日々が遠く感じる。今はもう、名前のない病に侵されてしまったこの子の呼吸がいつ止まってしまうのか、怖くて仕方がない。

「食べられる?」

 紙ナプキンを開いて、食べかけのサンドウィッチをイーブイの鼻先へと近付ける。わたしの声が聞こえているかはわからない。鼻が匂いを捉えているかもわからない。それでも、ペパーくんのサンドウィッチを美味しそうに食べるミライドンの姿がどうしても頭から離れなくて、試さずにはいられなかった。
 イーブイに変化はない。力なくその場に伏せて、瞼を落としている。呼吸はあるから生きているのだろうけれど、でも。
 やっぱり無理なのだろうかと、手を引こうとしたわたしの指先に生暖かい風のような吐息が触れた。弾かれたように顔を上げる。イーブイが、鼻先をひくひくと動かして、必死に匂いを捉えようとしていた。すぐにひっこめかけていたサンドウィッチを差し出すと、イーブイは小さく口を開けてそれを齧り、ゆっくりと咀嚼し始めたのだ。

「……食べてくれた……最近は柔らかいものしか食べられなかったのに……イーブイ……っ」

 食べ物を摂取するという、生きていくうえで必要不可欠な行為すら、今のイーブイには難しいのだと諦めかけていたのに。懸命に生を繋ごうとする小さな命を目の当たりにして、出していたはずの答えが揺らぎ始めていった。



カーネリアンの石言葉:『勇気』 2023.04.11

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