30.Over

「そうだわ」

突如、イヴは攻撃の手を止めた。彼女がこの『遊び』に飽きたとか、そんなことが理由でない事は明確だった。なぜなら、イヴの目は新しいおもちゃを見つけた子供の用にキラキラと輝いているからだ。

「あたし達と、貴方達。ちょうど6人。3組いるでしょう?だったら、ここで戦っていないで次のステージで戦いましょうよ。その方が絶対楽しいわ」

辺り一面が真っ白な光で満ちた。雷による攻撃と思われたが、轟音も身を貫く痛みも襲ってこない。目が眩むような光の中で、レンは恐る恐る細目を開く。そこには、四角柱の巨大な物体がイヴの上空に浮かんでいた。滑らかそうな表面には傷一つなく、光を全く反射しない黒色であることもともない、そこだけぽっかりと穴が開いているかのようだった。

「ファイ、あれって……!」
「うん。ゲート、だね。あれに飛び込むことで、次のステージへの扉が開かれるのかな」
「扉っていうより、ブラックホールみたいで不気味……?」

もう一つ、レンは違和感に気付いた。至る所で、バチリ、バチリ、と静電気のようなものが発生しているのだ。そして、イヴは電気をまとって何か企んだ笑みを浮かべている。雷使い彼女が何かしでかそうとしていることは明らかだった。とても嫌な予\感がする。レンのこめかみに冷や汗が伝った。

「何をしているの……?貴方……」
「ゲートをくぐるのはあたし達だけ。それ以外のプレイヤーはもう必要ない。暇つぶしにもならないわ。だから、みんなゲームオーバーにしちゃうの」
「!?そんなこと」
「あらぁ?簡単よ?ちょっと悪いシグナルを送ってあげるの。そして」

バチリ、とひときわ強い音を立てて、イヴをまとっていた電気が弾けた。すると、レンの片目にかかるモニターに大量の文字列が並び始めたのだ。全て、ゲームオーバーになったプレイヤーの名前だ。一瞬にして、この世界から大量の人たちが消えてしまったことを知り、レンは心のうちから壮絶な恐怖と怒りが浮かんでくることを感じた。

「っ……」
「ウイルス、送信完了。これでみーんな、ゲームオーバーよ」
「……あ、なた」
「さあ。みんなで楽しいゲームを続けましょう」

誰かの命が消えてもなお、イヴは少女のように笑うのだ。







「ルイ!!」

黒鋼達に銃口を向けたアダムは、迷うことなくトリガーを引いた。否、ルイが黒鋼の前に飛び出してきたことをきっかけに、反射的にトリガーを引いてしまったのかもしれない。レーザーのような光線が、光と同じ速さでルイを貫く、はず、だった。しかし、レーザーはルイに触れる直前で弾け、彼女は傷一つ追わなかった。全身の力が抜けて座り込んだルイは、目を大きく見開き、宙を見上げた。

「……貴方が」

ルイの視線の先には、彼女たちをここまで導いた『レン』の姿があった。『レン』は一度だけ微笑むと、またその姿を消した。何が起こったのか理解できないアダムと黒鋼は呆然としていたが、先に我に返った黒鋼が床を蹴った。

「!?」

アダムの胸倉を掴み、巨大モニターの前にあるコントロールパネルへ向かって投げ飛ばす。その際に落ちた光線銃を拾い上げ、迷うことなくアダムへと向けた。

「ゲームオーバーだ。『アンノーン』」

レーザーはアダムではなく、コントロールパネルを破壊した。







「……?」

現実世界でコントロールパネルが破壊された直後、イヴはその身に違和感を覚えていた。両掌をじっと見つめ、そこに小さな電気を生み出す。テラーは使える。しかし。

「なによ……なぁに……?」

遠巻きに、イヴたちの戦いを見ていたカインは宙を叩いてモニターを呼び出した。片手でモニターを叩き、映し出される文字列を見て、目を見開く。

「これは……!」
「なに?」
「アンノーンのテラーに使用制限が降りたようです。これで、ゲーム自体を改竄させるようなテラーの使い方は出来ません」
「!」
「おそらく、アベルか、それか現実世界にいる誰かが……」
「っ」
「シャオラン!」

アオイの膝の上で眠っていた小狼が、目を覚ました。ぎこちなく体を起こす彼は、新しい属性が宿った片目をおさえながら、未だ微かに辛そうな様子を見せつつ口を開く。

「あいつは……アンノーンはどうなった……?」
「大丈夫。きっと、もうすぐ、終わる」

アオイがそう言ったその時、岩を砕くような轟音が響いた。イヴの仕業かと思われたそれは、レンの水の放射による攻撃によるものだった。加勢しようとしたファイが笛を口に当てたが、それを制してレンは一歩踏み出した。

「イヴ!これで終わらせるわ!」

本能的にイヴの変化を感知したレンは、最後の戦いを仕掛けた。しかし、天から落ちる雷撃を受けて片膝をついた。イヴは笑っていたが、今までのような無邪気な笑みではなかった。自分の思い通りにならず、癇癪を起こして発狂した子供のような、そんな笑い方をしている。

「っ」
「あははっ!馬鹿でも分かるでしょう?水は雷には勝てないのよ!」
「……どうかしら?」

レンは自身を水の膜で覆った。すると、そこに落ちた雷は跡形もなく弾けたのだ。水とは電気を通すもの。そう思い込んでいたイヴは微かに目を見開いた。

「なんで、電撃が」
「……純水、って知っている?電気を通さない水よ」
「!」
「それに」

レンは右手をイヴに向けて、彼女の心臓を鷲掴むように掌を握りしめた。同時に、イヴの口内に鉄の味が広がった。血、だった。口元を拭ったイヴは自身が吐いた血を見て呆然とその場に立ち尽くしている。

「人体のほとんどは水分で出来ている。それを操れるとしたら……?」

自身の治癒能力をもってしても、まだ傷は癒えていない。しかし、それを待たずにレンは地を蹴った。

「終わりにしましょう……母さん」

刃物のように鋭い水が、イヴの腹部を貫いた。一歩、二歩とよろめいたイヴは、背後の建物に背を預けてその場に座り込んだ。電子となってイヴと、そのパートナーの体が宙に散っていく。最期に、イヴは笑っていたような気がした。その場に倒れこんでしまったレンと、彼女に駆け寄って抱き起したファイの体は、微かに透けている。

「レン!」
「……ごめん、ファイ。テラー切れ」
「ううん。こっちこそ、何も出来なくてごめん」

テラーを使い果たしたレンはサイバースペースに留まることが出来なくなり、それにシンクロしてファイもゲームオーバーとなる。それでも、二人に後悔などなかった。仲間に、繋げることが出来たから。全てを小狼に託して、レンとファイもサイバースペースからログアウトした。







「イヴ……イヴ!!!」

目覚めたイヴが最初に見たのは、アダムの顔だった。十年近く見ていなかった彼は別れた時より若干老けていたし、疲れているように見えた。イヴは、カプセルに敷き詰められた赤い花弁から体を起こさずに、久しぶりに言葉を紡いだ。

「アダム……久しぶり」
「……久しぶりどころじゃないぞ……っ」
「……罰が当たっちゃった」
「イヴ?」
「現実世界も、家族も、何もかも放り出して仮想空間にこもって遊んでいた罰。あたしを探すために『レン』はバトルロイヤルに参加して、死んだのでしょう?」
「……」
「あのゲームを作った貴方を責めているわけじゃないわ……全部あたしのせい。楽しくて楽できる世界で生きることを選んでいた、あたしの責任。『レン』を生き返らせたくてゲームに参加してみたけど、失敗しちゃった」
「イヴ」
「『レン』に似たあの子に会えて、嬉しくて、ただ一緒に遊びたかったの。でも、あたしはああいう遊び方しか分からないから、あの子とその仲間をたくさん傷つけた」
「……」
「あたしは」
「……もう良いよ、イヴ。お帰り」

イヴを掻き抱くアダムと、アダムの背中にそっと腕を回すイヴを見て、ルイは複雑な心境に陥った。二人が、特にアダムはこれから裁かれるべきだろう。サイバースペースにただ籠っていただけのイヴと違い、アダムは様々な罪を犯している。それでも、いつか、やり直せるときが来ればいいと思った。
突然、両の頬を思い切り左右に引っ張られたルイは頭上を見上げる。それはもう、まるで鬼のような形相で、黒鋼はルイのことを見下ろしていた。

「うみゅう」
「てめぇはまた無鉄砲な真似をしやがって……!」
「す、すみぃまふぇん」
「……心臓止まったらどうしてくれる」

吐き出された溜息の重さだけ、心配をかけてしまったのだと分かる。でも、あの時は体が勝手に動いてしまったのだ。それがなぜなのか、ルイにはわからなかった。
モニターを使ってアベルに連絡を入れる。ルイが全てを話すと、アベルは、ああ、とだけ返して通信を切った。彼もまた複雑な心境だろうが、時期、ここに警察が集まるだろう。アダムとイヴに抵抗する気はないらしい。ただ、二人ともきつく抱き合ったまま動かなかった。

「クロガネさん。アベルさんに連絡を入れました」
「ああ」
「目覚めた貴方の仲間のところに戻りま……え」
「どうした?」
「『レン』さんが」

ルイの目の前に、また『レン』が現れた。『レン』は、ありがとう、と唇を動かして、ある方向を指差した。そして、本当に彼女は姿を消してしまった。黒鋼と共に、彼女が指差した方に向かう。そこには巨大なモニターがあるだけだったが、『レン』がルイに何かを伝えたがっていたことは確かだった。
何気なく、ルイはモニターに触れてみた。すると、そのモニターは真ん中から左右に割れた。その向こう側にはもう一つの部屋が広がっていた。中心にカプセルがあるだけの、何もない部屋だ。そのカプセルには、栗色の髪を長く伸ばした女性が眠っていた。







「現在、生き残っているプレイヤーは貴方方お二人のみです。進みますか?それとも」
「「……」」
「愚問でしたね」

カインは頭を深く下げて、小狼とアオイに道を譲った。イヴが召喚したゲートは、次のステージへ進むための扉というより、地獄へと続いているかのように思える。ブラックホールに吸い込まれる光のように、入ってしまえばもう戻れない。小狼とアオイのみとなってしまったプレイヤーに、どんなミッションが下されるのかさえ見当もつかない。それでも、ここまで来て引き返すわけにはいかない。

「次が最終ステージです」

小狼とアオイは、同時にゲートの中へと飛び込んだ。









- ナノ -