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「それで受け入れるかよフツー!」
ひとしきり話を聞くと、ミスタは迷惑気な感情をあけすけに叫び声を上げた。
「それじゃあその女の中では、今でも俺とお前はゲイフレンドってことか?!」
「フレンドじゃありません、アモーレの仲です」
ミスタの頬がヒクリと引きつる。
「彼女に近づくにはこれしかない」
だからこそ、こんなにため息が溢れるのだ。ミスタは「お前がそんな奥手なキャラだったとはな……」などと額に手を当てて、目眩でもしたかのように椅子の背もたれへ体を押し付けた。
「お、俺ァようやくあいつと上手くいきそうだってのに……」
「あいつ? 誰です?」
呻きと共に、男の上体が今度はテーブルの上に落ちる。固く目を瞑り、また眉間を揉みしだきながら、ミスタが渋い声を絞り出し、
「オメーにゃ関係ねぇ……いや、関係あるのか……?」
などと独り言のように呟くと、やがて大声に変わっていった。
「とにかくだ! その女が言いふらさねー内に、さっさと誤解を解いてくれッ!」
「そもそもミスタ、」
やけに必死な様子だが、ぼくは待ったをかけざるを得なかった。何故なら、今回の根元はこの男にあるからだ。
「お前が彼女にぼくのことを話したのがいけないんじゃないか。 それもまったくのでたらめを」
「勘違いしてるようだが、そこは断じて違う! ホラ、この前お前を待ってる間、伝令役と話してたのを、恐らくその女が偶然……」
「そういうことを道端で話さないでほしいね」
よく全ての責任をぼくに押し付けられたものだ。ミスタが何を心配しているのかは知らないが、半分くらい荷を背負っても文句は言えないはずだ。
抑えなければ延々と言葉となって溢れ出てくるだろう忌々しさを、スープを煽ることで飲み込む。行儀など、知ったことじゃあない。

やわらかな声がかかった。
「ジョルノ……?」
誰かと思う前に、反射的に振り向いていた。学校帰りらしい名前が道端に立ち止まって、ぼくが気づくと軽く手を振った。手を上げ返す。不満を押しとどめていたのも忘れて、自然と笑みが浮かんでいるのがわかった。
「あいつか?」
とミスタがぼくに体を寄せて耳打ちをする。ぼくはそれを無言で振り払った。歩み寄ってきた名前が、テーブルの横で立ち止まる。
「ボンジョルノ」
ぼくへ笑った後、はじめまして、と続けて、名前がミスタへにっこりと微笑みかけた。やはりくっきりと、頬にはえくぼが浮かんでいる。意識していないのに、視線が彼女へ吸い寄せられてしまう。あからさまに見続ければ、気づいてくれないかとも思うのだが、その辺り他の子とは違い、余計な先入観もあって、名前には全く効かないようになってしまったらしかった。
お喋りのミスタの舌が、ぷっつりと回転を止めていることに気づく。目をやれば、名前をまんじりと見つめている。眉を寄せて声をかけようとすると、ミスタがおもむろに咳払いをした。
「唐突だが、」
そうして勿体ぶりながら名前に向かって、やけに真面目な顔をして人差し指を立てるのだ。この仕草、付き合うものなら誰もが知っている。長ったらしい講釈が始まる前兆だった。
「えくぼが似合う女の子ってのに男は甘くなっちまうもんだ。甘えられたらイチコロってやつだ。そしてあんたにもそのえくぼがある……俺が一杯奢ってやろうって気になったのも、そいつのせいだと思うだろ?」
などと言いながら、椅子を引いて名前を促している。あろうことかたった今ぼくの話を聞いた後で、彼女を口説こうとしているのだ。一瞬忘れていたが、女となるとからかって遊ぶのが趣味の、ミスタとはそういう男だった。
ぼくはチップを置いて、椅子を立ち上がった。地面を引きずったので、大きな音が出た。名前がぼくを見上げる。ナンパの時間は終わりだ。
流れを壊されたというのに、愉快げにミスタが喉を震わせた。
「ミスタ、ぼくはもう帰るよ」
「ケケケッ、ヤキモチかァ?」
「付き合ってられないね」
うんざりとした。彼女の前では言い返せないのをいいことに、さんざ付き合わされたことへ、ミスタなりの仕返しをしたつもりらしい。
「行こう」
ぼくは苛立ち紛れに名前の手を引いた。彼女は狼狽気味にぼくの名前を呼んで、広場の方へ引っ張られつつ、ミスタへ短い別れの言葉を告げた。

オープンカフェに残したミスタを振り返り振り返り隣へ追いついた彼女は、恐縮しきった様子で、ぼくの方を伺った。
「邪魔をするつもりじゃなかったの」
彼女の謝罪の言葉に、ぼくはアパルトメントの角で立ち止まった。名前はどうやら、ミスタの“ヤキモチ”を逆に受け取ったらしい。勘違いをしているのだから、彼女にとっては当たり前かもしれなかった。
「いいえ、助かりましたよ」
一刻も早く、あの花にまみれた甘ったるいカップルだらけのカフェから抜け出せたのだ。また後ろを振り返る名前の視線を追って、馬鹿馬鹿しい、と思った。馬鹿馬鹿しい。もう一度反芻する。
花が咲きほころぶプランターだらけの店は、こちらから見るとメルヘンチックだ。しかしあの場所に座ってパンを齧っているミスタときたら、滑稽にしか見えない。ついさっきまで、ぼくもそこにいたのだ。
不意に、揺れるような怒りがこみ上げた。自分に対してだ。何故こんな恥としか思えない選択肢を受け入れたのか、どうしようもなく過去の自分をなじりたくなった。
「結構淡白なのね」
「え? ああ……」
カフェを睨みつけるぼくを見て、名前がわからないといった風に零した。それから、
「ね、」
と、困ったように笑う。
「そろそろ、手を離さない?」
思考する時間なんて皆無だった。感情のままに、一層手に力を込めていた。名前が目を丸めてぼくを見上げた。その表情に、報われることのない、苛立ちと焦りのような復讐心が、ぼくのいたずら心をくすぐった。
「喧嘩中でね」
座ったままのミスタをちらりと見る。ぼく達と目が合うと、ミスタは眉をひそめて面白くなさそうに顔を背けた。
「……彼、見てるわよ」
引こうとする彼女の手を咄嗟に強く握りしめる。名前は訝しげに手とぼくを交互に見た。
「好都合じゃあないですか」
「どうしたの、ジョルノ」
ぼくは彼女をまた引っ張って、狭い路地へ数歩、身を滑らせた。広場を背に困り切っている彼女の後ろには、澄み切った青空をバックに、まばらな雑踏が絶えず行き交っている。それに対して、たった数メートル入っただけのこの路地は、静けさに満ちていた。
「怒ってるんです」
「だからって私に……」
「あなたにですよ」
そして、自分にもだ。驚いた名前は、怒りの原因を読み取るように、ぼくの目を見つめ返した。
「君はわかってない……恋する目ってものを」
名前の眉間に皺が寄せられる。
彼女の瞳に、ぼくはどう写っているだろうか。無表情か、もしくは焦燥感に駆られているか、あるいは熱に浮かされた顔をしているだろうか。何にせよ、ミスタを見返す目とは、まったく違うことは確かなのだ。
見つめ合ったまま徐々に近づいていけば、ぼくの動向を窺って、彼女は視線を外すことが出来ない。そうしてゆっくり、じりじりと距離を詰めていく。異様な空気に、流石の名前も顔色を変えた。壁に手を寄せながら、ぼくに合わせて一歩一歩後退っていく。
「ちょ、ちょっと……」
握っていた手を離し、後ろに下がれないように名前の背後から腕を回して壁に手をつくと、彼女は焦って声を上げた。
「やめてよ、」
「酷いじゃあないですか」
言いながら鼻先がつくほどに顔を寄せるぼくに慌てて、名前は勢い良く壁に背中を押し付けた。
「そうやって、自分の時は逃げるんですか?」
もう片方の腕を壁に寄せれば、彼女の逃げ場はもうなくなった。彼女の髪から、ピッツェリアの時とは違う、百合に似た香りが鼻先を掠める。
数ミリ先には名前の唇がある。ふっくらとして、恐らく、やわらかな。彼女のそれがわななくと、ぼくの肌に温かい息が吹きかかった。こそばゆさに胸がうずく。
「だって、あなたは」
「ぼくはゲイじゃないと、そう言いましたよね? 言ったのに、勘違いをしたあなたが悪い」
「でも、誰が話しかけても、女の子に興味がなさそうだし……それで、噂を」
納得したのだと言おうとした名前を遮ると、ぼくはもう我慢ができずに、下唇を食むように噛んでいた。彼女は唇が触れ合うと同時に震えながら、ぎゅっと目を瞑った。
「恋をしたことがないと、そういう意味だ」
名前は壁に後頭部まで強く貼り付けて、身を固くしている。
「邪魔をされたくない。他に質問は?」
ぼくはじっくりと彼女の答えを待った。張り詰めた肩が、荒くなりそうな呼吸を抑えているのか、小刻みに揺れている。
たっぷり十数秒間を置いて、名前は目を閉じたまま、ようやく喘ぐように声を絞り出した。
「つ、つまりあなたは……わ、私のことを……」
遮るようにまた唇を食むと、名前は耐えるように眉を寄せて顔を背けた。更に顔を近づけてゆっくりとそれを追えば、鼻先が触れ合った。ぼくの息がかかると、彼女が微かに震えて、小さく鼻から声が漏れた。
「……あなたには無駄が多い。他に言うべきことがあるでしょう? たとえば、ぼくのことをどう思っているか……とか」
尚も顔を背け続ける名前に、焦りと不安が胸から染み出して、体をうずかせる。きつく攻めすぎたかもしれなかった。
好きか、嫌いか。そんな極端じゃなくてもいい。望みはあるのか、それだけが知りたい。
できるだけ柔らかく、そっと顎を捕らえてみる。それから親指で、安心させるようにゆるりゆるりと名前の頬をなぞってみると、彼女の瞼が薄っすらと開かれた。
緊張か恐怖からなのか、名前の目はしっとりと涙で潤んでいた。拒むように固く閉じていた唇を僅かに開けて、一度閉じる。それから彼女の涙声が、ぼくの頬へ吹きかけられた。
「何度も駄目だって、繰り返して、ゲイと聞いて……ようやく、」
彼女の声に耳を澄ませる。心の準備は、とっくにできていた。
再び瞼が閉じられる。
「諦められると……っ」
もう、待つことはなかった。溢れでた声を聞くが早く、ぼくは名前の唇を食んでいた。今度は長く、うっとりするほどに。名前はそれでもまだ胸に引っかかりでも抱いているのか、緩く顔を背けようとしていたが、やがて壁をずるずると力なく滑って、床にへたり込んでいった。
距離を開けないよう、両腕で挟み込んだまま、彼女を追いかけてしゃがみ込む。彼女はぼくの腕の間で自分を責める様子で、ひたすらに呻いている。
「聞きたいことが」
ぼくは囁きながら、名前の唇にそっと親指を当てて、うめき声を留める。確認しなければならなかった。もう誤解も、自分を見失うのもうんざりだ。それは名前だって同じはずだった。
「ぼくがゲイじゃなければ?」
何拍もの後、彼女の息がこぼれ落ちた。
「……すき」
目を瞑って顔を背けた名前が、蚊の鳴くような声で呟いた。濡れた声にドクドクと、胸が真っ赤に燃え始める。でも足りなかった。まだ、足りるわけがない。
ぼくは名前の顎を柔らかく掴んで、こちらへ向けさせた。
「ぼくの目を見て」
うっすらと名前の目が開く。もう一度。今度こそ、絶対に、間違いのないように。
「お願いします」
潤んだ目が、ゆらゆらと揺れる。覆いかぶさった影の中でも、名前のえくぼがはっきりとぼくの目に映った。
「好きです」

そのあと、唇はどこへ行ったのだろうか。不思議なことだが、よく覚えていない。
胸に広がる蜂蜜のような甘ったるい幸福感には、結局、ぼくも勝てはしなかったのだ。

|終
14/01/12 短編
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