世話焼きなふたりの心尽くし

 商隊の護衛任務を終わらせた帰りに立ち寄った望舒旅館には、在りし日と同じ風が流れていた。暗闇に浮かぶ提灯の明かりが、寄り添うふたりの影を作り、まるで影たちが内緒話をしているように見えた夜。幼馴染みだった今までとは違い、恋人としての甘さとぎこちなさを覚えたあの夜は、ミカにとって大切な宝物だった。これからカナリーとの仲が進展しても、何年ずっと一緒にいても、きっと、ずっと覚えているのだろう。

「そういえば、カナリーとお付き合いを始めたんですってね」

 エウルアが放ったその一言で、ミカは想い出に浸っていたところを問答無用で現実に引き戻された。その上、動揺のあまりに飲んでいた炭酸水が気管に入り咽こんでしまい、呼吸を整えるまでさらに時間をかけることになった。

「え、エウルア隊長!? いったいどこでその話を……!」
「ここにカナリーと仲の良い子がいるでしょう?」
「アンバー先輩……」
「え? ごめん、言っちゃダメだった?」
「いえ、内緒にしたいというわけではありませんが……」
「安心しなさい。アンバーから聞く前に、君のお兄さんがお酒を飲みながら大声を上げて話しているのを聞いたの。『あの小さかったミカが一丁前になって』って、涙ぐんでいたわよ」
「兄さん……」

 むしろアンバーから聞いたことだけ知りたかった。ミカと同じく西風騎士団に所属しているミカの実兄――ホフマンから、しかも酒の場で面倒くさい酔い方をしながら聞かされたとは、二重の意味で胃が痛い。
 それに、とミカは同じ卓を囲んで座っているエウルアとアンバーの視線を受けて微かに身動いだ。嫌な予感がする。女という生き物は何歳になっても恋の話が好きなのだと、酔っぱらいながら話していた兄の言葉が脳裏に過ぎた。
 そしてそれは、的中することになるのだ。

「それで、どうなの?」
「わたしも聞きたい!」

 この言葉に対してとぼけるほど、ミカの頭の回転は鈍くない。むしろ、人の観察を得意としているミカには否応なしに、ふたりが望んでいるものがわかってしまう。『カナリーと付き合ってどうなのか』という、恋の話をミカの口から聞きたいのだと。
 上司と先輩の前でいつものようにカナちゃんと呼んでしまわないよう注意しながら、ミカはゆっくり口を開いた。

「どうと言われましても……彼女は僕にとってもったいないくらい素敵な人で、一緒にいてとても楽しいですし、お互いに成長できるといいますか……」
「それはわかってる! だってカナリーはわたしの大親友なんだから! エウルアが聞きたいのはそういうことじゃないよね?」
「ええ」

 世の男性が見たら卒倒してしまいそうな魅力的な笑顔で、エウルアは続けた。

「ミカは以前にも、瑠月に来たことがあるんじゃない?」
「はい。璃月とモンドの人たちによって開催された両国詩歌握手歓談会の会場設営と警備にあたりました」
「そこにカナリーもいたでしょ?」
「は、はい。会場周辺の魔物退治を依頼されたとかで……」
「そして、数日に渡った大会に参加した人のほとんどはここ、望舒旅館に泊まった……そうよね?」
「その通りですが……?」
「それで、どうだったの?」
「どうと言われましても、ノエル先輩や大会で知り合った璃月のみなさんとゲームに参加したり、食事をしたりしましたが……あ、もちろん彼女も一緒です」

 ミカとしては正直に完璧な回答を返したつもりだったが、どうやらエウルアのお気に召さなかったらしい。一寸の狂いもなく整った美しい眉が歪み、色づいた唇からは重いため息が零れた。

「そうじゃなくて、いい雰囲気にならなかったのかって聞いているのよ」
「い、いい雰囲気!? エウルア隊長、お酒を飲んでいませんか!?」
「飲んでいるわけないじゃない。料理が出てくるまで部下の恋の相談に乗るのも面白いかなと思っただけ」
「そ、相談と言われましても、僕は特に……」
「でも、せっかく彼氏彼女になったのに何も進展しなかったってこと? それって、カナリーは不安になっていたりしないかな?」
「えっ」
「せっかくのお泊りだったのに、キスの一つもなかったんでしょ? カナリー、がっかりしてるかもよ」
「それは……その……なにもなかった……わけでは……」
「したの!?」
「いいいいえ! 未遂! 未遂です! ちょっとタイミングが……」
「なんだぁ。でも、あと少しだったんだね」

 目の前で長年の想いが通じ合ったフィンチとカリロエーに感化されて『そういう雰囲気』になったことは確かだ。カナリーにその気があったのかは定かではないが、少なくともミカは、触れたいと、思ってしまった。ノエルがあの場に現れなかったら、きっと、そのまま――。
 そのような雰囲気になったこと自体、幼馴染期間が長かった二人にとっては大きな進歩だった。の、だが。

「私の部下にしては意気地がないんじゃないかしら? それとも、キスのやり方がわからない?」
「そういうわけでは……」
「シチュエーションも大事だよね! 女の子が好きな雰囲気とか教えてあげよっか?」
「ま、待ってください!」

 ミカは慌ててはっきりと声を上げた。注目されている感覚に居心地の悪さを覚えつつ、ミカは当たり障りない言葉を選んで口を開く。

「おふたりが心配してくださるのはとてもありがたいのですが……ごめんなさい。そういうことは僕がしっかりと考えたいので。……他の女性からもらったアドバイスを参考にして、彼女の前には立てないから」

 エウルアとアンバーが、自分とカナリーの仲を応援してくれるのは嬉しい。しかし、ミカとカナリーにはふたりのペースがある。わからないことはふたりで悩み、悲しいことがあったら分け合い、嬉しいことがあったら一緒に笑いながら、ふたりのスピードでどこまでも飛んでいきたい。それはきっと、幼馴染から恋人になったとしても変わらなくていい部分だと思うから。

「ふーん。言うじゃない」
「す、すみません! 生意気なのはわかっていますが……」
「そうじゃないよ。エウルアは褒めているの。ね?」
「えっ?」
「さあ。どうかしらね」
「……ありがとうございます。エウルア隊長」

 エウルアの眼差しを見たらアンバーの言う通りだということがわかった。一見突き放すような言い回しの裏には、ユーモアや優しさが隠されている。それはミカが憧れているエウルアの『強者』としての鱗片でもあった。
 こうして見守ってくれる人がまわりにいるのはありがたいことだ。ミカにとっても、そしてきっとカナリーにとっても。

「おーい! 料理が出来上がったぞ!」
「あら残念。話はここまでね」
「はい」
「次はもう少し面白い話を期待しているわよ」
「ぶっ!?」

 エウルアの揶揄っているような口ぶりに、一度は落ち着いた熱が首から顔にかけて駆け上がっていく。ミカは持っている炭酸水を一気に飲み干し、渇いた喉を潤しのぼせた頭を冷やしたのだった。



2024.03.02
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