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ガーベラと水恋鳥


 愛らしい花顔とはっきりした花色は見る者を元気にしてくれる。店頭でも人気のある花は依頼主にどこか似ている気がした。

「ガーベラを選ぶなんて、フウロさんらしいな」

 自然保護区に連れて行ってもらったお礼がしたい。そう申し出たアネモネに対して、当初フウロは首を横に振っていた。彼女にとっては自然保護区まで飛ぶのは苦ではなかったし、アネモネと過ごした時間も楽しかったので、特段礼をされるほどのことではないと思っていたからだ。結局、アネモネの熱意に押されてようやく頷いてくれたのだが。
 困らせることが本意ではないので、アネモネは本当に些細な礼を提案した。次に選ぶ花束をプレゼントさせて欲しい、と。その提案を快く受け取ったフウロはガーベラの花をリクエストしたのだった。

 仕事終わりに小さな花束を抱えてジムを訪れるなんて、これが恋人同士ならどれだけ甘いシチュエーションだっただろう。恋人同士じゃなくても食事くらい誘えないものだろうか。
 妄想を振り払って目の前の現実へと向き合う。ジムに入らなければフウロには会えない。しかし、彼女のもとに行くこと自体がこのジムの最難関なのだ。

「……さあ、覚悟を決めて行くか」

 ジムリーダーのほとんどは何かしらのタイプのエキスパートであり、それは任されるジムのギミックにも影響がある。例えば、地面タイプ使いのヤーコンのジムは地下奥深くに下った先にあるし、氷使いのハチクのジムは氷の上をアイススケートのように滑って進むのだ。
 空と風に愛された滑走路がある街、フキヨセシティのジムリーダーであるフウロは当然ながら飛行タイプの使い手だ。ジムのギミックもまた、飛行使いでありパイロットである彼女らしいものなのだ。

「何度見てもこのジムの仕掛けは……ダイナミックと言うか……」

 だいぶオブラートに包まれた言葉が指し示すのは、至るところに設置されている巨大な大砲だ。砲弾はない。なぜならそこに入るのは人間だからである。

「こんにちは。フウロさんに花を届けに来たのですが」
「ああ!聞いていますよ」
「よかった。フウロさんはどこにいるんですか?」
「上でライモンシティのジムリーダーとバトルをしてますね!どうぞ大砲を使ってください」
「……ご丁寧にありがとうございます」

 ジムトレーナーに会釈したアネモネは顔を引つらせながら大砲の口を覗き込む。真っ暗な空洞がぽっかり口を開けて人間を飲み込もうとしている。そう思ってしまう程度には恐怖を感じているらしい。フキヨセジムに来るたびに痛感するのだが、人間が乗ることができるサイズの飛行タイプのポケモンを手持ちに入れておけばよかったと毎回思う。そうすれば最上部までひとっ飛びなのに。
 それでも、アネモネは意を決して大砲の中に入り込む。花を届けるだけならワタッコに任せればいいのに、そうしない理由は言うまでもない。

「っっっっっ!!!!」

 大砲から勢いよく飛び出したアネモネは、その瞬間の景色を心に留める。これが、フウロがいつも見ている景色。自ら風となり、空を舞い、ポケモンと共にどこまでも飛んでいく。その思いを少しでも共有できたような気がした。

(いや、でも普通に怖いけどな!?)

 何度大砲に飛ばされただろうか。ルートを間違ったため最低回数より多くなってしまったのは確かだ。途中で透明な板に激突しそうになりながらも、アネモネはバトルフィールドがある最上階に着地した。

「よかった、なんとか着いた……」
「ぶっとべ!スワンナ!」

 その白い翼は躍然と大空に羽ばたき、旋回し、眼下を睨む。蒼き風使い最強の手札としての女王の貫禄を見せ付けるように、翼を広げる。

「アクアリングで回復源を確保!そしてエアスラッシュ!」
「エモンガ!アクロバットで避けるのよ!」

 空をも切り裂く空気の刃を軽やかに避け、電撃で宙を穿つ。フウロも、カミツレも、両者とも一歩も譲らない。少しでも気を抜いてしまえば墜とされるのは自分のほうだと、ふたりとも理解しているのだ。

「すごい……これがジムリーダー同士の本気のバトル……」

 アネモネは知っているつもりでいた。フウロの強さも、ジムリーダーとしての誇り高さも、理解していると思っていたのだ。しかし、その認識は新たに上書きされることになった。
 彼女の強さに天井はない。あるのは空だけ。無限の可能性だけだ。常に上を目指し続ける彼女はポケモンと共にどこまでも高いところへと飛んでいくのだ。だからこそ、フウロは若くしてジムリーダーとパイロットになるという夢を叶えることができたのだから。

(ああ……好きだな)

 その姿がアネモネにとってとても眩しくて、彼女に抱く想いをただひたすらに噛み締めた。


* * *


 フウロの切り札であるスワンナはカミツレのエモンガたちを倒したが、カミツレの切り札のゼブライカにはあと一歩及ばなかった。電気タイプ相手に、水飛行タイプのスワンナだけでよくここまでもったと言えるだろう。フウロとポケモンたちの実力の高さが伺える。

「カミツレちゃん、お連れ様です!さすがカミツレちゃんのポケモンたち。すごく強かったわ」
「フウロちゃんのポケモンたちこそ。苦手タイプ相手にここまで対抗してくるなんて流石だわ。特訓相手になってくれてよかった」
「こちらこそ!また戦いましょうね!次は絶対勝つんだから!」

 ふたりがポケモンをモンスターボールに戻し、握手をしたところでアネモネは前に進み出る。全ての集中力を目の前のバトルに使用していたフウロはようやくアネモネの存在に気付き、花が咲くように笑った。

「アネモネくん!」
「こんにちは」
「いらっしゃい!わぁ、頼んでたお花を持ってきてくれたのね」
「うん。この前はありがとう」
「本当にお代はいいの?」
「もちろん。これは個人的なお礼だから」
「うふふ。ありがとう。あ、萎れないように花瓶に生けてくるわね。ちょっと待ってて」
「え、あ」

 アネモネとしては顔を見られるだけで良かったのだが、どうやらフウロは話す時間をとろうとしてくれているらしい。待っていてと言われてそのまま帰るわけにもいかず、棒立ちになっているとカミツレと視線が合う。切り揃えられた前髪から覗く瞳は自信と風格を宿して強い光を放っている。

「あなたがアネモネくんね。わたしはカミツレよ。よろしくね」
「知ってる。ライモンシティのジムリーダーで、人気急上昇中のモデルさん……だよね?」
「あら。知ってくれてたのね。嬉しいわ」
「歳が近いジムリーダーの友達がいるってフウロさんがよく話してくれるから」
「ふーん……?」

 上から下まで品定めするように這いずり回るカミツレの視線に居心地の悪さを覚えながらもアネモネが耐えていると、強気な瞳が悪戯っぽく笑う。

「ねぇ、アネモネくんってもしかしてフウロちゃんの彼氏?」
「……違うよ」
「でも、アネモネくんはフウロちゃんのことが好きなのね」

 どうしてそう断言できるのだろう。そんなに分かりやすく顔に出ているのだろうか。乾いた笑みを浮かべながら口を固く結ぶ。綻びが出て情けないことにならないように。
 しかし、カミツレは心身共に間を詰めてくる。

「フウロちゃんのどんなところが好きなの?」
「いや、流石に初対面の人相手にそういう話は……」
「フウロちゃんの友人としてアドバイスできるかもしれないでしょう?これでもジムリーダーの中では一番仲が良いのよ」
「……」

 それはアネモネにとってあまりにも魅力的な申し出だった。溢れた想いを同性の友人相手に零すことはあったが、異性の、しかもフウロと近い人物相手に打ち明けたことはない。どんな些細な情報でも取り入れて花咲くための糧にできたなら。アネモネはゆっくり口を開く。

「人やポケモンのことを思いやる心優しいところ……かな」

 彼女の好きなところなんて一言で済ませられるほど簡単な惚れ方をしていないけれど、一番最初に語るとしたら優しさだった。
 いつだったか。遠目に傷付いた野生のポケモンを見つけるやいなや、彼女は文字通り一目散に飛んでいき、傷薬を使った治療を施したのだ。思い返せば好きという想いを自覚したのはそれが切欠かもしれない。
 フウロは人やポケモンを思いやることに躊躇いがない。誰に対しても平等に分け隔てなく優しさを与えることは簡単なようで難しい。それをフウロはごく自然にやってみせる。その温かな心がフウロを好きな理由のひとつ、と言ってもいいかもしれない。アネモネはそう思ったのだ。

「よかった」
「え?」

 カミツレは表情を和らげて微笑した。試すような挑戦的な色はその瞳からすっかり消え去ってしまっていた。

「ほら、フウロちゃんって明るくて可愛いしパイロットだしジムリーダーだし、モテるじゃない?」
「うっ。そ、そうだね……」
「好きな立場だと複雑でしょう?見た目や肩書き目当ての変な男が近付いてるならちょっと痺れさせてあげようかなと思ってたけど……あなたなら大丈夫そうね」

 そして、アネモネも。カミツレの立ち振る舞いに苦手意識を持ちつつあったが、一瞬にして消え失せた。この友人思いの優しい女性相手なら、相談してもいいかもしれない。それがアネモネにとって吉と出るか凶と出るかは定かではないが、少なくとも、フウロにとって悪にはならないだろう。

「それで、アドバイスっていうのは?」
「そうね。フウロは案外ロマンチックな雰囲気が好きよ」
「へぇ……」
「それから」
「お待たせ!ふたりで何を話してたの?」

 心臓が口から飛び出してしまいそうだと思った。物理的に。

「フウロさん!なんでもないんだ!なんでも!」
「……そう?」
「うん!あ、早速生けてくれたんだね。ありがとう」

 アネモネは穏やかでない心中を悟らせないように笑みを浮かべる。恋愛相談をするにしても相手の本拠地でするべきではなかった。迷惑でなければあとからカミツレに連絡先を教えてもらおう。

「アネモネくん、まだお仕事あるの?」
「いや、今日はもう終わりだよ。上がってからそのまま来たんだ」
「本当?じゃあ、よかったら今度はアネモネくんがアタシと戦ってくれない?」
「え?おれが?」
「ええ!カミツレちゃんみたいにあえて、自分が有利な状況での戦い方を把握しておきたいの」
「へえ。アネモネくん、強いのね?」
「いや、おれはただの花屋だから」
「花屋ってことはくさ使いかしら?」
「そうよ!ひこうポケモンの特訓相手にはいいでしょう?」
「ふたりとも、おれの話を聞いてないよね?」

 ジムリーダーに限らずポケモントレーナーを生業とする人間はみんなこうなのかもしれない。ポケモンバトルを心から愛し、楽しみ、さらなる強さを目指す。強さのステージに違いはあれど、トレーナーの端くれであるアネモネにとってふたりのポケモントレーナーとしての姿勢は見習うべきものだった。
 アネモネはモンスターボールをひとつ取り出し、口角を上げる。正直なところ、全身に電気が駆け巡るような痺れるバトルを見せられて、トレーナーとしての血が騒いでいたところなのだ。好きな相手でも、否、好きな相手だからこそ遠慮はしない。

「わかった。今日はフウロさんへのお礼ってことでここに来たんだし、一戦付き合うよ」
「やったぁ!ありがとう!」
「じゃあ、審判はわたしがやるわね」
「バトルは久しぶりだからお手柔らかに!キノガッサ!」
「飛行技に対して4倍ダメージのキノガッサを選んでくるなんて、なかなか余裕ね?アネモネくん」
「違う違う!バトルはキノガッサが一番得意ってだけで」
「うふふ。相手がどんなポケモンでも勝ちに行きます!ぶっとべ!ココロモリ!」

 目の前で繰り広げられるポケモンバトルを眺めながら、カミツレは表情を緩める。

(他にアドバイスできることがあるとしたら……あと少し勇気を出してみたら?ってところかしら)

 アネモネが親友に対して思いを吐露しているのと同様に、フウロもまた、親友に想いを打ち明けていることを、アネモネはまだ知らない。


ガーベラ
花言葉『感謝』『希望』『常に前進』2020.12.22





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