暴走
――膝を付いたのは、エマの方だった。
「……どうして?」
それと同時に激しい頭痛がエマを襲った。
ぐわんと視界が回り、気持ち悪さから胃の中にあった物が逆流しそうになる。
崩れ落ち、頭を抱えたエマの様子がおかしい事に気が付き、ジークがニヤリと口角を上げた。
「どぉ〜〜〜やら、能力を使い過ぎたようだなァ」
エマは普段から戦闘で能力を使う事は余り多い方ではない、大抵の敵は使わずに倒してしまう事が多いからだ。
今回は強敵に加え、そのジークに対しての怒りが引き金となりジークを超える力を手にした。
だが、その強大な力にリスクがないわけがなかった。
割れるような頭痛、エマの脳には相当な負担がかかっていた。
あと一撃、そこまできてエマに限界がきてしまったのだ。
「よくもやりやがったなてめェ!!」
「グッ、ぁ・・・!」
蹴飛ばされ身体は受け身も取れずに落下する。
再度、形勢が逆転した。
(どうして、どうして……あと少しだったのに…っ!)
最初は拒絶されていた。
仕方がないと割り切ってきた、母親は能力者で海賊だ。一般人が恐れるなんて分かり切っている。
ただ、あの日にすべてが変わった。
母の命と引き換えに、手にしたのは村の人々の温もりだった。
少しずつ打ち解けた。
守りたいと思った。
こんな自分を受け入れてくれた人達を。
自分がどうなってもいい、死んでだっていい。
大切な物を守りたい。
「死ね」
頭を踏みつぶそうと、倒れているエマの上に巨大な影が落ちる。
しかし、潰されたのはエマの方ではなく――
「………………あ?」
ジークの方だった。
ズゥゥウンと大岩の下にジークが下敷きになる。
プルプルと震えながら伸びた手は、やがて力尽きぽてりと落ちた。
何が起きたのか、エマにも分からない。
頭の痛みがより一層強くなっていく。
「いたい、いたいよ……っ、やだ、なに…こわい、」
目の前が涙でぐしゃぐしゃになる。
小さくうずくまるエマに対して、暴走する力はどんどん大きくなっていく。
強い風が吹けば海が大きく荒れ、島が揺れれば崖崩れが起きた。
"悪魔の実の暴走"
ジークが言っていたのは、これの事だと確信した。
エマの意思は関係なく、能力がひとりでに暴走している。
止めようとしても止め方が分からない。
エマをあざ笑うかのように、力は範囲を広げていった。
このままでは避難している村人、それどころか島全体が危ない。
守るどころが、壊してしまう。
「だれかっ、やだ…この、ままじゃ……!」
このままでは―――
「いやああああぁあぁぁぁああアアア!!!」
エマの悲痛な叫びが虚しく響いた。
母を殺したのは自分。
今まさに島を破壊しようとしているのも自分。
自分の持つ、悪魔の実の能力のせい。
自分が、この力を御しきれなかったせい。
――ならば、自分の心の臓が止まれば、この悪夢も終わるだろうか。
思い立ってしまえば迷いはなかった。
渾身の力を振り絞り、身体を起こしただけで呼吸はゼェゼェと苦しい。
敵が落としていったのだろう、すぐそばに落ちていたナイフを手に取った。
心臓を突き刺すには、十分の長さがある。
「…………うう、うっ、ッおかあさん……っ」
相変わらず頭は割れるように痛む。
けれど、ボロボロと流れる涙はそのせいではなく恐怖のせい。
自殺など、なんて親不孝だろう。
母は、自分の命を守って死んだのに。
「ごめんなさい、ごめんなさいっ……ごめんなさい…!」
両手で強くナイフを握った。
ぎゅっと強く目を瞑った。
「いま、いくね……」
ナイフを大きく振りかざし、左胸へと突き刺した。
「なに、してんだお前……」
ふいに聴こえた声。
反射的に瞼を開けた。
ナイフは、エマの心臓を貫いてなどいない。
後ろから伸びた誰かの手が、血で濡れた手が、それを阻止していた。
「なにしようとしたんだ、エマ!!!」
太陽のような人だと思った。
一緒に旅に出ようと言ってくれた人だった。
もう、会えないはずだった。
「……ル、フィ、さん………なん、で……」
「なんでじゃねェよ!島から爆発やら煙やら出てたから戻ってきたんだよ!……ってなんだお前その怪我!?チョッパー!おい、チョッパー!!」
手からナイフがすべり落ちた。
茫然としていれば、海岸の方からいくつかの人影が見えてきた。
間違いない、あれは、麦わらの一味の皆だ。
ボロボロと溢れ出る涙が止まらない。
なぜ、どうして、知り合った幾日も経っていない自分を、彼等は助けに来てくれたとでもいうのだろうか。
「チョッパー!エマの怪我見てやってくれ、ひでェんだ!」
「わかった!……ってどうしたんだエマー!!」
「エマちゅわんの麗しい身体に傷がああぁぁぁあああ!?どこのどいつだ蹴り飛ばしてやる!!!」
「エマ!生きてる?聞こえる!?」
「ぎゃあああぁぁああぁあ!!岩が降ってきたぞォオオ!?」
「なんなんだこの島の荒れ様は…!」
「一体何が起きているの?」
なんというタイミングだろうか。
自分なりに覚悟したというのに、命を捨てる覚悟を。
「何があった」
真っ直ぐに自分を見つめる瞳から逃れる事ができない。
助けてほしいと、縋りたくなってしまう、けれど。
「わ、たしを、殺して、ください」
「ええ!?ちょっと!」
「何言ってんだよエマ!」
「この島の荒れ様は、私の悪魔の実の能力が暴走して、こうなってしまった……私が死ねば、この暴走は止まるはず…!」
自分を支えてくれているルフィの手を握り締めて、エマは続ける。
「村の皆を、助けてください……!」
それが願いだった。
「はやく、はやくしないと…お願いします…!」
はやく、はやくはやく、終わらせてほしい。
「やだ」
ルフィの口から出たのは、たった二文字だった。
断られたと分かり、エマは素直にショックを受ける。
「……そう、ですよね、こんなお願い………じゃあ、止めないでください」
再びナイフを拾い上げようとした手をルフィが掴んだ。
「……なんで止めるんですか」
「そうじゃねェ」
「早くしないと、皆が…島も、あなた達の命だって危ない…っ!」
「そうじゃねェだろ」
「そうじゃないって何が……!」
ガシッと顔を両手で掴まれ、目を合わされる。
目を見開いてルフィを見れば、怒りながら、でも酷く悲しそうに、エマを見ていた。
「なんでお前が犠牲になるんだ!!」
「何を……」
「なんでお前が死ぬ必要があるんだ!!!」
「答えろ!!」とルフィはエマに問いかける。
その必死の形相に、思わずエマは息を呑み、言葉に詰まる。
だって、この悪夢を終わらすには、自分が死ぬのが手っ取り早いじゃあないか。
なのにルフィは、それを許さないとでも言うように、強く拒むのだ。
「どうして、そこまで私に――」
「友達だからだろうが!!!」
関わるんですか、という言葉はルフィによって遮られてしまった。
エマの中で、ずっと我慢していたものが崩れ落ちた。
小さく震える身体ごと、ルフィは包み込むように抱き締めた。
「る、ルフィさん、わたし…っ、死にたくない…ッ!」
一度決壊してしまった気持ちは、もう止める事はできない。
「たすけてください」
返事の代わりに、エマを抱きしめている腕に力が込められた。