夜を、想いを、確かめて
 社奉行が肝試し大会を開催する。
 主君である神里綾人からそう聞かされたとき、てっきり運営のサポートを任されるものだとばかりトーマは思っていた。しかしその考えとは逆に、綾人はただいつものように優雅に微笑んで「休暇を取って肝試し大会を楽しんできてください」と、トーマに告げたのだった。
 「肝試し大会」。その名の通り、どこまで恐怖に打ち勝つことができるか度胸を試す遊びである。開催地となる鎮守の森で、参加者は二人一組のチームに分かれ、巫女により出題された品物を探し出す。一番早く探し当てることができたチームがその試合の勝者となるり、全三回の試合の中でどれだけ勝ち星を集められるかが競われる。
 肝試し大会当日。指定の時間に鎮守の森へ足を運んだトーマは、集った参加者の中から一目散に声をかけるべき相手の元に向かった。仕えるべき相手であり友人でもある、神里綾華だ。社奉行が開催している催しとはいえ、綾華が参加するのであれば護衛は必須だろうという、神里家に仕える者として当然の行動だった。しかし、綾華は舞う粉雪のようにひらりとトーマを躱すと「一緒に組みたいお方がいるのです」と申し出を断って、蛍とパイモンの元に向かったのだった。
 蛍と一緒ならばまず大丈夫だろう、とトーマは安堵した。そしてようやく、神里家の家司ではなく、休暇中のトーマ個人として、本当は一番に声をかけたかった人の元へ向かったのだった。


 * * *


「改めて考えてみると、鎮守の森は肝試し大会の開催場所としてこれ以上ないくらい相応しい場所だね。日中問わず太陽の光が届かない森。その場を青白く照らす植物……うん。通り慣れた森だけど、なんだかワクワクしてきたよ」

 辺りを見回しながら、トーマは声を弾ませた。肝試し大会中とは思えない明るさと冷静さだ。この時点で、トーマは肝を試す必要性がないことがわかる。肝が据わっているどころか、恐怖を楽しむ余裕まであるようなのだから。

「ねえ、そう思わないかい?」

 同意を求めるように、トーマは隣を歩く人物に声をかけた。しかし、返事どころか彼女が声を上げる気配が一向になく、不思議に思ったトーマは左隣に視線を落とした。

「せつな、どうかした?」
「……えっ?」

 トーマの隣を歩く少女――せつなは、ようやく声をかけられていることに気が付き顔を上げた。

「ごめんなさい、トーマさん。少しぼーっとしていて話を聞いていなかったわ」
「大丈夫だよ。肝試し大会が楽しみだって話しかけただけだから」
「……そう、ね」

 肩に落ちた髪を耳元にかけ直しながら、せつなは視線をそらした。その細い指先が微かに震えていることに、トーマはふと気が付いた。

「せつな、もしかして寒い?」
「え? どうして?」
「少し震えているようだけど……よかったらオレの上着を貸そうか?」
「う、ううん。大丈夫よ。ありがとう」

 せつなは首を振り、すでに上着を脱ぎかけていたトーマを制した。
 トーマは上着を羽織り直したが、どうも腑に落ちない。トーマがせつなの異変を見逃すはずがないし、現に今も、落ち着かなさそうに胸元で絡められた両手の指先は、カタカタと震えている。
 それが寒さではないのなら、もしかして。

「せつな、もしかして……怖い?」
「怖くありません」

 即答だった。むしろ、トーマが言い終わるよりも早くせつなは口を開いていた。

「本当かい?」
「本当です。魔物退治を生業とする家系に育てられたというのに、幽霊や妖魔の類が怖いわけないでしょう?」

 せつなの言うことは全て正しく、道理が通っている。事実、トーマもそう考えていたからこそ、今の今まで、せつなが肝試し大会を怖がるという考えは浮かんでこなかった。だから、道中に怪談の一つや二つを話しながら一緒に肝試し大会を楽しめると思っていたのだが。

「そう。それならいいけど……あ、せつなの後ろに人の手が」
「きゃあっ!?」

 トーマでさえ聞いたことのない悲鳴を上げると、せつなは頭を抱えその場にしゃがみ込んでしまった。今度こそ、両手の震えは誤魔化せない。

「ごめん、木の枝だったよ。どうやら見間違えたみたいだ」
「……木の、枝?」

 せつなが恐る恐る背後を見上げると、そこには折れた枯れ枝が木からだらりと垂れさがっていた。確かに、この暗がりでは老人の手のように見えなくもない。

「も、もう。トーマさん、紛らわしいことを言うのはやめて」
「アハハッ。ごめんごめん。でも、せつな。やっぱり」
「怖くありません」
「まだ何も言ってないんだけどな……」

 自ら口にしたことを証明するように、せつなはすくっと立ち上がって道沿いに進み始めた。その背中を追いかけて歩きながら、トーマはやれやれというように息を吐く。綾華も素直ではないが、せつなも本当に甘えるのが下手くそだ。
 怖くないと意地を張るせつなに付き合ってもいいが、そうすると今後同じ場面に遭遇しても彼女は強がってしまうかもしれない。そうならないように、少し可哀想ではあるが……一芝居打つとしよう。

「そういえば、こんな話を聞いたことがあるかい? ある森に迷い込んだ男女の子供がいた。二人は手を強く繋ぎ、必死に出口を探した。でも、男の子が石に躓いて転んでしまったとき、二人は手を放してしまったんだ。女の子は急いで振り返ったけれど……そこに、男の子の姿はなかった。まるで神隠しにでもあったかのように、男の子は忽然と姿を消してしまったんだ」

 声を潜め、感情を殺し、淡々とした語り口調で、トーマは物語を紡ぎ始めた。せつなからは何の反応も返ってこない。しかし、先ほどよりも歩くスピードが若干速くなっているあたり、聞こえてはいるのだろう。
 せつなの言葉を素直に信じた「フリ」をしたトーマは、話を続ける。

「女の子は必死に男の子の姿を探した。でも、どれだけ探しても男の子は見付からなかった。疲れ果てて女の子が足を止めたとき、背後から物音が聞こえた。女の子が振り向くと、そこには」

 余韻を残さずに、言葉を切る。そして、音を立てずに岩陰へと隠れ込み、せつなの様子を伺った。
 トーマの思惑通り、後ろからついてきていたはずのトーマの気配が消えたことに疑問を覚えたせつなが、足を止めて振り向いた。「トーマさん……?」と、小さく消え入りそうな声にひしひしと罪悪感を覚えてしまうが、少しだけ、我慢だ。
 せつなが頼りない足取りで来た道を引き返している間に、岩を回り込んで彼女の背面に移動する。そして、月下美人の簪が垂れる耳元に唇をせて、声のトーンをぐっと落とした。

「変わり果てた男の子の姿が……!」

 直後、せつなが絞り出した絶叫が、鎮守の森に響き渡ったのだった。


 * * *


 それからは、大変だった。泣き出してしまいそうなほどに混乱してしまったせつなをようやく落ち着かせたと思ったら、何者かにつけられている気配を感じた。これ以上せつなを怖がらせないために、なんとか誤魔化しながらその気配を追いかけたが結局正体はわからず、その間に蛍たちが一試合目を勝ち抜いてしまった。
 続く二試合目で、せつなは綾華と組んだため、そのときの彼女の様子をトーマが自分の目で確認することはなかった。しかし、二試合目を終えた後に綾華から「ずっと私の手を握ったまま離してくれなかったのですが……一試合目で何かあったのですか?」と聞かされたときは、羨ましさと罪悪感が同時にトーマを襲った。

 そして、全ての肝試しの試合が終わった今。

「ほんっとうにごめん!」

 浜辺に設営された三川花祭の会場。おにぎりや三食団子、卵焼きやおでんが並んだ屋台に腰かけたトーマは、何度目かもわからない謝罪の言葉をせつなに送っていた。せつなは目の前に並んだ食事に視線を落としたまま「わたしが悪いんです……」と、消え入りそうな声を漏らした。それがなおさら、トーマの心に小さな針を刺したような痛みを作った。

「魔物退治は得意でも怪談の類いは苦手だからと、綾人さまに誘われた時点で断っておくべきだったの。でも、みんな参加するというから気になってしまって……それに、わたしが強がって怖くないなんて言ったから……」
「違う、違うんだ。せつなが怖がっていたことはわかってたよ」
「え……?」
「わかってて、わざとせつなを怖がらせた。だって、知らないフリを続けていたら、次もせつなは恐怖を殺して強がりを続けないといけないだろう?」

 だから、例え怖がらせて、最悪泣かせてしまう結果になったとしても。

「オレの前では強がったりせずにありのままのせつなでいて欲しいし、頼ったり甘えたりしてほしかったんだ」
「トーマさん……」
「だって、オレはせつなの……恋人だろう?」

 トーマが贈った月下美人の簪が、せつなの髪を飾ったあの日。簪に込められた想いを受け止めたせつなは、同じ想いをトーマへと返した。その日から、同じ社奉行に所属する仲間であり友人から恋人同士へと、二人の関係は少しだけ形を変えた。
 だからといって、恥ずかしがり屋で純粋なせつなを相手に、急に距離を詰めるようなことをトーマがするわけもなく。花の綻びを待つようにゆっくり、少しずつ、二人は想いを育んでいるところだった。
 だいぶ恋人同士と呼べる距離感になってきたとトーマは思っていたが、まだ理想とは少し離れていることを今回の肝試し大会で痛感した。本音を言うと、最初に木の枝を手に思わせて脅かしたとき、迷わず抱きついてくれていたら理想通りだった。だから少しだけ、トーマが寂しい思いをしたこともまた事実で。
 トーマを不安にさせてしまったことい気が付いたせつなは「……はい」と、力強く頷いてトーマの言葉を肯定した。

「うまく甘えられなくてごめんなさい」
「いや、いいんだ。せつなはそういう性格だってことは知っているし、そんなところも好きだから」
「……ありがとう。でも、トーマさんがいなくなったときは、本当に、怖かった。幽霊が出た恐怖ではなくて、トーマさんに何かあったんじゃないかと、わたし……」
「あー、もう、その件は本当にごめん! もう二度とそんなことはしないよ。……どうしたら許してくれる?」

 自分の身を使った脅かしは今後一切しないとトーマが強く誓うほど、せつなを怖がらせ心配させてしまったことは完全に自分自身が悪いと理解している。だから、許してもらえるまで何度でも頭を下げるつもりだし、なんでもするつもりだった。
 せつなは少し考え込んだ後に「おにぎり」と、答えた。

「屋台のご飯も美味しいと思うけれど……トーマさんのおにぎりが食べたいです」
「うん! お安い御用だよ! 屋敷に戻ったら作ってあげる」
「それから、お面が欲しいな。あっちで友浩さんが売っていた……」
「いいね! 肝試し大会の思い出に買ってあげるよ! どうせなら、みんなの分もお土産に買ってお揃いにしようか。オレとせつな、若とお嬢、それから早柚の分もだと五枚必要かな」
「そんなに買うの? ……ふふっ。ありがとう、トーマさん。……あの」

 雲に隠れていた月が明かりを取り戻したような柔らかさで、せつなは微笑んだ。ようやく今日という日、初めてせつなの笑顔を見られたことに安堵したトーマも同じように微笑んだ。ゆっくりでも、ぎこちなくても、少しずつ二人だけの恋の形を作っていけたらいい。
 その頬を、トーマは手のひらで優しく撫でる。まるで宝物に触れるように、優しく。そして、せつなの言葉の続きを待った。

「わたし、あの……ちゃんと、トーマさんのこと……好き、です」
「うん、ありがとう。オレもせつなのことが好きだよ」

 想いを告げた日。想いが通じあった日。そして、想いを確認しあった今日という日。どの日の空にも同じように、二人を見守る大輪の花が夜を明るく彩っていた。



2022.12.31


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