26.Mystery

「姉様、またあとでね!」

両手を使って大げさなほどに腕を振って見せるユイに、苦笑しながらも小さく腕を振り返し、ルイは先に医務室を出た黒鋼の後を追いかけた。足の長さも歩くスピードも違う黒鋼に追いつくには駆け足をしなければならず、ようやく隣に並べたころ、ルイの息は軽く上がっていた。

「何やってんだ、おまえは」

軽く目を見開きつつ、黒鋼は歩くスピードを弛めた。やっぱり、なんだかんだ言っても優しい人だ、とルイは息を整えながら頭の片隅でぼんやりと思った。

「おまえの妹も、そのパートナーも、もうゲームオーバーになった。おまえがあの会場に戻る必要もないだろう?ついていてやれよ、妹に」

会場がある階に向かうエスカレーターへと乗り込む黒鋼に、ルイは続いた。現在のゲーム中のステージと同じ景色が、ガラスの向こう側いっぱいに広がっている。

「いえ。僕も黒鋼さんと会場に戻って、このゲームの行方を見届けます」
「……物好きだな。好きにしろよ」
「はい。クロガネさんが心細くならないように、一緒にいます」
「なるかよ。つか、俺のためかよ」
「……僕は、独りだったらずっと泣いてばかりで、きっと、ずっと、戦うユイ達を見守ってあげられなかった。クロガネさんが強いことは知っていますけど、誰かと……僕といることで、少しでも、クロガネさんの気持ちが軽くなりますように」
「……」
「あ、僕の完全な自己満足なので、煩わしかったら言ってくださいね。気配を消して傍にいます」
「なんだそれ」

喉の奥で押し殺すように小さく、黒鋼は笑った。

(あ……もしかして、この人がこんな風に笑ったところ、初めて見たかもしれない)

その時、ガタン、と大きな音がしたと同時にエレベーターが大きく揺れた。バランスを崩したルイは背後から倒れようとしたが、黒鋼が寸前でルイの腰に腕を回し、抱きかかえるようにしてその場にしゃがみ込んだ。揺れは一瞬のことだったが、その後、エレベーター内の照明が一斉に落ちた。そして、黒鋼はエレベーターが停止してしまっていることに気付いた。

「なんだ!?故障か!?」
「……」
「おい。怪我はないだろうな?」
「……」
「ルイ?」
「……これは、故障じゃ、ありません」

ルイはゆっくりと眼帯を外した。彼女の右目の金色が、微かに輝いている。ルイの右目の色は、霊力が宿ることによる突然変異だということを、黒鋼は聞いていた。彼女の右目が光っている理由は、おのずと分かった。

「ルイ……なにか『いる』のか?」
「はい……まだ『いる』という確信はないのですが、確かに気配は感じます。悪いモノではないようですね……信じ難いでしょうが」
「言っただろ。俺の国じゃ霊なんて珍しくもなんともない。それに、この奇怪と同時に霊力を持つというおまえがそんな状態になっているんだ。信じない理由はない」
「クロガネさん……あの」
「なんだ?まだ何か言いたいのか?」
「えっと……僕は大丈夫なので、あの、そろそろ離していただけると……」
「あ?あ、ああ」

ルイを抱きとめていた腕の力を弛める。ルイは「ありがとうございました」と控え目に礼を言って、もぞもぞと黒鋼の腕の中から出て行った。照明が落ち、システムダウンした、薄暗さと静寂の中で妙に気まずい雰囲気が立ち込める。何か話さなくては、と思ったルイはおもむろにモニターを取り出した。

「ほ、ほら。クロガネさんの連れの方々、二組を倒したみたいですよ」
「ああ……確か、このステージのクリア条件はゲートを見つけ出し次のステージに行けっていうことだったな。なら、とっとと次に」
「あれ?でも、おかしいですね。スペシャルミッション……?次のステージへ続くゲートを隠した『アンノーン』を探せ。ミッションをクリアできない限り、サイバースペースからログアウトすることはできない……らしいです」
「ああ?なんだそりゃ。つまり、ゲートは初めからなかったってことか?」
「用意していたけれど、ゲームを盛り上げるために隠した……のだと思うんですけど」

黒鋼とルイ同様、モニターの中にいるレン達もこのミッションを訝しく感じているようだった。しかし、ゲームをクリアするためには突き付けられる条件をクリアしていくしかないのだ。腑に落ちない思いを抱きつつ、『アンノーン』を探し出すことを目的とすることを四人が話し合っていると。

『その必要はないわよ』

四人の中の誰の声でもない、女の声が聞こえてきた。同時に、四人の体は宙へと投げ出されてしまったのだ。しかし、何者からか攻撃を受けたわけでもない。四人の足場が、跡形もなく消えたからだ。まるで神隠しのようだ、と黒鋼は率直に思った。足場、というよりも、四人がいた『バベル』というビル自体が忽然と姿を消したのだ。

「ええ!?き、消えた!?バベルが消えちゃいましたよクロガネさん!」
「んなこと見りゃ分かる!落ち着け!」
「ぼ、僕達がいるここは消えませんよね……!?」

ルイは黒鋼の腕を無意識に掴んだが、黒鋼はそのことすら気付いていないようだった。冷静に見えても、彼の心中は決して穏やかではない。いくら彼の芯が強く、仲間の強さを信頼しているとしても、死と隣り合わせのゲームは何が起きるか分からない。決して表に出すようなことはしないが、仲間の身を案じていない時間などないのだ。地上数キロとある高さから落下する彼らが、この場をどう乗り切るか、気が気でない。

『うっそ!また落ちてる!』
『わー』
『小狼君!電気電気!』
『いや、磁場を作りたいのはやまやまなんだが』
『が?』
『……電池切れだ。しばらく充電させてくれ』
『あー。さっき結構激しく戦っていたみたいだしねー。テラーの消耗もそりゃあ激しいよねぇ』
『どうでも良いけどどうするのよ!アオイちゃん、何か策は!?』
『……特には』
『……仕方ないわね。みんな、私に掴まって。アレやるから』
『えー。アレって……アレ?』
『そう、アレ。死にたくなかったら文句言わない!』

レンは両掌を真下に向かって突き出し、そこから全出力で水を噴射させた。第4ステージで観覧車から落下した際に、水の乱射で落下速度を殺し、着地した方法だ。あの時、レンに助けてもらったファイは酷い目にあったと嘆いていたが、今回は落下の高さが前回の比じゃない。よって、着地の瞬間もそれはそれは凄まじいものだった。全身がびしょ濡れになったのはもちろん、落下速度を殺せたとはいえ決して安全な着地になったわけではなく、4人とも全身に強い衝撃を受けた。サイバースペースの中と言う空間で強化された体でなければ死んでいたかもしれない。しかし、地面に這いつくばりながらも、4人とも何とか生きている。黒鋼は思わず、深く息を吐いた。

『……みんな、生きてる?』
『ああ……』
『でも、どういうことかな?バベルが消えちゃうなんてねー』
『アオイ。リアルワールドでバベルが消えるなんてことは』
『あるわけない、じゃない』
『だよねー。どういうことかな?これもミッションの一環かなー?』
『……違う、と思う』

絞り出すように言葉を紡いだレンの表情は、焦燥感が滲んでいた。

『バベルが消える直前、聞こえてきた、あの声』
『ああ』
『女の人の声が、聞こえたわ』
『ねぇ、ファイ。あの声に聞き覚えはない?』
『……まさか』

ファイの言葉は、最後まで続かなかった。まるで血のように赤く、地獄の業火とも思えるほど熱い炎に、4人は包まれたからだ。とっさにレンは水の保護膜を作り、それぞれの体を覆った。しかし、この烈火になす術もなく、それ以上の守りも反撃も出来ない。口元をおさえて熱さに耐え、その場に蹲るしか出来ない。

『貴方も雷の属性かしら?』

あの声が、聞こえた。バベルが消える寸前、聞こえた女の声だ。

『後々厄介な存在になられても困るし、頂くわね。ボウヤ』

その直後、小狼の絶叫が、辺りに響いた。







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