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シロツメクサの未来予想図
それはまだ、アネモネとフウロが自分のポケモンを持っていないような、幼い頃の話だった。
「アネモネくーん!あーそぼ!」
「フウロちゃん!いいよ!」
同じフキヨセシティに生まれた歳が近いふたりは、いわゆる幼馴染というもので、毎日のように一緒になって遊んでいた。この日も、いつものようにアネモネを誘ったフウロは、野花が咲くお気に入りの場所へとアネモネを連れ出した。
「きょうはなにしてあそぶの?」
「きょうはねー……じゃーん!みて!」
フウロは後ろ手に隠していたものをアネモネの目の前に広げると、得意げに笑った。
フウロが持ってきたものは、レースのストールだった。それを見たアネモネが子供心に「たかそう」と思うほど、繊細で美しい刺繍が施されている。どう考えても、フウロ自身のものでないことは一目瞭然だった。
「きれいなレースでしょう?ママのおへやからみつけたの。はなよめさんのベールみたいでしょう?」
「はなよめさん……うん、そうみえるね」
「だから、きょうはけっこんしきごっこをしよう!」
「けっこんしきごっこ?いいけど、どうするの?それ、たかそうだけど……つかってだいじょうぶ?」
「うふふ。アタシがはなよめさんで、アネモネくんがはなむこさん!このレースをこうやって……」
引っ掛けてほつれでもしたら怒られないだろうか、とアネモネは心配したが、フウロはどこ吹く風だ。レースのストールをふわりと頭上に浮かせ、頭から被る。
ただの布一枚で覆われただけなのに、それが何故かとても神聖な姿のように思えて、アネモネは思わず言葉を失った。
「アタシ、ほんもののはなよめさんみたい?」
「……うん」
見惚れる、とはきっとこのようなことを言うのだろう。風が花びらを空へとさらうように、フウロは一瞬でアネモネの心をさらっていってしまった。幼いアネモネがこの瞬間にそれが恋だと気付くことはないし、恋心に気付くのはずっと先の話になるのだが。
アネモネが、自分の中に初めて生まれた名前のわからない感情に戸惑っていると。
「あっ!」
「な、なに?」
「どうしよう。けっこんしきなのに、ゆびわがないよ〜」
フウロは情けない声を上げて、手のひらをヒラヒラとアネモネに見せた。
さすがに、指輪まで親のものを借りてくると言い出したら大変だ。アネモネは頭を捻らせながら周辺を見渡した。フウロは花嫁のベールの代わりに持ってきた、母親のレースのストールで満足しているのだから、それらしい代わりがあれば納得してくれるはずだ。
ふと、足元に視線をやる。そこには小さくて可憐な白い花が咲いている。見付けた、これだ。
アネモネはしゃがみこんで、足元に咲いていた白い花を摘んだ。
「フウロちゃん。ひだりてをだして」
「え?うん……」
フウロの左手を、アネモネの左手がそっと受け止める。そして、アネモネの右手がフウロの左手を覆い隠す。
アネモネが手を退けたとき、フウロの左薬指には小さなシロツメクサが咲いていた。普段からシロツメクサを摘んで王冠にして遊んでいたが、指輪を作ってもらったのは初めてだった。
フウロは大きな目を細めて嬉しそうに笑った。
「わぁ……!シロツメクサのゆびわだ!」
「これでいいかな?」
「うん!ありがとう、アネモネくん!じゃ、つづきをしよう!」
両手を握りあって、見つめ合う。風がそよいで花びらが舞う中、幼いふたりは見様見真似で愛を誓う。
「ちかいのことばって、なんていうんだっけ?」
「えーっと、おれもけっこんしきにはでたことないからよくわからないけど、ドラマではしんぷが『あいすることをちかいますか?』ってきいてたような……」
「そっかぁ……よくわからないからアレンジしちゃおうよ。アタシはアネモネくんをずーっとだいすきでいることをちかいます」
「おれも、どんなときもフウロをすきでいることをちかいます」
愛はもちろん、恋すらも知らない小さなふたりの密か事。風と花だけが知っているごっこ遊び。これが、二十年近く前の出来事。
──時を経て、アネモネは純白のタキシードに身を包んでいた。隣りにいるフウロは、純白のドレスに身を包んでいる。頭から被ったベールは、あのときとは違い、もちろん本物だ。
「新郎アネモネ、あなたはここにいるフウロを、病めるときも、健やかなるときも、富めるときも、貧しきときも、妻として愛し、敬い、慈しむことを誓いますか?」
「はい、誓います」
幼い頃のごっこ遊びを思い出したアネモネは、ふと口元を緩ませる。
あのとき、嘘を誓ったという認識はない。ただ、あれはあくまでも幼い頃のごっこ遊びだ。遊びの中で交わした誓いが、成長したあとも変わらず咲き続けることになるとは、ほとんどの人間が思わないだろう。
しかし今、あのときたどたどしく綴った誓いは、現実のものとなった。
「新婦フウロ、あなたはここにいるアネモネを、病めるときも、健やかなるときも、富めるときも、貧しきときも、夫として愛し、敬い、慈しむことを誓いますか?」
「はい……誓います」
その誓いを、同じように返してくれる人が目の前にいる。その事実に心の底からの感謝が止まない。
アネモネはフウロの左手をそっと取った。シンプルな形のマリッジリングを左薬指に通し、蓋をするようにその上にエンゲージリングを重ねる。エンゲージリングの中心にあるダイヤモンドは、あのときのシロツメクサのようにフウロの薬指に咲き続けるのだろう。
フウロも同じように、アネモネの左薬指にマリッジリングを通すと、微かに膝を折って頭を下げた。フウロを覆うベールをゆっくりと持ち上げ、背中の方へと流す。そして。
祝福されながら交わした口付けは、どんな誓いよりも確かな、ふたりだけの愛の形になったのだった。
2021.06.01