氷雪を溶かす人


ワイルドエリア。ナックルシティをはじめとする複数の街同士を繋ぐこのエリアは、自然が豊かなガラル地方の中でも特に広大な自然が広がっているエリアであり、ガラル地方で最も多くの種類のポケモンが生息しているエリアだ。もちろん、手持ちのポケモンを鍛えに来たり、珍しいポケモンをゲットしに来たりと、多くのポケモントレーナーが毎日足を運んでいる。そして、そんなワイルドエリアが私の職場でもある。
ワイルドエリアの面積は複数の街の広さを足しても足りないほどであり、それだけ広いエリアともなれば、当然のように迷う人が出てくる。さらには、ポケモンセンターがない。様々な特性を持つポケモンが生息しているためか、天候がコロコロと変わる。そもそも、野生のポケモンのレベルが高く、並みのトレーナーでは太刀打ち出来ない。といった理由により、遭難者が後を絶たない。最悪、死体で発見されるトレーナーやポケモンだって少なくはないのだ。
まさに、魔境と呼ばれるに相応しいこのエリア。それでも、ポケモントレーナーがこの地を訪れるのは、未知を探りたい、挑戦したいという探検心からだろうか。気持ちは分かる。私だってポケモントレーナーなのだ。それでも、命を落としてしまっては元も子もない。引き返せなくなる前に、引き返すべきなのだ。

「はい。こちら、げきりんの湖。天候は雪。少し吹雪いてきたところです……はい。今のところ異常なし。引き続きパトロールを続けます」

本部への報告を終えると無線を切り、私は再び視線を周囲に配りながら、今日の担当エリアの見回りを再開する。
危険と隣り合わせであるワイルドエリアの治安を維持、管理するスタッフ。それが私の仕事だ。冒険に危険は付き物だけれど、ワイルドエリアでの冒険は道端の草むらに飛び込んで野生のポケモンを捕まえる程度の冒険とは訳が違う。広大な地理と複雑な天候による遭難や、高レベルの野生ポケモンからの奇襲などから、トレーナーやポケモンを守るために日々ワイルドエリアをパトロールしている。
他にも細かい仕事はあるけれど、主な業務はやはりパトロールだ。今日、私が担当しているげきりんの湖は雪から吹雪へと変わりつつあるせいか、トレーナーはほぼ見当たらない。雪ならともかく、吹雪いているエリアへ好き好んで近づくトレーナーなんて、目当てのポケモンでもいない限り滅多にいない。野宿や食事をとるためにテントを張るにしたって、雨が降っているエリアの方がまだマシだと思う。
それにしても、寒い。ただでさえガラルは寒い気候だというのに。吹雪くと分かっていれば防寒着を持ってきていたけれど、荷物になっては邪魔だからという怠惰な考えで置いてきてしまった。気休め程度に襟元を引き上げる。

「……雪」

雪は、少し苦手だ。あの日を思い出してしまうから。







今から十年ほど前、駆け出しのポケモントレーナーだった私はジムチャレンジを突破するためにワイルドエリアでポケモン達を鍛えていた。その時、バトルに夢中になっていたからか、はたまたジムバッジを複数ゲットしていて慢心していたからか、いつの間にか自分の手持ち以上のレベルのポケモンがいるエリアに迷い混んでしまったのだ。
雪だった天候は次第に吹雪いてきた。視界は悪く体温は奪われ、意識が朦朧としていたのを覚えている。そして、追い討ちをかけるかのように、自分達より遥かに高いレベルのオニゴーリが現れたのだ。
私も、モンスターボールの外に出していたポニータも、足元からジワジワと凍らされていった。他のポケモンを出そうにも、モンスターボールは一番に凍らされてしまっており、開閉出来なくなっていた。このオニゴーリ、ポケモントレーナーを襲い慣れている。今日もいつものように獲物を探していたのだろう。そう悟ったとき、私は無意味な抵抗をやめて体の力を抜いた。
オニゴーリは獲物を氷付けにしてから、その大きな口と頑丈な顎で噛み砕くと言われている。それならば、少しは救いがあるかもしれない。先に凍死させられてしまえば噛み砕かれる痛みは……

「クロエ!」
「クロエ!」

二人分の私を呼ぶ声が聞こえた。それがパパとキバナ君の声だと分かった瞬間、鮮血が辺りに散ったと同時に、私は意識を手放したのだ。

次に目が覚めたとき、病院のベッドの傍らで静かに涙を流していたキバナ君に連れられて見た光景に、打ちのめされた。嗚咽し膝から崩れ落ちているママと、それを支えているキバナ君のパパとママ。その前には、白い布で顔を覆われて横たわっている「誰か」の姿が……
その時、私は大切な人の命と引き換えに、自身の命が救われたことを知ったのだった。







「……ギャロップ。貴方も思い出していたの?」

私の思考を見透かすように、あの時ポニータだったこの子は身を擦り寄せてきた。その鬣を撫でながら、そっと目を閉じる。

野生のオニゴーリに襲われたあの時、私とポニータを庇ってパパは亡くなった。この子の親でパパのパートナーだったギャロップは、氷付けにされてオニゴーリの餌になったと、後からキバナ君から聞いた。彼らが犠牲となっている間に、キバナ君はコータスに命じて私の氷を溶かし、気絶している私をジュラルドンに担いでもらい逃げ帰ることが出来たのだという。
パパはワイルドエリアの管理スタッフだった。危険は承知だったし、我が子を守れたのだから本望だろうと、私のママはそう言って私を抱き締めてくれた。でも、嗚咽するママの姿は何年経っても頭から消えない。最愛の人を亡くした穴は、永遠に埋められるものではない。

その時から、私は繰り返される毎日が当たり前ではないことを思い知った。今生きていられることは奇跡であり、無事に一日を終えられたら感謝する。
そして、大切な人が傍にいる平穏な毎日を守るためには強くならなければならない。慢心を捨て、強さの天井を打ち破り、身も心も常に鍛え続けるのだ。自分の弱さのせいで二度と大切な人を失わないためにも、私のような思いをする人を生み出さないためにも。
だから、私はあの事件があってもジムチャレンジを諦めなかった。セミファイナルで敗退してしまったけれど、得た強さと培った経験は大きな財産となった。そして、チャンピオンカップが終わったあとも強さを求め続けた結果、パパと同じワイルドエリアの管理スタッフになったのだ。

静かに目を開ける。背後から近付いてくる気配に気付かないような私達ではない。あの頃とは違う。

「ギャロップ!マジカルシャイン!」

振り向き様に眩い光を放つ。私達を奇襲しようとしていたキリキザンは戦意を失い、雪の中へと姿を消した。
あの頃の私達が今くらい強ければ、何も失わずに済んだのだろう。仮定をいくら語ったところで何も還っては来ないけれど、それでも、どうしても。

「クロエ!」

上空からキバナ君の声が降ってきて顔を上げる。フライゴンに乗ったキバナ君がこちらへと降りてきているところだった。でも、あと少しで地上というところでフライゴンは自らボールに戻ってしまい、キバナ君は前のめりになりながら足を着いた。

「うわっ!?フライゴン!雪が苦手なのは分かるけどもう少し頑張ってくれよ!」
「ふふっ。キバナ君もポケモン達も雪は苦手だものね」
「ああ。天候パーティ使いといえど、ドラゴンタイプを好んでるのに、わざわざ天候を霰にする理由はねぇからな」
「それもそうね。CMの撮影は終わったの?結構早かったのね」
「まぁな。NG出さなかったし、巻きで終わらせてきた」
「どうして?そんなに早く私に逢いたかったのかしら?」
「ああ。げきりんの湖の天気が雪、時々吹雪だって、ネット天気で見たから飛んできた。クロエも雪は苦手だろ?」
「……そうね」

クロエ「も」とキバナ君は言うけれど、それは彼にとってのタイプ相性としての苦手とは違う意味であることを、私も彼も理解している。本当に、キバナ君には敵わない。
キバナ君はスマホロトムを出しながら、ユニフォームの上から着ているドラゴンモチーフのパーカーを脱いで、当たり前のように私にかけた。彼の体温で温もっていたそれに袖を通すと、寒さも辛さも寂しさも一気に溶けて消えていく気がした。

「ありがとう」
「ん。じゃ、オレさまはこの辺りでトレーニングしてるからな」
「ええ。仕事が上がったらここに戻ってくるわね」
「おう。さてと、トレーニングの様子を自撮りしてポケスタグラムにアップするか。ロトム。一枚頼むぜ」
『任せるロトー!』

キバナ君のスマホロトムが宙に浮かび、シャッターを切る。見上げた空はいつの間にか雪が止み、晴れ間が差し込み始めていた。





2020.1.3


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