よく泣く女だった
※オルガに根性焼きをしてもらう話です
どうしてその話題が上ったのかよく覚えていないけれど、同期たちと、もしもタトゥーを入れるならどんなデザインがいいか、それから体のどこに入れるか話し合ったことがあった。好きなバンドのロゴマークを肩に入れたい子や、背中に羽を生やしたい子もいれば、手首や足首にさりげなく花や星のマークを入れたい子もいた。
なまえは? と同期の子に訊かれ、私は返答に窮した。真っ先に思い浮かべたものはみんなが挙げるような美しい彫り物とはかけ離れていたし、そもそもタトゥーですらなかった。
初めて買ったたばこの箱をポケットの中で転がしながら、数週間前に同期たちと交わした会話を思い起こす。あのときの私は、考え込んだ末に「煙がいいかな」と答えた。どうせタトゥーを入れる予定はなかったので適当に、けれどもそれほど遠くもない答えを見繕った。
また、私にはたばこを吸う予定もなかった。これは吸うために買ったわけではなく、オルガに根性焼きをしてもらうためだけにわざわざ購入したものだ。だって、好きな人に一生消えない傷跡をつけてもらえたら、どれだけ素晴らしいだろう! べつに方法はナイフでも銃でもなんでも構わなかったが、現場が他人にバレにくく、強烈に記憶されるものがよかった。その点、恐らくたばこは煙を上げるだけで音は立てないだろうし、あの独特なにおいは記憶の中にいつまでもこびりつくかもしれない。オルガに根性焼きをしてもらった私は、自分の体を見るたびに、皮膚が焼ける激しい痛みを、私のためにたばこを押しつけてくれる彼の感触を、何度も何度も鮮やかに思い出すのだ。私はオルガの所有物になりたかった。人の命を数えきれないほど葬り去ってきたオルガの手で、どうか私の身体から私を奪い取ってほしい。ガンダムの装備品として運用されている彼の一部になりたい。まだ火傷ひとつ負っていないくせに、想像するだけで鼓動が速まり、お腹の奥が焦れるように疼いた。
日の陰った薄暗い甲板には、デッキチェアに寝転がって読書するオルガの姿があった。グレーに染まった海は凪ぎ、弱い潮風が私たち二人の頬を穏やかに撫でてくれる。絶好の根性焼き日和だと思った。慣れない手つきでいそいそとたばこを取り出し、一緒に買ったライターに火を灯す。火はなかなかつかず、不良品を買ってしまったのだろうかと落胆したけれど、辛抱強く炙るうちに先端から少しずつ燃え広がっていった。
たばこの煙に気づいたオルガは顔を上げ、傍らに立つ私を不機嫌そうに見やった。
「おい、吸うならあっち行け」
しっしっ、と手で追い払う仕草までされてしまったので、デッキチェアからほんの少しだけ離れる。「吸わない」と否定したものの、前方から突然風が起こり、煙をもろに浴びた私は激しく咳き込んだ。副流煙を吸い込んだせいで喉にいがいがとした違和感が残った。
「だろうな」
彼は苦い顔をする私を鼻で笑い、再び物語の表面に目を落とそうとする。私はすかさず、煙の上がるたばこをオルガに差し出した。私とオルガとの間にやわらかな紫煙が割り込み、やがて曇り空と溶け合う。やっぱり、決行するなら今日しかないと思った。
オルガはたばこを受け取らずに「俺も吸わねえけど」と怪訝そうに眉を寄せた。
「違うわよ。火を消してほしいの」
たばこを持ったままジャケットの袖をまくり上げ、腕をあらわにする。非戦闘員である私の身体に目立った傷はない。けれども非戦闘員とはいえ、戦場という先行きが見通せない環境に置かれた身なのだから、明日には腕がずたずたに引き裂かれているかもしれないし、恐ろしいことに腕自体が吹き飛んでいるかもしれない。そう考えると、根性焼きへの渇望がよりいっそう深くなった。オルガの手で最初に傷をつけてもらえれば、他所で負う傷など取るに足らないはずだ。たとえ、それが命を奪うような大けがだったとしても。
「火くらいてめえで消せよ」
「私の身体で消して」
煙を上げるたばこと袖をまくった腕を交互に眺めると、オルガは整った顔のパーツすべてを歪め「はあ?」と呆れ返った。
「俺に根性焼きしてくれってか?」
私は、うんと素直に頷いた。冗談で言っているとは思われたくないから、彼の瞳をまっすぐに見据えた。
「悪趣味なヤツ。俺は忙しいんだよ」
オルガは私から目を逸らし、大きなため息をつきながら薄っぺらい紙をめくった。このまま頼み続けても堂々巡りだろう。あんなに穏やかに吹いていた風もだんだん強まっていて、たばこの火も消えてしまいそうだった。私は携帯用の灰皿をしぶしぶ取り出し、苦労してつけたたばこを念入りに消火した。
「なんだよ。灰皿持ってるじゃねえか」と、オルガは横目で私の手元を見ながらせせら笑う。彼のシニカルな微笑みを愛しているけれど、今日ばかりはひどく落胆した。オルガの手でたばこを焼きごてのように押しつけてもらわなければ、灰皿どころかたばこ自体が意味を持たない。
ガンダムに乗り込み、完膚なきまでに標的を叩きのめすオルガは、それはそれは楽しそうだった。あんなに楽しそうに戦う人を、私は今までに見たことがない。彼は機体を動かすためのパーツに過ぎないけれども、嬉々としてカラミティを駆るオルガをモニター越しに見るたびに、あの美しいセルリアンブルーの機体こそが彼の所有物であるかのように思えた。もちろん、それは錯覚だ。
はあはあと息を切らしながら追加の薬を飲むオルガを眺めている最中に、とてもいいことを思いついた。誰かと内緒話をするみたいに、ポケットに忍ばせた箱を指先で撫でる。平常時の彼に頼んだのが間違いだったのだ。戦闘訓練を行なった直後の、気が昂ぶっている状態のオルガにお願いすればいい。私の身体に傷をつけてほしい、と。彼の仕組みを利用した最低なお願いだと分かっている。頭では理解できていても、歪んだ衝動は止められなかった。
私は更衣室を出た彼を廊下で待ち伏せし、すぐそばにあった喫煙所へ連れ込んだ。室内には兵士が数人寄り集まっていたけれど、私たちの顔を見るなり、蜘蛛の子を散らすように退出していった。
「お前なあ、まだ諦めてなかったのかよ」
喫煙所に連れ込まれた時点ですべてを察したのだろう。まだ説明をしていないにもかかわらず、オルガは目を細めて私を嘲笑った。欲求不満な眼差しが燻った空間を切り裂いて私に注がれる。これから傷ひとつない肌を醜く焼いてもらえる。それも、彼の手で。そう考えるだけで胸が張り裂けそうなほどときめき、たばこを取り出す手が小刻みに震えた。
たばこを口に咥え、火のついたライターを先端に近づける。刻々と流れていく一分一秒が惜しかった。ためらいなく吸い込むと、甲板で試したときとは違ってすぐに着火できた。喜びもつかの間、胸と喉が耐えきれないほど苦しくなり、吐き出す咳と一緒に涙がじわじわと滲んだ。
「あーあ、嬉しそうに咳き込んじまって……。こういうヤツのことをなんて言うんだったか、マゾ?」
返事をしようと思ったけれどそれどころではなく、私は噎せながらオルガにたばこを差し出した。彼はたばこをひったくるように受け取り、咳き込む私を挑戦的な表情で見下ろす。気がつくと、私は煤けた壁に追いやられていた。たばこの先端からはらはらと落ちた灰が私のブーツを汚す。灰と直接触れたわけではないのに、足の指先がじんと痺れた。
「とっとと腕出せよ」
オルガは冷ややかな口調に隠しきれない興奮を含ませながら命令した。火はまだついている。引きちぎりたくなるもどかしさをぐっと堪え、自分のジャケットのボタンをひとつずつ外す。私はジャケットの左右をかき分けるように開き、うっすらと汗ばんだ胸元をさらけ出した。
「すげえな、もう赤くなってるじゃねえか」
彼は「まだなにもしてねえのにな」と楽しそうに呟き、火照った胸元めがげてたばこを近づけた。湿った肌がさらに熱くなり、ひりついた喉に飲み込んだばかりの唾が染み込むように落ちていった。
「やって」
掠れた声で懇願してみせると、オルガは胸のふくらみにたばこを押しつけた。戦闘時と同じような、まったく躊躇のない手つきだった。
じゅっ、と焦げるような音が聞こえた気がする。想像したよりもずっと痛く、ずっと苦しい。オルガは決して逃げられないように片手で首の下を押さえつけながら、ぐりぐりと抉るように傷をつけてくる。全身にいやな汗が吹き出し、涙は次から次にぼろぼろとこぼれ、顔から流れ出たなにかしらのしずくが、γ-グリフェプタンのせいですっかり温まったオルガの手を濡らした。必死に噛み殺しているにもかかわらず、唇から嬌声にも似たはしたない声が溢れてしまう。
私は、早く私の身体から逃げ出したくてたまらなかった。それなのに、手足は一本も動かせないまま硬直し、上半身はオルガに押さえつけられている。背筋がぞくぞくと震え、紫煙で霞んだ天井に火花のようなものが散った。
火がきちんと消えたことを確認すると、オルガは胸元に押しつけたたばこをスモーキングスタンドに捨てた。喫煙所の中は独特のにおいが充満していた。たばこ特有の乾いた香りに、焼けた肌の異様なにおいが混ざり合っている。ずきずきと痛み続ける胸元をおそるおそる見下ろすと、灰にまみれた左胸にはおぞましい火傷が生々しく刻まれていた。
「本当にやってくれた、あはは……」
脱力しきった笑い声を漏らすと、オルガは私の胸元に顔を寄せた。真っ赤に染まった左胸をまじまじと眺め、できたばかりの傷に濡れた舌を這わせる。あまりの痛みに喉がひきつり、また目から大粒の涙が流れた。
私は彼の腕にしがみつきながら、傷口を蹂躙するオルガの舌を感じていた。この焼けつく痛みは、私がオルガの一部として組み込まれていく証だ。あなたの存在を示すためには、こんな小さな傷跡だけじゃ到底足りない。もっと痛めつけてほしい。手足や内臓も、骨の髄も、私のすべてをオルガのものにしてほしい。愛しているわオルガ。オルガがこの世界からいなくなったとしても、私の身体はずっとずっと彼を憶えている。だから、私が先にいなくなっても、オルガには根性焼きをしたときの感触と、焼けた傷口を舐め広げる温度をいつまでも憶えていてほしい。
二人の息が上がるころ、オルガはふいに唇を離し、ついさっきまで私の火傷を蹂躙していた舌で下唇を舐めた。そして、期待に満ちた声でこう囁くのだった。
「つまんねえな、これだけじゃ。なまえもそう思うだろ」
私は「足りないわ」と言い、噛み締めすぎて傷だらけになった唇で彼の頬にキスをした。
2024.01.21
タイトル「草臥れた愛で良ければ」様より
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