29.Scarlet

会議室、回廊、エレベーター、そしてバトルロイヤルの会場など、バベル内の様々な部屋の様子がモニターに映っては消え、また別の部屋の映像と映り変わる。しかし、一階から最上階までに設置されている全警備カメラを確認しても、アダムの姿は見逢えたらない。アベルはモニターに拳を叩きつけ、舌打ちした。

「ちっ!どこに行ったんだ……!」
「この国の人間は全て記号で管理されて、誰がどこにいるかまで分かるんじゃなかったのか?」
「それで見つからねぇから、こういう面倒な方法を使っているんだろう!国のコンピューターの中核をいじったな……我が父ながら恐ろしい男だよ。敵に回したくはねぇな」
「……なあ」
「なんだ」
「おまえの母親はどこにいる?」
「……おまえ、どこまで知っているんだ?」

黒鋼とアベルはしばらくの間睨み合っていたが、先にアベルが目を逸らし、モニターを叩いた。そこにイヴと、彼女を相手に戦っているレンとファイが映し出された。

「このゲームを狂わせたアンノーンだよ……こいつ……この方が俺とカインの母親だ」
(やっぱり、か)
「とはいっても、姿を見るのは10年ぶりくらいだけどな」
「あぁ!?10年!?」
「実は、イヴ様こそがサイバースペースにログインした最初の人間なんだよ。それ以来、彼女はリアルワールドに戻っていない。サイバースペースの中で姿を消したんだ。文字通り『アンノーン』だな。サイバースペースを作ったアダム様ですら、彼女の居場所を探すことは出来なかった」
「……」
「俺にはレンっていう歳の離れた妹がいたんだ。成長していたら、そうだな、ちょうどイヴ様と戦っているお前の連れくらいになっていただろうな」
「成長していたら……?」
「死んだんだよ」
「!?」
「死んだ。去年、イヴ様を、自分の母親を取り戻すために、バトルロイヤルに参加してな。サイバースペースでの怪我が深すぎて、リアルワールドに直結して、死んだ」
「……」
「レンのような人間を減らすために、俺とカインはバトルロイヤルの運営者になった……本当は、バトルロイヤル自体をなくすようアダム様に頼んだんだけどな。却下された。この国では、サイバースペースを作ったアダム様が法律のようなものだからな。逆らえる奴なんていないし、誰もあの人のことを理解できねぇんだよ」
「……」
「……喋りすぎたな。俺は引き続き、アダム様を探す」

それから、アベルは口を閉ざして一心不乱にモニターを叩き続けた。黒鋼は考え込むように目を閉じていたが、ふと、静かなルイのことが気になって、彼女の正面に回り込むように立った。

「ルイ。どうし」

黒鋼は目を見開いた。霊力が宿っている方のルイの瞳が、輝いていたからだ。

「ルイ!どうした!?」
「……あっち」

何かに導かれるような不安定な足取りで、ルイは歩き出した。黒鋼は一度、アベルの背を見て声をかけるか迷ったが、ルイは何にも構わず部屋を出てどんどん先に進んでしまうので、舌打ちだけを残して彼女の後を追った。

「ルイ!ルイ、どうしたんだ!」
「……」
「聞いてんのかあいつは……!」

足の長さも、歩く速度も黒鋼の方が上であるはずなのに、少しでも気を弛めればルイを見失いそうになってしまうようで、黒鋼は必死だった。ようやく、ルイの手首を掴んで彼女を止めたころ、黒鋼達はこのフロアの最も奥に来ていた。薄暗い回廊の果てにあったのは、いくつかのワープパネルだった。

「クロガネさん」
「正気に戻ったか。どうしたんだよ。このワープパネルが何かあるのか?」
「ええ。これは普段、各階を行き来する通常のワープパネルとして使用されているようです。でも、この先に、アダムという男はいます」
「!?……どういうことだ」
「……そこにいる、桃色の髪を持つ女性が、僕に教えてくれたんです」

そう言ってルイが指差したのは、何もない空間だった。しかし、それだけで黒鋼には全てを理解できた。先ほど、アベルが言った死んだ妹が……レンと同じ魂を持つ女の霊が、ルイを導いてくれたのだと。

「彼女は、過去バトルロイヤルに参加して、亡くなったようです。それで」
「もういい、ルイ。この先なんだな?」
「はい」
「来るな……と言っても来るんだろうな」
「はい」
「……助かった」
「え?」
「おまえがその力を持っていたから、道が開けた」

初めて、だった。この異端の力を持って生まれて、蔑まれたことはいくらでもあっても、感謝の想いをもらうことなんて、なかった。目頭を熱くさせる何かに気付かないふりをしてルイはワープパネルに乗り、その後に黒鋼も続いた。何もない空間に向かって「ありがとうございました」と言って頭を下げたルイは、続いて、ある言葉を紡いだ。

「『SLEEPING SCARLET』」

ワープパネルが通常の色とは違う紅色に輝いた瞬間、黒鋼達の姿は消えていた。そして、再び足をつけた部屋は紅い光が微かに灯っているだけの薄暗い部屋だった。奥の壁には、巨大なモニターがありレン達の戦う姿が映し出されている。その手前、部屋の中心には一つのカプセルがあった。深紅色の人工的な花弁に包まれて眠っているのは、間違いなく、レン達と対峙しているイヴの体だった。黒鋼とルイがカプセルに駆け寄ろうとしたとき、足元にレーザー銃が放たれた。黒鋼はとっさに、ルイを自分の背後に隠した。

「ここに俺以外の生きている人間が入ったのは初めてだよ」
「……はっ。自分の妻を死人扱いか?本物の『アンノーン』」
「同じようなものだ」

レーザー銃を放った人物……アダムは、その銃口を黒鋼へと向けた。

「お前たちが言いたいことは分かるよ。アンノーンをどうにかしろ。そして、このゲームを元に戻せ」
「ああ。そもそも、こんな腐ったゲームなんざ今すぐにでも消してやりてぇがな。だが、俺の連れは願いを叶えるためにこのゲームに参加している」
「所詮、お前たちも同じだ。望みをかなえる為なら他人を蹴落としてでも生き残る。貪欲で卑しい人間だ」
「ああ。でも、あいつらは正面からゲームにぶつかっている。お前のように、誰かを贔屓して特別な力を与え、ゲーム自体を捻じ曲げるような姑息な手は使ってねぇよ」
「俺にも願いがある。彼女を、イヴを目覚めさせるという願いが……そのためなら、どんな手だって使ってやるさ」

何を言っているんだ、と黒鋼は思った。自然と眉間に深くしわが刻まれる。

「お前の息子に聞いた。この女が最初にサイバースペースへログインした人物だってことも、それ以来現実世界に戻ってこないのも、この女を目覚めさせるためにお前の娘がバトルロイヤルに参加して死んだのも」
「……」
「お前がサイバースペースを創った人間なんだろう?この女をこっちに連れ戻すことなんざ、他愛ない事なんじゃねぇのか?」
「それが出来たら苦労していないさ」

力なく、アダムは笑った。

「イヴはサイバースペースが完全に完成する以前、テスト段階でログインした。だからか、あいつ自身がサイバースペースのどこにいるか掴むことが出来ない。探そうとしてもエラーになる」
「戻ろうとしないのか、こいつは」
「目覚めないんだから、そうなんだろうな……『レン』のことは恐らく知っているはずだ。それでも、戻ってこようとしない」
「なぜ……」
「遊び足りないんだろうな。戦っているイヴの姿を見ただろう?子供の用に、無邪気で、それ故に、手加減を知らず残酷だ。サイバースペースには無限に空間が広がっていると行っても良い。常に、新しい情報や、新しいゲームが創り出される。だから、イヴはその空間の中で生きる道を選んだのかもしれない」
「……」
「今までバトルロイヤルに参加しようとしなかったイヴが、今年突然ふらりと参加した。だから、『レン』のようにならないためにも俺はイヴに対して特殊なテラー使う権限を与えた」
「それで、ゲームが捻じ曲がったのか」
「ああ……もともと、バトルロイヤルを作った理由はイヴを引き寄せる為だった。こういうゲームなら、イヴもきっと参加しに来るだろう。姿を見せたその時なら、目覚めさせることができるかもしれない。いや、優勝したらイヴも満足して自分から目覚めるかもしれない。それが終わったら、バトルロイヤルを廃止して、サイバースペースを構成するテラーを、No.A1509に返しても良い。だから、それまでは」

アダムはトリガーに指をかけた。

「誰にも邪魔はさせない」







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