君が隣にいるということ


あれは何歳の頃だっただろう。確か十代半ば頃だったような気がする。『幼馴染み』から『恋人』になったのはオレ達にとって、思い出すことが曖昧なくらい、その差に違いのない出来事だったのだ。







切欠はオレの母さんの言葉だった。クロエがオレの家に遊びに来ていたときのことだ。いつも通り、一緒に昼飯を食って、一緒に昼寝して、一緒にゲームをして遊んでいた。夕食時になりクロエが帰っていった後、母さんは言ったのだ。

「ねぇ」
「ん?」
「あんたとクロエちゃん……ちょっと距離が近すぎない?」

まるで、悪いことをした子供を咎めるかのような言い方だった。オレがその言葉の意味をまるで理解していないでいると、母さんは呆れたようにため息をついた。

「広いテーブルなのにわざわざ隣の席でご飯を食べたり、一枚のタオルケットでくっついて昼寝をしたり、クロエちゃんを膝にのせてゲームをしたり」
「ああ、そういうことか。ふーん……って、今さらじゃね?」
「そうね、お母さんもそう思ってたわよ……あんた達が小さい頃から見慣れていたことだったからあまり気にしていなかったけど、最近ふと気付いたの」
「なにが?」
「二人のサイズ感がおかしい」
「は?サイズ?」
「子供の頃はそれで良かったかもしれないけど、もう二人とも男の子と女の子なんだから……」

そこまで言われてようやく理解した。オレが男で、クロエが女。そうか。あまりにも近くで一緒にいすぎて忘れてしまっていた。オレ達も世間的にはそう見られる年頃になったのか。
オレとクロエは家が隣で、両親同士の仲が良く、生まれたときから一緒にいた。今までもそうだったし、これからもずっとそうだと、信じて疑わなかった。
しかし、ただの幼馴染みという間柄では、ずっと隣に居続けることは難しいらしい。オレ達をずっと見てきた母さんですら違和感を感じていたのだから、きっと他の連中から見たらなおさらだろう。
それならば、これからどうしたらいいのか。答えは至ってシンプルかつ簡単だ。幼馴染みより先のステップへと進む以外に選択肢はない。
クロエに恋しているかどうかは、正直分からない。ただ、オレにとってクロエ以上の存在は、今までもこれから先も、きっと現れないだろうと思った。

「キバナ君」
「クロエ。来てくれたか」
「どうしたの?昼間会ったばかりなのに、改めて話って何?」

夕食が終わった頃、メッセージを送ってクロエを呼び出した。石畳の階段に腰かけていたオレの隣に腰を下ろし、クロエが首を傾げる。
世間的に言うならば、オレは今から告白とやらをするのだろう。でも、緊張はしなかった。クロエの答えも、クロエとの未来も、手に取るように想像することが出来たからだ。

「クロエはオレのことをどう思ってる?」
「どうって?」
「オレにとってクロエは幼馴染みで、近くにいすぎて……そうだな、半身みたいなものとすら思っている。オレの隣にいるのは今までもこれからもクロエ以外に想像がつないんだよ」
「……うん。私もそう思ってる。でも、今さらどうしたの?だったら、ずっと一緒にいたらいいだけのことでしょう?」
「ああ。でもな、オレ達ももう男女として意識される年齢らしい。厄介なことに、子供の頃はただ幼馴染みとして一緒にいるだけでよかったのに、この年齢にもなるとそうもいかなくなるんだな」

いつも自信に満ちているクロエの表情が、少しだけ不安で揺れた。

「じゃあ、これからはどうしたらいいのよ」
「オレにとっては至極簡単に、これからも一緒にいられる理由付けは出来るんだが……」
「それなら、そうしてちょうだい。キバナ君が隣からいなくなる以上に耐えられないことなんてないわ」
「わかった」

肩に腕を回して引き寄せる。その瞬間、クロエが息を詰めたのが分かった。誰かに教わったわけでもないのに、唇同士が触れ合ったとき、自然と目を閉じていた。
ふわり。風呂上がりだろうか。柔らかく甘い香りがする。肩だってこんなに細かったんだな。今まであまり意識したことはなかったが、これからはクロエの女としての部分を存分に意識することになりそうだ。
数秒間のキスを終えて、ゆっくりと唇を離した。クロエは思考が止まったかのようにキョトンとしていたが、微かに頬が染まっていた。

「『恋人同士』になればいい」
「……」
「な?簡単だろ?」
「……ええ。本当に」

そしてオレ達は、確かめ合うようにもう一度キスをした。こうして、オレとクロエは『幼馴染み』から『恋人同士』へとなったのだった。







店を出てルリナと別れたオレとクロエは家路についていた。職業柄、クロエは喧嘩や肉弾戦の類いで言うと、下手したらオレよりも強い。それでいて、ポケモンバトルの腕だってジムリーダーと並ぶほどの実力を持っている。
しかし、いくらクロエが物理的に強いとはいえ、オレにとって大切な幼馴染みであり恋人であることに変わりはない。夜に外出したときはもちろん、毎回家まで送り届けている。と言っても、家は隣通しなので帰る方向は常に一緒なのだが。
世間的に認められているとはいえ、オレと歩くとどうしたって注目されてしまうので、比較的人通りが少ない道を選んで歩いた。薄暗い夜道、街灯が照らすクロエの横顔は、どこか晴れなかった。まるで置き去りにされた子供のように、寂しげで、不安そうで。思わずその手を握った。

「どうかしたのか?」
「……うん。さっきのキバナ君の言葉で、ちょっと思い出しちゃった」
「なにを?」
「……私の隣にキバナ君がいてくれることは、当たり前ではないこと」

さっき、と考えてハッとした。ルリナの前で何気なく言った、あの言葉のことだろう。『オレさまも当たり前のようにそう思ってた……』と。
そうだ。クロエは『当たり前』とか『いつも通り』とか、そういう言葉に敏感なのだ。それは昔、自分の弱さと不注意が原因で、突然父親とそのポケモンを亡くし、日常が崩れ落ちたことがトラウマとなっている。
それ以来、クロエは自分のせいで平穏な毎日が崩れてしまわないよう、強く在り続ける努力を怠らなかった。しかし、それでも、不可抗力な出来事というものは突然やって来るものなのだ。

「確かに、明日がどうなるかなんて誰にも分からねぇよ」
「っ」
「でも」

生きている限り、何が起こるかわからない。こうして並んで歩いているところに、車が突っ込んでくるかもしれない。明日、大病が発覚して残り少ない命と宣告されるかもしれない。
いくら努力したって、強く在り続けたって、どうにもならない出来事だってある。だからこそ、何があっても後悔しないように、オレ達は今を守りながら全力で生きるのだ。
今のオレ達を『当たり前』にし続けるために。

「オレさまはオレさまの意志でクロエの隣に居続けるぜし、クロエにはオレさまの隣にいてもらうぜ」

ニッと自信たっぷりに笑って見せる。オレさまは貪欲なのだ。欲しいものは手に入れるし、諦めたり手放したりしない。運命にだって邪魔されてやるつもりはない。
クロエは目を見開き、フフッと笑った。

「まるでプロポーズみたいね?」
「そういや、恋人から次へのステップと言えば夫婦だよな」
「そうね。でも、私達にはまだ早い気がするわ」
「だな。もう少し先だな。そのときはちゃんと言葉にするから楽しみにしててくれよ」
「ええ」

ここまで自然な流れで、夫婦になる未来を当たり前のように語るなんて、端から聞いたらとても不思議な会話だと思う。でも、それがオレとクロエという関係なのだ。

「それより、クロエ」
「なに?」
「確か今日は夜勤って言ってたよな?」
「ママのこと?ええ、そうよ」
「上がっていっていいか?」

クロエは数回瞬いたあと、意味を理解したのか少しだけ頬を染め、小さく頷いた。クロエがこんな顔をするなんて、普段の勝ち気でシビアな彼女しか知らない人からすると想像すら出来ないだろう。
クロエのこういう表情はきっとオレさま以外に誰も知らないし、これから先も誰にも見せるつもりもない。クロエの隣にいることを許された、オレさまだけの特権なのだ。





2020.1.10


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