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高台に建つ豪邸を前にして、ぼくは一層の後悔をした。
同年代のパーティだと聞いたから、てっきり内輪の小さなものなのだと思っていた。しかし来てみれば、予想とはあまりにもかけ離れている。
馬鹿にされちゃたまらないと、離れた場所にフィアットを停めて、そこから歩いて坂を登った。途中、通り過ぎる車が多いことは気になったが、同じ行き先とは露も思わない。だからこそ、
「ここよ」
と告げた名前の言葉に、しばらく声を失ったのは言うまでもない。
眼前に広がるのは別荘かと見紛う広々とした敷地に、バロック風を意識して手入れされた植木と石畳の敷かれ整然とした庭、玄関ホールを中心に左右にバルコニーを据えた、シンメトリーな邸宅。何より人の数が尋常じゃあない。それだというのに、高校生から学生位の男女がここぞとばかりに香水を振りかけてきたので、すれ違う度に種々様々の匂いが鼻を突いて、香水酔いと動転で気が遠くなる。
これは本当に高校生のするパーティだろうか。組織の幹部が開くそれと、殆ど変わらない規模だ。
見渡せば見渡すほどに、嫌な予感がこみ上げてくる。頭を抱えたくなった。
やっぱり断るべきだった──
思ったがもう遅い。黙りこんでいた名前が口を開いた時も、壮絶にそれを感じたのだ。


「じゃあ、お願いがあるんだけど」
その時の名前は、目一杯愛想よく声を出したつもりだったみたいだが、こちらからすれば「来たか」という感覚だった。パニーニを頬張ったままあからさまに顔を歪めると、鈍感な女でもぼくの心情を察してくれたようだ。名前は一変して、拗ねたように眉間に皺を寄せた。
「私だってあんたにお願いするのは出来ることならしたくないの」
そう思うのならさっさと不吉な“お願い”とやらを取り下げてほしいものだ。
指の先についたバジル風味のソースを舐めとってから、ナプキンで無造作に手を拭く。親父の特製のソースは週替りで、ぼくはそれを楽しみに通っているが、彼女の方は習性みたいなものだろう。
ぼくが食後のもう一杯を頼む間も、名前はこちらにはお構いなしに、“出来ることならしたくない”理由を並べ立てている。
「だって実際ミスタの方が黙ってれば真面目そうでしょ? フーゴは派手すぎるのよ。それに怒ると何するかわからないし、ちょっと説教臭いし、その点ミスタは女に愛想もいい、背も高いし、頼りがいがあって、おまけに顔も……」
「オイオイ」
勘弁してくれ──と頭を抱えそうになった。
とてもじゃないが聞いちゃいられない。並べられるのは、ここにいない男に向けた鳥肌の立つ褒め言葉だ。ぼくが遮らなければ、それが延々と続くのが手に取るように分かる。誰が好き好んで、そんな惚気話を聞きたがるっていうのだろうか。
「わかったよ!」
ぼくは半ば慌てて叫んで、名前の話を無理矢理に中断させた。
「君がミスタが大好きなのは充分わかったよ、いっそあいつの女にでも頼み込んでみたらどうだ。貸してくれってさ」
「でも……ミスタに迷惑はかけれないもの」
名前にとってぼくは、最後に飛びついた藁といったところだろうに、言い切る彼女に、だったらぼくはどうなんだと言い返してやりたくなった。さっきから聞いていれば、人に頼みごとをしておいて、誠意のかけらもない。挙句には、ぼくを責める始末だ。礼儀ってもんがないんじゃないか。
勢いのままに「ぼくだって迷惑だ」と言おうとしてから、ふと彼女の表情が目についた。眉を曇らせて、うつむき加減にカウンターに目を落としている彼女は、神妙な雰囲気を纏っている。名前とは一年程度の付き合いだったが、こんなにしおらしい姿は、今まで見たことがなかった。
その様子に怯んだのだ、と言われれば、否定はできない。ぼくは返しかけた言葉を飲み込んでしまった。
「ついてくるだけでいいの」
「でもなぁ」
名前の声を流しながら、のんびりと返事を伸ばす。
パーティとやらは彼女にとって余程の一大事らしい。巻き込まれている腹いせに、彼女の運命を握っている優越感を少しばかり楽しんでもバチは当たらないとは思うのだが、どうもそんな弱気な顔をされてはぼくだって本調子が出ないじゃないか。
どうせ、考えているのはミスタのことなのだろう。彼女の悄然とした顔を見ながら思う。
しかし失恋の傷まで抱えて行きたいパーティとは、どんなものなのだろうか。女の考えることはわからない。

正直なところ、面倒だった。この上もなく無利益極まりない依頼だ。
ただでさえ暇じゃあないのに、女同士のくだらないプライド争いなんかに巻き込まれちゃたまらない。色恋くらいで何が決まるというのだろう。パートナーがいようがいまいが、パーティに参加できなかろうが、彼女の生活に支障はない。わかりきっている。
しかし、そんなわかりきっていることに熱くなる人種を、ぼくは知りすぎるほどに知っていた。
ふと思った。名前の戦っているものは、ギャングのそれだ。
誰それの女が女優似の美人だというだけで男の格が上がったと錯覚しているような、くだらなくて他者から見ればこの上もなく稚拙な結果論に支配された、ぼくの身を置く世界が尊重する矜持とまったく同じじゃないか。
窓の外は、まだまだ明るい。日が沈むまで、ここに居座っていたい気分だ。フィアットを見ると、変わらず苦々しさが際限なく込み上げる。
路上に落ちる缶クズを辿って、次に乗ったらタイヤが外れるんじゃないかと疑い続けているボロ車へ目をやり、それから名前のことを考えた。どうもぼく達の抱える問題に、共通点が皆無というわけではないらしい。
そうか、舐められたお礼参りをしたいのか──とぼくはようやく彼女の意向に興味を抱いた。
些か親近感が湧き、名前へ顔を向ける。彼女は合わせたぼくの目に気の緩みを悟ったのか、決め手とばかりに眉を下げる。いつもより高めの声が、丁重に言葉を紡いだ。
「ね、いいでしょ?」
“お願い”とは、ずるい響きだ、と思う。もしこれを断ったら、恋にも女の勝負にも負けた名前はさぞ気落ちするだろうな、と要らないことまで想像させる。
結果として名前が続けた最後の一言は、半ば無理矢理に、ぼくの喉から承諾の言葉を引っ張りだしたのだった。


「ちょ、ちょっと待てよ」
さっさと敷地を歩こうとする名前へ、ぼくは思わず声を上げた。数人が振り返るが、肝心の名前は、ぼくが大股に追いつくまで止まろうともしない。
よく刈られた植木には電飾まで施され、この日のために雇われたのかもしれないが、使用人らしき男女が広場を行き交っている。
屋内から心地の良い弦楽も流れてくるが、まさかこれも雇ったわけじゃないだろうな、と思いながら、急いで彼女の隣へ並ぶ。絶対に“普通”の高校生の友達じゃあない。名前は、こいつは確実にぼくに何か隠し事をしている。
「こんなパーティだとは聞いてないぞ! 一体主催は誰なんだ」
「だから知人よ……父の」
ぽそりと付け加えられた言葉に、ぼくは呆気にとられた。父親? 父親だって? 唖然として、咄嗟に声が出てくない。
知り合いと言っても、名前と彼女の父親じゃあ、話がまるで変わってくる。下手をすると、ぼくの立場が危うくなるところだ。
苗字という幹部がいる。港の密輸を取り締まっていて、組織では珍しい移民の男だ。極度の愛妻家でも知られていて、たまに家に部下を招待しては妻の手料理を自慢するのだが、名前はその男の一人娘だった。
ぼくは他の構成員と同様に、名前とはその伝手で出会った。勿論、ジョルノ直属のミスタは真っ先に招待されているので、ぼくよりも先に彼女と知り合っている。
そしてジョルノから言い渡された現在、その男の下で管理を任されているのが、ぼくなのだ。だから名前は、ぼくの上司の娘ということになる。
この豪邸の中庭に立って、周りは組織のお友達ばかりかもしれないと突然に知らされたら、油断しきっていた手前、焦りたくもなるだろう。
「……どうしてそれを先に言わなかったんだ」
「だって、言ったら来ないでしょ? フーゴにも断られたら、困るもの……」
「困ってるさ、現状、ぼくがね」
幹部の知人だというなら、来客にぼくの顔見知りだっているに決まっている。下手なことでもして余計な噂が流れでもしたら、苗字さんのメンツも潰れかねない。その責任は他でもない、ぼくが取らなければならないのだ。。
「いいじゃない、すぐに帰るんだから」
いいわけがあるか、と叫びたくなるのを必死で堪えた。もう、会場に入ってしまっている。なるべくなら目立ちたくはない。
「さあ、行きましょ」
開け放たれたホールを前に真顔になった名前は、とてもじゃあないが、穏便に切り抜けようという雰囲気ではなかった。もう彼女の方は「待て」と言って聞く雰囲気ではない。
しまったな、と思った。同情したばかりに、面倒なことになった。
黒のYシャツに合わせたネクタイをギュッと締め直し、スーツの埃をそっと払う。もしものためにと、カジュアルなスーツを着てきたのは正解だったようだ。
すっかり臨戦態勢の連れの後を追いながら、ぼくはいよいよ後悔の念を強くした。

両開きの玄関を潜って中に入ると、吹き抜けのエントランスホールはどこから来たのか知れない若者で賑わっていた。
この中に組織と関わりのある人間がいるかもしれないと思うと、気が気じゃない。名前と恋人を装っているのもいい状況とは言えなかった。
しかし名前の方は、自分から気合を入れていたくせに、足を踏み入れた途端にホールの雰囲気に思わず感嘆している。
内装は広さの割に落ち着いていて派手さはないが、その代わりに磨かれた手すりを辿って天井を見上げれば、黒光りした木造の梁が覗くような凝ったデザインになっている。石のブロックを積み重ねた組積造は、遠目には貴族の屋敷を改築したのだろうかと思わせたものの、積み方が均一で色も新しく、最近建て直したのだろうと思い至った。
ひと通り眺めた後、毒気を抜かれていたことに気づいたらしい名前は、自戒するように咳払いをしている。彼女の気が収まるのを待っていたぼくは、我慢するほどなら、このまま適当に楽しんで帰ればいいじゃないかと思ったが、やはりそうはいかないらしい。
名前はぼくの胸に軽く指を押し当てて、念を押してきた。
「フーゴ、間違っても絶対にナンパなんかしないでよ、いい?」
「誰がするかよ」
明らかに言う相手が間違っている。
ミスタじゃあないんだから、という言葉を飲み込んで鼻を鳴らせば、それが名前にはぞんざいに映ったらしい。彼女は不満そうに口をすぼめると、「カップルらしくしてよ」とわざとぼくへ腕を絡めてきた。
ぐっと詰まった。名前が着ているネイビーを基調にしたフレアドレスは、襟から胸元までがレースで覆われていて、彼女が動く度にチラチラと肌の色が覗く。考え過ぎかもしれないが、そうやって近寄られると、上から見下ろした時に見てはならないものが見えてしまう気がするのだ。
しかしぼくの葛藤をよそに、振りほどくことは出来ない。ここで振りほどいたら、名前は恥をかくことになるからだ。
唸りそうになる声を殺して遠くを見つめていると、俄に視線を感じて、二の腕の辺りへ顔を向ける。名前が眇めた目でぼくを注視していた。
「……なんですか?」
迷惑だという気持ちを込めて敬語を吐き出す。しかし、そんな遠回しな嫌味を彼女が素直に受け取ってくれるはずもなかった。
「フーゴって、もしかしてベアトップが好きなの?」
「……は?」
聞きなれない単語に眉をひそめる。
「なんだって?」
「オフショルダーとか、ベアトップとか、肩が出てる服のこと」
ぼくが女性のファッションに詳しいわけがない。
好きなの? ともう一度彼女が尋ねた。そうしてから、先ほどぼくがぼんやりと目を向けていた先へ視線を送って、
「じっと見つめてたから」
と言うのだ。訝しみながらもつられて彼女の目線を追ってみる。名前の言う、ベアトップのドレスを着た女の群れが目に飛び込み、ぼくは名前を振り返った。彼女はぼくの顔色を見て、にやにやと口に笑みを浮かべ始めている。彼女がルージュの乗った唇をにんまりと動かした。
「見てたでしょ、胸」
不覚にも、頬が紅潮した。
からかわれたのだとは分かっている。でも、確かに考えていたことは間違っていなかったのだ。本人に咎められたようでバツの悪い気持ちがこみ上げて、結果、情けない表情を晒すことになってしまった。
「馬鹿、からかうなよ……!」
焦りを誤魔化して顔を背ければ、名前は浮気を咎めるかのような口調で「次はないわよ」と責めてみたが、その内に彼女も堪えきらなくなったのか、声を上げて冗談っぽく笑った。

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14/03/24 短編
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