夕焼け色の出逢い


 ルーファという男は、風のような男だった。一つの場所にとどまることを知らず、世界中を渡り歩き、知的好奇心を満たすことが彼の生きがいだった。
 あれはカントー地方だったか、ホウエン地方だったか、それともイッシュ地方だっただろうか。偶然、イチョウ商会という名の商人の集団と同じ集落に滞在していたとき、銀灰色の髪を持った商会のリーダーから「あなたならいつでも商会は歓迎しますよ。どーです?」と声をかけられたこともあったが、ルーファは首を横に振った。世界中に包囲網を持っているイチョウ商会への入会は魅力的な提案ではあった。しかし、場所から場所へと渡り歩き様々なものを手に取るという目的は合致しているものの、ルーファが好むのは「未知を知り追及すること」である。人と関わり縁を繋ぎ、商いを営む彼らとは若干ベクトルが異なるのだ。
 なによりも、ルーファは縛られることが苦手だった。そのときの好奇心と風の赴くままに、好きな場所に行き、好きな場所で眠る。風というよりは、まるでひこうポケモンのようなものかもしれない。止まり木で翼を休めることはあっても、すぐにまた翼を広げて飛んで行ってしまう。誰にも、ルーファを捕まえることはできなかった。

 あるとき、ルーファは舟に揺られてとある場所に向かっていた。名はヒスイ地方のコトブキムラ。聞くところによると、最近になって空に奇妙な裂け目が現れ、地上の局地的な部分で時空の歪みと呼ばれるものが発生するようになったという。それに伴い、凶暴なポケモンがたびたび見られるようになったそうだ。
 コトブキムラに拠点を置く組織、ギンガ団の創設者であるデンボクは、ヒスイ地方を人々が安全に暮らせる理想郷にするために、土地の開拓を進めている。そのためには、未知なる生物である「ポケモン」を知ることが必要不可欠だ。
 そこで、ギンガ団は新たに「調査隊」を設立した。さらには、外の地方から名の知れたポケモン博士を招き、ポケモンの捕獲や観察を行い、その生態系を調査している。
 ルーファは今回、調査隊の博士の助手としてギンガ団への勧誘をもらい、それを了承した。様々な地方を渡り歩いたルーファにとっても、ポケモンというのは未だに謎が多い生き物で、それを知るには絶好の場とチャンスだったからだ。組織に属さなければならないという縛りはできるが、それも好奇心が満たされるまでのこと。役目を終えたらまた次の場所へと流れるままに向かえばいい。ルーファはそう思っていた。

「……見えてきた。あれが天冠山。そして、ヒスイ地方」

 雄大な大地の中心には天を穿たんとする山がそびえ立ち、その頂付近の夕焼け空には不気味な裂け目が発生している。ぱっくりと開いたそれを見ていると「別の世界へと繋がっているのではないか」という錯覚さえ覚えてしまう。
 しかし、得体のしれない裂け目を恐れるどころかルーファは高揚感を溢れさせていた。夕暮れ色の瞳は、これから待ち受ける未知たちを前に好奇心という名の輝きを隠せなかったのだ。

「おい、まずいぞ」
「始まりの浜までもうすぐだってのに……!」

 なにやら、他の乗客が慌ただしく舟の後方へと向かい始めた。何かから逃げるような、そんな素振りだ。
 その反対方向、舟の前方にルーファが視線を送ると、海水が盛り上がり水の柱が現れた。揺れる舟にしがみつきながら、ルーファがそれを見上げる。海の中から現れたのは、凶悪な歯をちらつかせその巨体を隠すことなくさらけ出した水の竜――ギャラドスだった。
 様々な地方を渡り歩いてきたルーファだ。ポケモンに襲われることにも、死と隣り合わせの恐怖にも慣れている。大きく息を吸って、幾度となく修羅場を潜り抜けてきた相棒の名を、叫ぶ。

「リザードン!」

 すると、天高くを飛んでいたルーファの相棒である炎の竜――リザードンは急降下すると、ギャラドスに体当たりしてその巨体を海面に倒した。水しぶきが雨のように降ってくる中で、ルーファは小さく舌を打った。
 今までの経験上、ほのおタイプであるリザードンにとって、みずタイプのギャラドスには相性的に不利だ。相手の攻撃を避けつつ、ほのおタイプではない技を選び攻撃をすればなんとかなるかもしれない。もしくは、他にも誰かポケモンを持っていて、一緒に戦ってくれたらいいのだが。
 ルーファは肩越しに振り返った。乗客はもちろんのこと、船長さえもポケモンを所持している様子はない。コトブキムラに着いたら乗組員へのポケモンの所持を提案しようと強く決める。もちろん「無事に」着いたら、ということが前提の話だが。
 ギャラドスは怒り狂い、長く太い尾を振り回して攻撃を仕掛けてきた。リザードンは空を飛んで攻撃を避け、隙を狙ってエアスラッシュを繰り出す。決定打にはなっていないが、これでギャラドスが戦意をなくしてくれたら万々歳だ。
 しかし、現実はそううまく運ばないもので。

「っ、飛んだ!?」

 ギャラドスはその巨体を海面から浮かせ、空に舞った。口元にエネルギーが集まっていく。何の攻撃を仕掛けてくるつもりか定かではないが、それはこちらを舟ごと海に沈める一撃だということは察しが付く。
 ――ここで、終わるのだろうか。
 ルーファの脳裏に「諦め」という言葉が浮かんだ、そのとき。
 宙を裂く衝撃波が、ギャラドスを攻撃した。

「これは、エアスラッシュ……いや、エアカッター!?」

 しかし、それはルーファのリザードンが放つエアスラッシュの何倍もの威力だった。どこからともなく放たれたエアカッターはギャラドスの攻撃を妨害しただけでなく、ギャラドスを再び海へと沈めた。明らかに「戦うもの」として訓練を受けているポケモンが放つ精度の技だった。
 リザードンの隣に飛んできたのは、黒い翼を持ったひこうポケモン――ドンカラスだった。

「一緒に戦ってくれるのか?」

 ルーファが問うと、ドンカラスは高い声をあげて鳴いた。ギャラドスは半ば戦意を失っている。今が、チャンスだ。

「リザードン、エアスラッシュ! ドンカラス、エアカッター!」

 二翼から放たれた風の刃が、ギャラドスに命中した。ギャラドスは轟音のような鳴き声を残して、海の底へと逃げて行ってしまった。ルーファはしばらく放心していたが、他の乗客の歓声で現実に引き戻された。生き延びることができたのだ、と。

「助けてくれてありがとう。浜に着いたらきみのパートナーに礼を言わないといけないね」

 リザードンと並んで海面近くを飛ぶドンカラスに話しかけながら、ルーファの視線は前を見据えていた。浜には舟の到着を待っている人だかりが見える。大切な誰かを待っていたり、物資の到着を待っていたりと、集まっている理由は様々だろう。あの中に、このドンカラスを使役して助け舟を出してくれた人間がいるはずだ。これほどの実力を持ったドンカラスを育て上げたのだから、おそらく相当の手練れだろうとルーファは勝手に想像していた。
 舟が停まり、桟橋に降り立つ。足元がまだ頼りない感覚だが、自分の足で一歩踏み出すと生きていることがより実感できる気がした。
 ドンカラスはルーファの隣を飛び過ぎていき、とある人物の隣に着地した。ルーファはその人物から目をそらせなかった。ドンカラスを使役しているのは屈強な男だとばかり思っていたが、それが美しい女性だったのだから当然のことだった。
 ルーファよりも高い長身と、警備隊の制服を着ていてもわかる鍛え上げられた筋肉質な体から、手練れであることは間違いなさそうだ。しかし、夕焼けのように赤い髪は丁寧に結われ、ぱっちりした目元や紅を引いている唇は女性特有の曲線を帯びている。そしてなによりも、ドンカラスを労わっている笑顔は太陽のように明るく、野に咲く花のように可憐だった。

「そのドンカラスはあなたのポケモンですか?」
「おう、そうだよ! あんたは?」
「ぼくはルーファ。ギンガ団の調査隊で博士の助手をするためにヒスイに来ました。あなたは?」
「あたしは警備隊長のペリーラさ! 同じギンガ団員同士よろしく、ルーファさん!」

 これがルーファとペリーラという、正反対な男女の始まり。風のように留まることを知らなかった男が、やがて愛するようになる女性のためにヒスイという地に翼を降ろすきっかけとなった、小さな出会いだった。



2022.06.23

目次 − 次

- ナノ -