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病室へ戻って包帯を替えてから、次に私の仕事が待っていた。花京院君の精神状態を確かめ、ストレスを軽減させなくてはならない。恐らく今回の派遣で、最も重視されていたことだったのかもしれない。
「名前です。治るまでの間、話し相手になって下さい」
そう言って私がベッドサイドの椅子に腰掛けると、目の見えない彼は正面を向いていた顔を回して、
「花京院典明です」
と穏やかに名前を告げた。彼は私達が駆けつけた時とは反対に、至極落ち着いていた。
彼がそういう態度だったからかは分からないが、私は彼の敵意を含んだ攻撃的な能力を目にしたばかりだというのに、物怖じすることはなかった。異質な能力を持った彼を前に怯えられずにいられたのは、元から超能力のことを知っていた周りの団員が当然のように受け止めていたことと、花京院君の置かれた状況に私が動揺し、使命感にとらわれていたからかもしれない。

私は彼がチームの治療を受ける間に、彼に関する情報を他の団員から聞くことが出来た。どうやら彼は日本に両親を残したまま、黙ってこの旅に参加したらしい。決して私が想像したような、重く残酷な過去を抱えていたわけではなく、平均よりも裕福な家庭で、何一つ不自由なく育ってきたのだという。
「失明ではないけど、目が見えないだけでこんなに苦労するものなんですね」
中々できる経験じゃないですよ、と笑う彼は随分と大人びたことを言っていたが、私にはどうしてもまだいたいけな子供のように見えた。
立ち上がった十字軍の中には、まだ15にも満たない青少年もいたと言われるが、でもそれは10世紀も前の話だった。彼は1989年の、戦争のない平和な日本の高校生として、それも恵まれた環境で生きていた筈だ。
ジョースター一族のような過酷で呪われた運命を背負っていたわけでもない。一行と行動を共にするジャン=ピエール・ポルナレフとも違う。他の一行と並ぶと明らかに、彼には目的も一行に付き添うほどの縁すらも欠落していた。戦う理由は恨みでも、宿命でも、義理でもない。
だからこそ、どうして戦う必要のない彼がこのアスワンにいて、私達の看護を受けているのか。そう思うと一層、包帯の下にあるだろう傷が痛ましく思えてならなかった。
「名前さん…でしたっけ?」
「はい、何ですか」
私は少年に感じている不可解を押し込めて、穏やかに返事をした。
「怖くはないんですか」
「怖い…?」
正直、怖いものは沢山あった。異国の地に来る度に、帰りの飛行機がちゃんと日本に着くかと思ってしまうし、病に冒されるのではないかと不安に思わない日はなく、事件やテロに巻き込まれたら、とあらぬ妄想に怯えることも一度や二度ではない。現に彼らの戦いに巻き込まれるかもしれない恐怖を、私は彼を救うという使命感で鈍らせていた。
しかし私には彼の問いが、戦いに巻き込まれることか、それとも先ほど攻撃を受けた彼の超能力に対してのものだったのか、分からなかった。
何がですか、と聞き返そうとした口を閉じて、代わりに私は笑いながら「怖いものなら数えきれないほど沢山あります」と答えた。
「花京院君はどうですか?怖いものはありますか」
「……ぼくも沢山あります」
「たとえば?」
マッチ。と花京院君は答えた。意外な回答に、私は目を丸くして繰り返した。
「小さい頃、マッチを擦る動作に憧れたんです。テレビで観た、マッチを擦って手で風除けをしながらタバコに火をつける動作が、たまらなく格好良かった。だから真似をしてみようと思って……」
花京院君はその時のことを思い出したのか、少し言葉を切った後、笑いを含んだ声を出した。
「無事に火は付けられたんです。でも、それが嬉しくて燃えてる先端を覗きこんだら、前髪に火がついちゃったんです」
大変だ。私が驚いた声を漏らすと、花京院君も大変でしたと頷いた。
「母は大騒ぎするし、父には怒られた上にテレビを禁止されて、暫くゲームも出来なかった」
「ゲームが好きなの?」
「ええ、暇さえあれば毎日画面にかじりついていました。お陰でコントローラーにボタンが沈没してしまって、その度に母に頼み込んでこっそり買ってもらっていたんです」
アウトドア派の父にはとても言えませんからね。花京院君はひっそりと笑って、彼の父親の話を続けた。

花京院君は、私が想像していたよりもずっとよく喋った。話題の幅は広く、話をしようとすれば流れが途切れることはなかった。彼と会話をすることに、私の方が心地よさを感じてしまったほどだ。
彼はあまり自分のことを話そうとしない──
そう言ったジョースター氏の言葉が嘘のように思えた。花京院君は自分を表現することに不自由を感じてはいない。彼と一時間話してみて、私はそう感じたのだった。
「ご両親には連絡しなくていいの?」
しかし彼は私がこう尋ねた途端、ネジを回しきったオルゴールのようにゆっくりと口を閉じて、次第に表情を失くしていった。
「……今は、したくないんです」
ジョースター氏の言った意味が、この時になってようやく分かった。花京院君が喉を震わせて出したのは、恐ろしく感情のない声だったのだ。

花京院君が両親を恨んでいる様子は全くなかった。それどころかとても信頼しきっている様子が、話からは感じ取れていた。それなのに、どうして。
この年齢の全てといっていいほど、多くの青少年の行動は家庭に原因が存在している。だから、彼もそうなのだろうと思った。けれど話を聞いていると、彼の成長過程に問題があったとは到底思えない。
私の彼に対する疑問は、再び振り出しに戻っていった。いや、最初から少しも進んではいなかったのだろう。誘導していたようでその実、彼は上手く私の問いから核心に近づくのを避けていたのかもしれない。
「それじゃあ、今日はここまでにします」
黙りこんでしまった花京院君になるべく明るい声で告げると、何か考えていたのか彼ははっとした様子で顔を上げた。
「また明日も話を?」
はい、と私は答えた。
「だって、退屈でしょう?」
刺客を危惧して勝手に歩くことを制限され、視界を遮られているために本を読むことも手紙を書くことも出来ない。あとは余生を送る老人のように、ぼんやりと部屋に紛れ込む音を拾うだけしか楽しみはないのだ。ここまでつまらない入院生活というものはない。
老後生活を送る高校生の姿を想像して、おかしそうに私が言うと、花京院君もそれを頭に思い浮かべたのか、お願いしますと少しだけ口元を緩めて喉を鳴らした。
「退院するまでは24時間交代でナースステーションにいますので、他にも何かあったらコールを…」
私は席を立ってから、サイドテーブルに用意されていたペットボトルを花京院君の手元に置いて言った。彼もすんなり頷いて、それから部屋を出ていけるだろうと思っていた。しかし、花京院君は私が全てを言い終える前に言葉を遮った。
「大丈夫です」
彼は耳で私の位置を探すようにペットボトルを握った手に顔を傾けたまま、やけにはっきりとした口調で、
「もうあなた方に迷惑はかけませんから」
とそう言った。
怖くはないんですか──
最初に私にした質問の意味を含ませているのだろう。治療のことではなく、戦いに巻き込むことはしないと言っているのだろう。
私は彼の口から出たその言葉を聞いた途端、急に切ない気持ちがこみ上げて泣きたくなった。

彼は、17歳だ。人生の4分の1すら生きていない、ただの高校生だ。私と10年も年齢の違わない、これからまだまだ何年も明るい青春を送れるだろう青年なのだ。
どうしてそんな彼から、本来なら庇護されるべき彼から、死を覚悟した言葉を聞かなければならないのだろう。一体たった17年の人生で、彼の何が重荷を背負わせようとしているのだろうか。
「あと、後では切り出せそうにないので今の内に頼んでおきたいんですが……」
言葉に詰まってしまった私を知ってか知らずか、花京院君はペットボトルを両手で落ち着かなく弄りながら、小さく私の名前を呼んだ。名前さん、というやわらかな声。
「何ですか?」
私の声は、気を抜けばすぐ掠れてしまいそうだった。だから、気づかなかったのだろう。
「出来ればその、食事は……」
手伝って欲しい。いつの間にか花京院君の頬は、ほんのりと赤く染まっていた。照れからか居心地悪そうに包帯の下の視線を四方八方に彷徨わせるので、その度に頭が小刻みに揺れて、彼の頬を髪の毛が数本撫でるように泳いでいる。
「……分かりました」
私はどうにか声を出すことが出来た。複雑な気持ちだった。
今日の昼は一人で食べたと聞いていたけれど、やはり難しかったのかもしれない。いや、そうなのだろう。彼のYシャツの胸辺りに薄いシミが残っているのを、私はその時になって気づいたからだ。
「ではまた食事の時間と、この時間に」
「ええ…すみません」
迷惑はかけないと言った手前か、花京院君は申し訳なさそうに深々と頭を下げた。そのあまりにも出来すぎた彼の態度に、私は叱りつけてやりたくなる。何故もっと頼ろうとしないのかと思うと、悲しさと苛立ちが足元に絡み付いてくる。
私達のチームが、初めて病室に入った時に見せた花京院君の威嚇は、怯えていたからではなかっただろうか。それをどうして隠そうとするのだろうか。
「花京院君」
私が呼ぶと、彼は声の方向へ顔を向ける。少し方角は違かったが、私は彼に目を合わせようと努めた。
「トイレも、呼んでくださいね」
ベッドの脇に備えられた車椅子を軽く叩きながら私が言うと、今度こそ花京院君は顔を真赤にして、
「そ、それは出来れば男の方に…!」
と慌てるので、私はようやく、彼に笑いを零すことが出来た。


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12/11/28 短編

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