アスールクリスタルの選択

 岩壁のヌシ、ガケガニに勝利して無事に一つ目の秘伝スパイスをゲットしたオレたちは、次の目的地を目指すために一旦テーブルシティへと戻った。効率を求めるならばハッコウシティ近くに住むと言われている潜鋼のヌシのところへ向かうべきだが、どうも潜鋼のヌシはレベルが高く今のオレたちで太刀打ちできるか怪しいところにある。そこで、遠回りにはなるが別のヌシポケモンに先に挑み、戦力を強化しつつ秘伝スパイスもゲットしようという作戦だ。
 テーブルシティの西門から出て、セルクルタウンを通過。そして、道なりに進んでいく途中、アレリのアドバイスを受けながらコジオをゲットすることに成功した。
 そして今。ハルトと合流したオレたちは、目の前にそびえ立つ山の頂上を見上げている。

「今回のヌシはこの岩山の上にいるんだっけ?」
「ああ。大空のヌシって言われてるいらしい」
「ということは、ひこうタイプのポケモンでしょうか。それなら、ゲットしたコジオが活躍しますね!」

 さて登ろうかと、足を一歩踏み出したとき。

「何か音がしませんか?」
「……だな」
「僕もなんだか嫌な予感が……」

 地鳴りのような音に加え、山道の上からは丸い岩が転がり落ちてきている。直径三メートルはあるだろうか。あんなのに当たったら一溜りもない、が、進まないわけにもいかない。

「きゃっ、グレンアルマ!」

 アレリのグレンアルマは自らボールの中から出てきたと思うと、なんとアレリを抱え上げて山道を駆け上がり始めた。次々に落ちてくる岩を避け、時には蹴りで粉砕し、アレリに傷一つ負わせることなく山頂を目指している。まさに、姫に仕える騎士のようだった。

「すっげぇ! ってオレたちはどーする!?」
「ペパー、僕たちはミライドンに乗っていこう! ミライドンなら岩を避けられるし、もしぶつかったとしても岩を弾き飛ばせるかもしれない」
「ミライドンか……仕方ねぇ」

 こいつに頼るのは複雑だったが、背に腹は変えられない。今はなんとしても、秘伝スパイスを手に入れなければならないのだ。
 覚悟を決めたオレたちはミライドンの背に跨がり、転がり落ちてくる岩が行く手を阻む道を突破し、山頂を目指した。
 なんとか無事に山頂についたオレたちは、そこに住む大空のヌシ――オトシドリを見て納得した。オトシドリは大きな音がするものを落として遊ぶことを楽しむポケモンだ。山を登ろうとするオレたちに向かって岩を落とし、反応を見て楽しんでいた――つまり遊んでいたのだろう。
 そっちがその気ならと、オレたちは全力でオトシドリと対峙した。アレリの言った通り、ひこうタイプのオトシドリにいわタイプのコジオの技は効果抜群で、苦戦しながらも無事に追い払うことに成功した。
 山登りに加えて岩避けゲーム。極めつけのヌシポケモンとのバトルにより疲労困憊なオレたちだが、秘伝スパイスはもうすぐそこだ。バトルの最中にオトシドリが大穴の中から秘伝スパイスを取り出して食っていたから、今回もきっと洞窟の中に秘伝スパイスがあるに違いない。

「さ、気を取り直してスパイスをゲットしに行こうぜ!」
「うん!」
「はい!」

 予想通り、洞窟の最奥に秘伝スパイスはあった。緑色に発光するスパイスの種類を特定するために、オレはバイオレットブックを取り出してページを捲った。

「やっぱりあった! これはにがスパイス! 本によると、にがスパイスは血行促進! 血の巡りをよくすることで体が温まり、免疫効果がアップする……らしいぜ!」

 パタン、と勢いよくバイオレットブックを閉じる。

「よーし! 今回も急いで料理すっぞ!」

 前回と同様に、椅子や机の組み立てをハルトとアレリに任せたオレは、サンドウィッチ作りに集中した。肉や野菜だけでなくチーズを挟んで苦味を中和すれば、にがスパイスも美味しく食べられるはずだ。

「おまちどうさん! 気まぐれスパイスたっぷりサンドだ! 感謝の気持ちのヌシバッジを添えて……召し上がれ!」
「うわぁ! 今回も美味しそう!」
「いただきますね、ペパーくん」

 ハルトとアレリは手を合わせると、サンドウィッチを口一杯に頬張ってくれた。途中、ボールから出てきたミライドンが案の定ハルトのサンドウィッチを欲しがったものだから、余分に作っておいた分を渡すことにした。秘伝スパイス集めを手伝ってくれているハルトのため、そして前回サンドウィッチを食ったミライドンが一つの力を取り戻した、その確証を得るため。
 思った通り、サンドウィッチを食ったミライドンはまた一つライドポケモンとしての力を蘇らせることができたようだ。オレは確信した。ミライドンが元気になっていっているように、秘伝スパイスを使った料理を食わせていけばきっと――。

「っ、触るな! それはオマエのじゃない!!」

 テーブルの上に残していたサンドウィッチに鼻先を伸ばすミライドンの姿が目に入り、思わず声を荒げてしまった。アレリの肩が震え、ハルトが申し訳なさそうに眉を下げて「ご、ごめん。ミライドン、ダメだよ」と言っている。

「あ……すまん、大声出して」
「ううん。……でも、ペパー。よかったら教えてくれない?」
「え?」
「秘伝スパイスを集めている理由。単に料理が好きだから……じゃないよね?」
「……そうだな。二人にはちゃんと話しとくべきかもな」

 ハルトには、料理が好きだから秘伝スパイスを集めたい。アレリには、体にいいとされる秘伝スパイスを集めたい。そういう理由をつけて、秘伝スパイス集めに協力してもらっていたが『秘伝スパイスを集めて何をしたいのか』という核心を伏せたままでいたが、それももう限界のようだ。それに、危険をおかしてオレの宝探しを手伝ってくれる二人に本当のことを話しておかないのはフェアじゃない。
 オレはモンスターボールの中から一匹のポケモンを呼び出した。そのポケモンを見た瞬間、ハルトとアレリが息を呑んだ気配が伝わってきた。それも当然だ。ポケモン――マフィティフが体を伏せ、目を閉じて、細い呼吸を繰り返している様子からは、ほとんど生気を感じられないのだから。

「この子は……」
「コイツはマフィティフ。オレの相棒さ」

 マフィティフの前に跪き、サンドウィッチを小さくちぎってやりながら、ぽつりぽつりと話し始めた。
 マフィティフは少し前に大怪我をして以来、ずっとこの調子だ。外観的な傷は治り、傷跡もない。しかし見ての通り生気がなく、目は見えず、歩けず、声を出すこともできないのだ。いろんな傷薬を試し、パルデア地方中のポケモンセンターにも足を運んだ。でも、どんな方法でもマフィティフを治すことはできなかった。
 他にも漢方やマッサージや神頼みなど、ネットや本で調べた治療法を試したがどれもほとんど効果がなく、諦めかけたそのときだった。オレは父ちゃんの研究室で見付けた、秘伝スパイスの存在に辿り着いた。
 秘伝スパイスとは、元々はパルデアの大穴――エリアゼロにて発見された不思議な植物のことを言うらしい。食べればどんなポケモンもたちまち元気になり、病気や怪我が治るとされている。実際、エリアゼロから持ち帰った秘伝スパイスを育成途中、誤って大量に食べてしまったポケモンがいた。そのポケモンは怪我が治るどころか、現実として考えるには説明しがたい急成長を遂げ、ヌシポケモンと呼ばれる大きさと力を得ることになったという。
 このバイオレットブックは嘘みたいな話ばかり書いてある、誰も信じないオカルト本だ。だけど、オレは本当だと思ってる。そう思わなきゃ、今度こそマフィティフを救う手がかりを失ってしまうのだ。
 バイオレットブックによると、五つ全てのスパイスを食えばどんな怪我や病気も治ると書いてある。実際に前回スパイスを食べたマフィティフの手足があたたかくなったし、ミライドンもライドポケモンとしての力を取り戻した。
 だから、きっと。

「あ、食べ終わったか?」

 咀嚼を終えたマフィティフが、ゆっくりと顔を上げた。少しだけ血色が戻ったような気がすると、プラスに考えることで自分自身を励ます。
 しかし、マフィティフはそれ以上の生きる力を、見せてくれたのだ。

「ペパー! もしかして……!」
「マフィティフ、オマエ……目が見えてんのか!?」

 少しずつ持ち上がる瞼の下から覗くつぶらな瞳には、オレの姿が映っている。急いでマフィティフの前に跪くと、オレの動きに合わせて黒い眼が動いていることは、目がその役割を果たしているという証明だった。
 マフィティフが見ているんだ、泣くな、泣くな。何度言い聞かせたところで、込み上げてくる嬉しさを我慢することなんてできず、オレの目尻かららあたたかい雫が伝い落ちたのだった。


 * * *


「ペパーくん」
「なんだ?」
「あの……どうしてそこまで必死になれるのですか?」
「……あ?」

 ハルトを見送ったオレとアレリは、ピクニック道具の片付けを行っていた。マフィティフのことを話したときからアレリの口数が減っていたことには気付いていたが、ずっと、疑問の答えを考えていたのだろうか。オレは投げ掛けられた問いかにマイナスな感情しか見出だすことができず、思わず低い声を返した。

「気に障ったのなら申し訳ありません。でも、何をしてもダメだったのでしょう? お医者さんからも手の施しようがないと言われたのでしょう? それなのに、どうして諦めずにここまで来られたのですか?」

 アレリの瞳は真っ直ぐで、曇りがなかった。悪意のない、純粋な疑問だ。
 だからこそなおさら、オレは瞬時に沸騰した感情を抑えられずに立ち上がった。

「こいつがオレの大事な……宝物だからだよ!」

 諦められなかった理由なんて、これ以外にいったいどんな理由があるというのだろう。こんな単純な答えがわからないほど、アレリにはなにかが欠落しているのだろうか。
 ……ああ、そうか。

「アンタにはわからねぇよ! 帰る家があって、そこには家族がいる。学校に行けば友達がいて、楽しい学園生活を送ることができる。ポケモンの才能だってあるし、そのポケモンたちがいつも傍にいる。金に不自由したことも、食べるのに不自由したこともないんだろ!? だから『諦める』ってことがどんなことかわからねぇんだ!」

 誰にでも微笑みを振り撒き、誰にでも優しさを差し伸べる。まるで聖人のようなアレリの振る舞いは、彼女自信が磨き上げられた宝石そのものだから。美しい宝石はきっと周りから大切に愛され、同じような宝石がつまった宝石箱の中で、宝物のように扱われてきたに違いない。自分自身が誰かの宝物である人間に、石ころのように地を這いつくばる人間の痛みがわかるはずがない。

「周りに宝物がありすぎて、一つ欠けたって気にも留めないんだろ? でも、オレにはこいつしか……」
「平気な……わけ……」
「え?」
「平気なわけ……ないじゃない!」

 震える唇から紡がれたのは、鮮烈な反論だった。
 アレリと過ごした時間は決して長くはないが、その中でアレリは明るさと前向きさ、優しさと穏やかさを決して崩さなかった。それが今は、唇を噛み締め、両手を白くなるほどきつく握り、射抜くような強い眼差しでオレを見据えている。
 しん、と洞窟の中が静寂で満たされる。オレが声をかける前に、アレリは荷物の中からラブラブボールを取り出した。傷一つないそのボールから現れたポケモンを見て、オレの心臓は鷲掴まれたかのように動揺した。
 そのポケモン――イーブイは平均的なサイズより一回りもふた回りも小さく、痩せ細っていた。呼吸はしているようだが、目は開かず、耳は動かず、ぬいぐるみのようにそこに在るだけ。まるで、オレのマフィティフと同じじゃないか。絞り出した言葉に滲む、動揺の色を誤魔化すこともできなかった。

「オマエ、そのポケモンは……」
「わたしのイーブイ。タマゴから孵ったときから難病に侵されていて、命の期限が決められているの。お父様やお母様に何度も診てもらったし、治療方法だって探してもらった。わたしもいつか両親のような医者になって、自分でこの子の病気を治したいって思った。でも、そのときが来る前にこの子の命は尽きてしまう……こんなに小さい命なのに……」

 淡々と、アレリはイーブイが置かれている状況を語った。
 アレリも同じだったのだ。治るかどうかもわからない、いや、アレリのイーブイの場合は命の期限がはじめから決まっている病気と戦っている。医者という両親から告げられた診断は、子のアレリにとって疑いようがない未来だったのだろう。
 でもそれが、オレとアレリの違いなのだ。

「ずっと一緒にいた子がいなくなることが平気なわけない。でも、いつかいなくなる未来がわかっていても、わたしにはどうすることもできないの。だからせめて、別れの時が来る前に今回の宝探しでいろんな景色を見せてあげようと……」
「なあ、アレリ」
「え……?」
「アンタは常に一つの未来、いや与えられた未来しか見えていないからそうなるんだ。未来は、自分が変えたいと思った瞬間から選べる」
「ペパーくん……」
「だから、オレはマフィティフの未来を変える!」

 イーブイは治らないと、医者である親に言われたから納得するのか? はじめから余命を宣告されているから素直に受け入れるのか?
 オレはそんなの、嫌だ。与えられるままに受け入れ、自ら責任を負おうとしない生きかたはできない。
 オレは一つ一つを選んできた。食べ物がなかったら自分で料理をして、着るものがなかったら自分で洗濯をして……会いたい人に会いに行くために、危険に自ら足を踏み入れた。オレがそんな選択をしなければ、マフィティフだってこんな目に遭わなかった。この未来を選んだのはオレだ。だからオレは、自分の行動の責任を取るために、別の未来を選ぶ。

「アレリ。オマエ自身はどうしたいんだ?」
「わたし、わたしは……」

 決められた未来を受け入れるのか。それとも、可能性が少しでも残っているなら未来に抗うのか。
 問いかける前から、答えはわかっていた。

「イーブイを助けたい……っ!」

 失われた余裕と敬語。心に抱える不安と苦しみ、悲しみが涙となって溶け出した。
 これがアレリの本音。選択。本当に見つめたい未来。
 なんだ……ちゃんと自分を出せるんじゃねえか。

「うっし! じゃあ助けに行こうぜ!」
「え? でも、そんなことどうやって……?」
「言っただろ? 秘伝スパイスを全部食えばどんな怪我や病気もたちまち治るって!」
「でも、本当にそんなこと……」
「実際にマフィティフの目が見えて、ミライドンの力が戻ってきただろ?」
「だからって、秘伝スパイスの効能の証明には……」
「だーっ! これだから理系ちゃんは頭がかてぇ! 医学的に診断ができない病気や怪我があるんだから、理屈が判明していない治療法があってもおかしくない! それが秘伝スパイスだってだけだろ? だから、オレと一緒にヌシポケモンを倒してスパイスをゲットすりゃ、アレリのイーブイだっていつかきっと治るぜ!」
「いいの……? だってそれは、ペパーくんが死に物狂いで見付けた方法でしょう?」
「オレはただ、目の前で弱っているポケモンがいるのに見過ごせないだけだ。ほら。食ってみな?」

 マフィティフにしたのと同じように、残っていたサンドウィッチをちぎってイーブイの口元に差し出す。嗅覚が鈍っているのか反応はない。しかし、口元を数回つついてやると、イーブイは小さな口を開けてサンドウィッチを食べ始めた。鼻先も小刻みに動きだし、嗅覚を働かせようとしている。
 食べるということは、生きるということに直結する。イーブイはありったけの力を振り絞ってオレたちに証明したのだ。生きたいと願っている、と。

「食った! ほら、アレリ! イーブイは生きようとしてるぜ! オマエが諦めてどうするんだよ!」
「イーブイ……う、うわぁぁんん!」
「おいおい、アレリは泣き虫ちゃんだったのか?」

 アレリは子供のように大声を上げて泣きながら、イーブイを抱き締めた。その腕の中で瞼を持ち上げたイーブイはうっすらと微笑んで、涙に濡れた彼女の頬を優しくなめたのだった。



青水晶の石言葉:『迷いを解き放つ』 2023.05.05

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