魔術師のまにまに


ジムチャレンジ期間も折り返しに差し掛かった。しかし、ナックルスタジアムへ挑戦しに来るチャレンジャーは未だいない。いつか来るチャレンジャーを迎え撃つべく、日々鍛練を欠かさず静かに爪を研いで待つ。それもジムリーダーとしての務めだ。今年はいったい、何人がオレ様のところまで来るのだろう。
例年通り、ジムチャレンジにエントリーしたトレーナーは今年も100名前後だが、一番手のヤローから最後のオレ様のところに来るまでに篩にかけられ、両手で数えるほどのチャレンジャーが残っていればいいほうだ。そして、その中からオレ様を破ることが出来るチャレンジャーは何人現れるのか。今から楽しみで仕方がない。ポケモンバトルは相手が強ければ強いほど燃えるというものだ。

ジムチャレンジ期間中、定期的に行われるテレビ会議ではそれぞれのジムの突破人数などを報告し合う。相変わらずネズは不参加だが、オレ様のところに未だ誰も来ていないということは、ネズが足止めをしているのだろう。

「じゃあ、今日の会議はここまでだ。残りのジムチャレンジ期間も気を緩めずいこうぜ」

メロンさんの報告を最後に、ちょうど終業時刻となった。さすがはオレ様。司会進行タイムキーパーもお手のもの、と自画自賛しておこう。
一人、また一人と回線が切れていく。そうやって、最後に残ったのは意外な人物だった。

『キバナ。相談があるんだけど、いいかねぇ?』
「ポプラさん。もちろんですけど、相談?」

珍しい。ポプラさんはジムリーダー歴70年の大ベテランであり、最年長だ。誰かから相談されることは多くても、誰かに相談することは少ないと思っていたのだが。

『ワイルドエリアのスタッフは足りているかい?』
「はい。ジムチャレンジが始まったときと比べたら、トレーナーの数は落ち着いているみたいで、スタッフにも余裕があります」
『それじゃあ、クロエをあたしのところに寄越してくれないかねぇ?』
「クロエを?」
『ああ。あたしの後継者に良いピンクが見つかったから、育て上げるのにちょっとばかし力を借りたくてねぇ。いくらあたしが16歳のピチピチでも、一人だと骨が折れることもあるんだよ』

16歳……いや、変な術をかけられたらたまらないからそこには触れないでおこう。

ジムリーダー歴70年という数字からわかる通り、ポプラさんは高齢だ。バトルの腕が落ちてきているということはないが、体力的なことや自分の価値観だけでは限界があるということを悟り、ここ十数年は跡継ぎを探していた。
実際、オレ様がジムチャレンジに挑んだときも跡継ぎのオーディションをしていたが、オレ様はそもそもオーディションの対象外だったそうだ。ピンクのピの字も見当たらなかったらしい。
クロエはオーディションこそ受けたものの、不合格だった。しかし、今回ポプラさんから指名があった通り、二人の間にはかつてのジムチャレンジャーとジムリーダーという間柄以上の関係がある。ポプラさんのバトルに魅せられたクロエはジムチャレンジ終了後、フェアリータイプを極めるために彼女へ弟子入りしたのである。

つまり、ポプラさんとクロエは師弟関係にあるのだ。クロエのトゲキッスは、クロエがフェアリータイプの修行を終えたときに、ポプラさんから渡された卵から孵ったトゲピーが育ったものだ。その事実からも、ポプラさんがクロエを認めているということが分かる。

「大丈夫と思いますよ。本部に確認してクロエにも伝えときます」
『すまないね。じゃあ、よろしく頼んだよ』

クロエはその性格から、自分が認めていなかったり関心が薄い相手に対しては手厳しい態度をとることがある。しかし、ポプラさんに対してはこの上ない敬愛の念を抱いているクロエのことだ。寧ろ二つ返事で了承し、飛び上がって喜ぶだろう。







すぐそこに自分の家があるのに、そこに帰らずすぐ手前で90度向きを変えて、幼馴染み兼恋人の実家の扉を叩くのもなんだか変な話だな。そんなことを思いつつも、いつも通りまるで我が家のように上がり込む。扉を開けたときから気付いていたが、今晩はカレーらしい。食欲をそそる匂いにリビングへと導かれる。
クロエの母さんも自分の親のような存在なので、昔から敬語を使わずに話しているが、親しき仲にも礼儀あり。きちんと挨拶はする。

「こんばんは」
「あら。キバナくん、いらっしゃい」
「クロエは?」
「まだ帰ってきてないのよ。そうだ、お夕食食べていって?今日はカレーだから多めに作ってあるの」
「マジすか!じゃ、遠慮なく」

先に手を洗ってからリビングに戻ると、指定席にカレーとサラダが用意されていた。具が大きめでゴロゴロしていてウィンナーがのっているこのカレー、もしかしたらうちのカレーよりも好きかもしれない。「いただきます」と手を合わせ、ルーを多めにスプーンに掬って口に運ぶ。うん、相変わらず美味い。

「うまっ!やっぱオレ様好みの味だなー」
「そう?キバナくんも我が家のカレーを昔から食べてるものね」
「もしかしたら自分ちのより食べてるかも」
「ふふっ……あ、そうだ。最近クロエが少しだけ元気ない気がするんだけど、キバナくん何か知ってる?」

ピタリ、思わず動きが止まる。口元まで運びかけていたスプーンを再度皿の上に戻した。さすが母親。気付いていたのか。

元気がない、というよりは、あらゆるものに対して過敏になってしまっている、と言った方が正しいか。先日のナックルシティで起きた小さな揺れなど、些細なことでも不安になってしまう状態だ。
きっかけは、ガラルで発生した災厄を伝えるタペストリー。あれを宝物庫で見てからというもの、クロエの心は不安定だった。

「心当たりは、まあ」
「そう……あの子は昔から悩みや苦しいことを表に出そうとしないから、心配になることがあるの。でも、キバナくんが気付いてくれているのなら安心ね」
「もちろん。クロエのことは何があっても守るぜ」
「ふふっ。頼もしいわ。いっそ、二人でどこかお部屋を借りて一緒に暮らしたら?」
「ぶっ!?」

今のは、さすがの、オレ様も、噎せた。幼馴染みであり恋人の母親から同棲を勧められるってどういうことだよ。
コトリ、と水が入ったグラスが目の前に置かれたので、間髪入れずに掴んで一気に飲み干す。

「大丈夫?」
「あー、大丈夫……けど、本気か?」
「もちろんよ。あなた達、いずれは結婚するでしょう?」
「オレ様はそのつもりだけど」
「だったら問題ないわ。わたし、ジムチャレンジ期間が終わったらアラベスクへ異動の話が出ているから、実家に帰ろうかなと思っていたの」

カレーを頬張りながら記憶を辿る。
確かクロエの母さんは、アラベスクジムのスポンサーでありガラルでは有名な服飾ブランドのヒジキ・オカを立ち上げた、オカ氏の実の娘だ。クロエはオカ氏の孫娘にあたる。そのオカ氏の家、つまりクロエの母さんの実家がアラベスクにあるのだ。
現在オカ氏は社長を退き会長に就任している。現社長はクロエの母さんの兄、つまりクロエの伯父さんだ。クロエの母さんは若くして結婚したときに家を出て、ナックルシティに移り住んだと聞いたことがある。
この背景があっての、クロエの母さんの発言だった。

「でも、クロエの職場はこっちだし。クロエがこのままキバナくんとナックルシティで暮らすと言うなら反対はしないわ」
「異動って、仕事の?」
「そうそう」
「ただいまー」

帰宅を告げるクロエの声が、外で聞くものより幾分か緩やかだったことに安心した。家の中では自然体でいることが出来ているようだ。

「おかえりなさい」
「ただいま、ママ」
「おかえり」
「キバナ君、来てたのね。あー、お腹すいた」

今日は日差しが強いエリアの見回りでもしていたのだろうか。クロエの頬が日に焼けて微かに赤くなっている気がした。
一度自室へ行きゆったりとした部屋着に着替えてきたクロエは、カレーをよそってから自身の定位置であるオレ様の隣に腰を下ろした。

「ポプラさんから伝言」
「えっ?ポプラさん?」

その名前を聞いたとたん、仕事の疲れからか半分ほどしか開いていなかった目がぱっちりと開いた。思っていた通りの反応に思わず笑ってしまう。

「そ。アラベスクジムの後継者が見つかったらしい。その後継者を一人前のジムリーダーに育て上げるのを手伝ってくれ、だと」
「私が?私で良いの?」
「ああ。本部にも確認してOKをもらったところだ。明日からジムチャレンジが終わるまで原則、クロエはポプラさんのところへ……」
「もちろん!行くわ!ポプラさんに頼ってもらえるなんて、これ以上もない光栄なことだもの!」
「アラベスクに行くの?じゃあ、おじいちゃんとおばあちゃんに伝えておくわね。クロエにお部屋をひとつ用意してもらえていたら、遅くなるときは泊まれるし便利でしょう?」
「ええ!ありがとう、ママ!」
「……妬けるよなぁ」
「何が?」
「いーや。こっちの話」

はぐらかしてみたが、クロエの母さんはクスッと笑った。何でもお見通しのようだ。ここまでクロエを喜ばせることが出来るなんて、な。オレ様もまだまだだ。
でも、安心した。ポプラさんからの依頼は、クロエの心に巣食っていた憂いを一時的にではあるが吹き飛ばすことが出来たらしい。

「じゃあ、ママは仕事に行ってくるから。後はよろしくね」
「ええ。ジムチャレンジ中はポケモンセンターも忙しいと思うけど、気をつけて」
「ありがと。いってきます」

クロエの母さんはポケモンセンターで働いている。そのため、オレ様達の仕事が終わったこの時間から出勤するときもあるのだ。24時間いつでもポケモンを回復させたり預けることが出来るポケモンセンターは、こうやって常に誰かが働いてくれているからこそ運営することが出来ているのだと、ポケモントレーナーとして改めて感謝しないといけないな。

遠くでドアが閉まる音を聞こえた。さっき話していたこと、クロエはもう知っているのだろうか。

「アラベスクに異動になるかもしれないんだって?」
「ママのこと?そうよ」
「で、自分は実家に戻るからクロエはオレ様と一緒に住んだらどうだ?って言われた」

パチリ。クロエは元より大きな目をさらに見開かせたが、それも一瞬のことだった。納得したとでも言うような表情だ。

「そうね。私も一緒に行くつもりだったけど」
「一緒に行くつもりだったのかよ。オレ様と会えなくなるだろ」
「私の仕事場がワイルドエリアなのも、ナックルシティの管轄下なのも変わらないんだから、会おうと思えばいつでも会えるじゃない。それに、キバナ君とは離れていても大丈夫だって自信しかないから何も心配していないわ」

……あー、そういうところな。そういうことをさらっと言うところ。どれだけオレ様が好きか、本人は知らないだろうな。

「でも確かに、アラベスクからワイルドエリアに通うのは大変だし、かといってこの家に一人だと広すぎるわね」
「オレ様の家に来るか?隣だし親もクロエなら大歓迎だ。もしくは、オレ様がこの家に転がり込むか」
「それもいいわね。隣にはキバナ君のご両親がいるから何かあっても安心だし。ふふっ、二世帯住宅みたいね」
「はは!だな」

オレ様達の会話は、世間的には思わず二度聞きしたくなるほどぶっ飛んでいるのかもしれない。でも、これが有りのまま。
幼い頃から二人でいる未来を疑うことなく信じている、二人の形なのだ。

「とりあえず、明日からよろしく頼む。あと、ポプラさんが見つけた後継者、どんなやつか教えてくれよな」
「ええ。もちろんよ」

70年間ジムリーダーを務めたポプラさんのお眼鏡に適ったピンクとは一体どんなやつなのか。おそらく、その知識と技術の全てを惜しみ無く与えても良いと思えるほどの人物であり、ジムリーダーとしての素質も確かだったのだろう。
考えただけで期待に胸が膨らむのと同時に、自然と総毛立ってしまった。これからそいつを待ち受けるのは、フェアリーとピンク漬けの毎日なのだ。





2020.4.11


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