儚さの永久性


久しぶりに飲んだ行きつけのカフェのハーブティーはやっぱり美味しい。でも、ポプラさんが淹れてくれた紅茶をしばらく飲み慣れると少しだけ物足りなく感じてしまう。
向かいに座っているキバナ君が頼んだコーヒーは、一度も口をつけられることなくすっかり冷めてしまっていると思う。それほど、彼は熱心にタブレットを見てバトルのシミュレーションを繰り返している。
こういうとき、私の声は聞こえないだろうからフルーツロールを頬張りながらゆっくりと待つのだ。

タンッ、と画面をタップして顔を上げる。納得のいく結果が出たようだ。

「サンキュ。フェアリータイプへの対策について、意見聞けて助かった」
「どういたしまして。こちらこそ、ご馳走してくれてありがとう」
「今日のメインはクロエのお疲れさま会だからな。つっても、ほとんどオレ様の相談を聞いてもらう会になっちまったが」
「いいのよ。頼ってもらえるのは嬉しいし、そもそもキバナ君はジムチャレンジ期間で忙しいんだから。私はもう少しゆっくりしていくから、スタジアムに戻っても大丈夫よ?」
「え」
「さっき相談してたこと、実戦してみたいんでしょう?」
「バレたか。クロエにはお見通しだな」
「ふふっ。だって、生まれたときから一緒にいるのよ?」
「だな。実は、少し前にネズから連絡があったんだ」
「ネズ君?そういえば、スパイクタウンでトラブルがあってるって話してたわよね。その件?」
「ああ。無事に解決したみたいで、迷惑をかけて悪かったって謝罪があった。ついでに、妹のマリィを含めチャレンジャーが数名突破していったからよろしく、だと」
「本当?じゃあ、いよいよ出番なのね」
「そうなんだよ。明日からでもバトルが始まるだろうから、最後にクロエに相談して対策を完璧にしておきたくてな」
「そういうことなら、なおさらスタジアムに戻らなきゃ」
「サンキュ。明日まで休みだろ?良い席を取っておくからオレ様の試合、見に来てくれよ」
「もちろん。誰がキバナ君に挑みに来るのか楽しみだわ」
「じゃ、あとから電子チケット送っとくな」
「ありがと。明日は頑張って」

コーヒーを一気に飲み干して、キバナ君はカフェを出ていった。

その数分後、出ていったキバナ君と入れ替わるようにカフェの扉が開いた。オレンジ色のサイドテールを揺らしながら入ってきたのは、ソニアだ。
声をかけようとしたところ、その出で立ちに瞬く。エメラルドグリーンのニットの上に羽織っているのは、いつも着ているジャケットではなくパリッとした真新しい白衣だったのだ。
驚いて声をかけられずにいると、テイクアウトのドリンクを受け取ったソニアと目が合った。

「あれ?クロエだ」
「ソニア」
「偶然じゃん。座って良い?」
「もちろん。ねぇ、ソニア。その白衣もしかして……?」
「うん!おばあ様からいただいの!今の研究を終わらせるために、ってね。どう?」
「似合う似合う!ソニア博士の誕生ね」

ジムチャレンジのセミファイナルで準優勝を飾ったあとから、ソニアはポケモン博士になるためにずっと頑張ってきた。
彼女の幼馴染みでありセミファイナルの頂点を争ったライバルのダンデ君が、新しいチャンピオンとして栄光を一身に浴び続ける傍ら、いつまでも博士の助手、博士の卵という肩書きから成長出来ていないことを、彼女が気にしているのも知っていた。
だから、ようやくソニアの努力が報われ、夢を叶えた姿を見ることが出来て心から嬉しい。後日きちんとお祝いしなきゃね。

「クロエはしばらくアラベスクタウンに行ってたんだよね?元気だった?」
「ええ。昨日の夕方に戻ってきたところなの。久しぶりにポプラさんに会えたし、弟弟子が出来て有意義な時間を過ごせたわ」
「よかった。ねぇ、ポプラさんってまだあのクイズやってるの?」
「やってるわよ」
「あははっ!やっぱり!あたし達のジムチャレンジ時代から変わってないんだね。あたし、確かクイズは全問正解したんだよね。優秀だけど諦めやすいところがあるって言われちゃったけど」
「私も。あの時から変わってないって言われちゃった。真っ直ぐ過ぎるからまわりを信じることも大切だって」

確か、ダンデ君はポケモンバトルに対する才能は抜きん出ているけれどそれ以外が著しく欠落している。キバナ君は全てにおいて平均以上だけれどあと一歩が足りない。と、ポプラさんから評されていたっけ。
ポプラさんはトレーナー歴が長いだけでなく、劇団の女優として舞台に立っていたことがあり、今は座長としてアラベスクスタジアムに所属する俳優を束ねる人物でもある。様々な役を演じ、様々な人を見てきたその経験から、人の本質を見る力には長けているのだ。

「ソニアはどう?研究は進んでる?」
「うん。英雄が持っていた剣と盾が実はポケモンだったって睨んでるんだけど、ホップ達がそのポケモンにまどろみの森で会ったかもしれないって言うのよ。だから、調べに行くつもり」
「なるほど。ハロンタウンに戻るために、ナックルシティに寄ったのね」
「うん。それもあるんだけどね」
「?」
「この前、ナックルシティが揺れて変な音がしたでしょ?同じ音が7番道路でも聞こえたんだ」
「え……」
「しかも、今回は音だけじゃなくて赤い光が溢れて、野生のポケモンがダイマックスしちゃったんだよ!」

興奮したソニアがスマホロトムを眼前に突きつける。画面に映っているネットニュースには、ダンデ君と相棒のリザードンが載っている。さらにその奥には、マゼンタの光を帯びてダイマックスしたニャイキングが倒れて気絶している姿もある。

「暴れる野生のポケモンをダンデ君とリザードンが鎮めたんだけど、パワースポット以外でポケモンがダイマックスしちゃうなんてね。まるで」
「ナックルシティの宝物庫で見たタペストリーと同じ……」
「うん。大昔にガラルを滅ぼした大厄災。ブラックナイト、みたいだよね。もしかしたら、また赤い光が溢れ出すかもしれない。しかも、それがどこで発生するか検討もつかない。それを予測するのも研究者の仕事なんだけど」
「……」
「この件についておばあ様もローズ委員長に呼び出されたみたいなの。あたし達トレーナーは地上に落ちたねがいぼしから溢れ出るエネルギーを使ってポケモンをダイマックスさせてるんだけど、そのエネルギーを制御する方法はおばあ様でも分からない。ローズ委員長の資料もデータが足りなくてなんとも言えなかったみたいだったけど、あたしはもう一度タペストリーを見るためにナックルシティに……」

話の内容が入ってこない。
伝説の災厄が現代で再現されているとでもいうの?だとしたら、私達はどうすれば良い?英雄がいない現代で、どうすれば自分自身を、大切な人を、日常を守ることが出来る?
今は一匹のポケモンがダイマックスしたくらいで済んでいても、これが十匹、百匹と増え、ジムリーダーやチャンピオン達が束になってでもどうしようもない規模になってしまったら……

「クロエ?大丈夫?」
「え、ええ。ごめんなさい」
「あっ、ごめん!あたしそろそろ行くね!おばあ様にもタペストリーを見てもらって意見を聞くの」

ソニアは慌ただしくカフェから出ていった。親友が座っていた席から目を離せず、根が生えたように動くことが出来ず、私は取り残されたまま。

「大厄災……ブラックナイト……」

呟いたところで何も胸の靄は晴れない。微かに震える指先でハンドルを掴み、渇いた喉を潤すためにティーカップを傾ける。残っていた紅茶はすっかり冷え切っていて、カップの底には僅かな滓を残していた。





2020.5.2


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