小説
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閉じてゆく残光


 夏がすき、とあいつは言った。
 僕はそれに答えなかった。黙りこくったまま、蜂みたいな色合いのパイロットスーツに腕を通す。脱いだ制服をハンガーに通し、ロッカーのパイプに引っ掛ける。つまらない演習の時間まであと30分。次の投薬も同じく30分後の予定だった。ただでさえ投薬前の苛立ちが収まらないというのに、この女は人の神経を逆なでする。
 僕の視界からあいつの姿は見えない。だけど、背中越しに聞こえる言葉の端々は、夢見心地にほころんでいる。これからピクニックにでも行くみたいに笑っている。うるせえな、と僕は舌打ちをした。オルガもシャニもどうしようもないくらいうるさいけれど、こいつのやかましさは度を超えている。コックピットの外でもうるさいなんて、まったくどうかしていると思う。
「故郷の夏はね、日が長いの。生きてるって感じがする。まだ起きていていいんだって思える。眠る時間が長いなんて、つまらないでしょ?」
 ロッカールームに響く女の声はひどく耳障りだった。クスリでもキメてんのか? と疑うほどに。僕はへんてこな形をしたヘルメットを脇に抱え、ロッカーの扉を乱暴に閉めた。どうしてこいつなんかと演習しなくちゃならないんだ?
 あいにくだけど、僕は夏がきらいだ。夏に限らず、春も、秋も、冬も全部きらいだ。夏は日が長くて、ありとあらゆる生き物がいきいきとうごめいている。だから、夏は特にきらいだった。こいつも夏になればよりいっそう鬱陶しくなるのかと思うと、夏なんか一生来なければいいのにと呪詛のひとつも吐きたくなる。

 演習のあと、機体から降りてきたあいつは「クロトみたいになりたかったなあ」と呑気にほほえんだ。度を越した強さを持つ生体CPUの身体がほしかったのだと言う。あいつはレイダーの整備にかかる兵士たちを横目に眺め、暑苦しいまなざしを再び僕に向けた。
「お前は一生かかっても無理だろうね」
 そっけなく返してやると、あいつは「そんなの分からないでしょ」と拗ねた。いいや、分かるよ。量産型の機体とはいえ、あんな腕前じゃ、ラボのなかで生き残ることすらできない。お前なんか脳みその標本行きだ。笑わせるなよ。


 
 一瞬の出来事だったけれど、レイダーのモニターの端っこにはしっかりと映っていた。
 夏が来る少し前に、あいつは機体ごとばらばらに砕け散った。あいつはまばゆい海めがけて真っ逆さまに落ちていく。燃え盛る機体はどす黒い煙を上げながら海面と触れあい、柱のような飛沫をいくつも撒き散らした。
 僕は「隣の部屋でしょう?」とかいうふざけた理由で、あいつの遺品整理を押し付けられた。冗談じゃない! ガン無視してやりたかったけど、アズラエルのおっさんの言うことには逆らえない。僕とお仲間は、数日前にきついお仕置きを受けたばかりだった。
 眠い目をこすり、解錠されたままのドアを開ける。遮光カーテンの隙間から漏れる朝日の光が、あいつの部屋を不明瞭に照らし出す。ああ、本当に面倒くさい。早起きしてまでやるべきこととは到底思えなかった。
 あいつの狭苦しい部屋のなかは、意外と整理整頓されていた。中身が半分ほど残った日焼け止めクリーム、へんてこな動物のぬいぐるみ、余暇に着ていた丈の短いワンピース。僕はそれらを収納から引っ張り出し、すべてごみ袋に放り込んだ。部屋の前を通りかかった兵士が、一体何事かと眉をひそめる。そんな目で見られる筋合いはない。だって、整理っていらないものを片付けるって意味でしょ? 少なくとも、僕はラボでそう教わった。
 なんの変哲もないテーブルには、一輪のひまわりが飾られていた。僕は炭酸水の空き瓶に挿さったひまわりを引き抜く。生花特有のみずみずしさはどこにもなかった。これはからからに乾いた造花だ。瓶の中を覗き込んでも、水は一滴も入っていなかった。
 僕はポリエステルでできた花びらを毟り、赤茶けた中心部分を真っ二つに折り曲げ、安っぽい葉っぱを破いて捨てた。テーブルの上から空き瓶を払い落すと、ごみ袋のなかでいくつかに割れた。ばらばらに砕けた瓶とちりぢりになった造花を見下ろす。持ち主だった奴の無邪気な顔がふと脳裏をよぎった。
 夏がすき、とあいつは言う。夏が来る前にあっけなく死んだくせに、記憶のなかのあいつは楽しそうに笑うのだった。

 夏なんかきらいだ。だいきらいだ。でも、茹だるような夏が僕にまとわりつくことはもうない。僕はこれから、つめたい宇宙へ上がるのだから。
 シャトルの窓に映る景色が黒一色になったころ、通路ですれ違ったおっさんが僕に話しかけてきた。
「ジャケットになにか付いていますよ。ほら、肩の後ろに」
 おっさんが指差す箇所に触れると、そこには硬い布のような感触があった。その切れ端を指先でつまみ上げる。
 ポリエステルの布だ。目にしみるほど黄色い。無理やり破いたせいでしわが寄り、糸がほつれている。捨てたのに。ぜんぶぜんぶ、袋に縛って捨てたのに。
 おっさんの前で舌打ちしたくなった。やっぱり夏はきらいだ。


タイトル「草臥れた愛で良ければ」様より
オンラインイベント「ジュゲムジュゲ夢 vol8」様のプチオンリー「ひと夏の思い出」にて展示

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