不都合なプラマイ
今日は主の買い物に付き添って「デパート」という施設に行った。所謂荷物持ちというヤツだ。「せっかく塗った爪が剥がれちゃうからヤダ」と見え透いたわがままを言ったところ、「そんな重たい買い物しないよ」と朗らかに笑われたので、それならばと着いて行った。
デパートはうちの本丸より縦にも横にも長くて広い巨大な建物で、その中では夥しい数の店たちが各々商売をしている――それがデパートの正体らしい。
行き道で主に説明を受けてもいまいちピンと来なかったが、実際に足を踏み入れると、その規模の大きさに驚く。本屋、宝飾、文房具に玩具、それに服や化粧品。太陽光と見紛うほど明るい店内に並べられた商品の数々は、俺の心を鷲掴みにしていった。同じく主に同行したへし切長谷部に「遊びに来たんじゃないんだぞ」と嗜められてしまったが、長谷部も長谷部でどこか落ち着きがないように見える。
買い物を終えて、エレベーターを降っている時のことだ。
「今日は手伝ってくれてありがとう。一階でアイスでも食べない?」
主が提案した次の瞬間、先頭に立つ長谷部が穏やかな表情で振り向いた。戦闘中の顔つきとは大違いだな、と心の中でつぶやく。
「ええ、ぜひご一緒させてください」
「よかったあ!加州はどう?」
今度は主が後ろにいる俺に向かって振り向く。ゆるく巻いた髪から花をモチーフにした小さなピアスが見え隠れしたのを視覚が認識したとき、俺の心臓はどくどくと激しく音を立てて暴れ始めた。主にピアスの穴が開いているのは知っていたけれど、実際にピアスを着けたところを見るのは初めてのことだった。俺は今、主のいつもと違う姿に戸惑っているのだろう。細工前の熱した飴のように、この瞬間だけが何時間も引き延ばされていく感覚に陥る。このままずっと主を見ていたいような、息をするのもやっとの状況から心臓と精神を解き放ってほしいような、相反する願望が俺の中に共存している。
「加州?」
主の問いかけによって、永遠とも思えるような時間は突然終わりを迎える。エスカレーターはすでに一階に到着していた。長谷部が怪訝な顔をしながらこちらを見ている。彼は意外と表情が豊かなのだ。
「ああ、ごめん。ぼーっとしてたみたいで…。俺もアイス食べたいな」
「よし、じゃあ行こうか」
言うや否や、主の足はレストランやカフェが並ぶエリアへと向かう。どの店も上品な佇まいでおしゃれだ。店内をちらりと覗くと、窓ガラス越しに、若い男女が食事をしながら談笑する姿が見える。ああ、いいなあ、あの二人。いつか俺も主と二人きりで――なんて、素性も知らない赤の他人に自分と主を重ね合わせてしまう。こんなことではいけない。
のた打つ心に釘を打っていると、一行はデパートの入り口付近に店を構えるアイスクリーム店に到着した。縦長のガラスケースを覗き込む。色とりどりのアイスが所狭しと並んでいるのを見て、俺は思わず感嘆の声を上げた。すごく可愛いじゃないか。
「私はチョコミント味にするけど、二人ともフレーバーは何にする?」
「ええーどうしよう。こんなに種類がたくさんあると迷っちゃうなあ」
王道のバニラも良いし、チョコレートの濃厚な甘さもストロベリーの甘酸っぱさも捨てがたい。クッキーやナッツが入ったフレーバーで食感を楽しむのも有りだろう。
あれこれ考えていると、ケースの中を一度も見ていないはずの長谷部に先を越されてしまった。
「俺は主と同じものがいいです」
なんて潔い注文だろうか。そうだ、長谷部はこういう男だった。今更驚くことではないけれど、それでも、戦以外の状況下で、自我よりも忠誠心を選択する彼は本当に抜け目ない。ほんの少しだが長谷部に羨望を抱く。そう、ほんの少しだけだ。
それなのに俺は、焦りもあったせいなのか、いやにはきはきとした声で「俺も」と長谷部に続いてしまった。チョコミント味なんて、アイスどころか他のお菓子だって食べたことがない。
「全員がチョコミントを注文するとは思ってなかったな」
苦笑する主につられて、俺も薄く乾いた笑い声を吐き出す。
なんだか居た堪れなくなったので、主がアイスを注文している間に席を取ることにした。少しの間だけでも、一人にさせてほしい。席は八割ほど埋まっており、壁に掛けられた時計はちょうど十五時を回ったところだった。ここはデパートだ、どう足掻いても一人きりにはなれないらしい。
数少ない空席に腰掛けて五分ほど経った頃、主と桜色のトレーを持った長谷部がこちらにやってくるのが見えた。小さく可愛らしいトレーの上には、涼やかな色をしたアイスが三つ載っている。
「加州、席取ってくれてありがとうね」
「これくらいお安い御用だって」
俺の隣に長谷部が座り、俺たちと対面する形で主が座る。主の耳は長い髪に隠れてまったく見えない。さっきのピアスは、俺が見た幻か。チョコミントアイスを口する主をじっと見つめる。ぴんと伸びた姿勢のおかげで、耳元の髪は一束も顔側に落ちてこない。俺の視線に気が付いているのか、それとも気が付いていないのか分からないが、主はアイスを掬う手を止めて俺たちに声をかけた。
「どう?食べられる味だった?」
「主がよく食べているチョコレートと、よく似た香りがします」
ああ……。長谷部の嬉しそうな感想に、俺はがっくりと肩を落とした。主はもともと、チョコミント味のチョコレートを好んで食べているそうだ。そんなこと、俺は知らなかった。俺が近侍の日に、彼女がチョコを食べていることなんて、一度もなかった。もちろんこれは偶然だ。理性はそう呟くけれど、俺が知らない主の姿を長谷部は知っているのかと思うと、初期刀の俺は面白くない気分になる。一口も口にしていないアイスが手元ででろでろと溶けていく。
「どうした、加州」
「もしかして、チョコミントは苦手だった?」
「い、いや。本当にすごい色してるーって思って、まじまじと見ちゃった」
とろけたミントブルーの液体をスプーンで掬って口に流し込む。鼻と喉に抜ける清涼感も、舌に染み込むような冷たさも、遅れてやって来るチョコの濃密な甘さも、何もかもが行き過ぎだ。別に不味いわけではないのに、どうしてこんなにも食べ進めるのが辛いのだろう。やっとの思いで液体を飲み込む。
「あー、なんか、初めて歯磨きした時のこと思い出した」
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2021.09.18
タイトル「草臥れた愛で良ければ」様より
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