来訪



「エマ、コーヒーでもいかが?」

「ありがとう、頂くわ」


ふんわりと香ばしい香りがして、コーヒーカップが机の上でカチャリと小さく音を立てた。
エマは読んでいた本を閉じてから、それを一口飲み込んだ。


「美味しい」

「ふふ、それは良かった」


そう言ってにっこりと笑った彼女、シーザーの助手であるモネは、端正な顔立ちには不釣り合いであろう瓶底眼鏡をかけて書類と向き合った。
手と足が鳥である所謂ハーピーの彼女は、その見た目とは裏腹に器用にペンを持ち、作業を進めている。

ここ、パンクハザードにある、シーザーの研究所に来て暫くが経った。

最初こそローとエマの滞在に警戒心を抱いていたシーザーだったが、いくつかの条件をのむ事によって、滞在許可を得る事ができた。
現在はお互いの利益のために協力しあっている、悪くない関係だと言えるだろう。


「うちの船長は?」

「仕事よ。囚人達に手足をつけに」

「え、あれってまだ終わってなかったのね」

「今日で最後のはずよ」


噂をすればなんとやら、部屋のドアを開け放って現れたのはローだった。

コツコツと床を蹴る音がいつもよりも荒々しい。
ああ、これは相当こき使われてイラついている。
エマはやれやれと肩をすくめた。


「お疲れ様」

「まったくだ。シーザーの野郎、容赦なく次々と囚人共を寄越しやがって」

「コーヒーでも飲む?ちょうど今モネが淹れてくれたものがあるわよ」

「……貰う」


ローはどっかりとソファに腰かけると、背もたれに頭を預け大きく息を吐いた。


「帽子が落ちるわよ」


半分脱げかけていた帽子を手に取り、エマは自分の頭にそれを乗せた。

ローは後方でコーヒーを注ぐエマに目だけをやり、気にかけた。
流石に少しサイズが大きいのか、どんどん帽子が下がっていくのが見える。


「零すなよ」

「零してないわ。行儀悪いからちゃんと座って」


目深になった帽子を上げ、エマがカップを机に置いた。

ぽんぽん、と太ももを叩いて姿勢を正す様促せば、ローは「母親かよ」と文句を言いながらも
ソファに座り直した。
その姿に満足したエマも、ローのよりも少し冷めたコーヒーを再び口に含んだ。

そんな二人を見ていたモネが、ぽそりと口を開いた。


「なんだかあなた達、熟年夫婦みたいね」

「ッ!?」

「……あァ?」


思わず中のものを吹き出しそうになったエマを見て、モネは「あら、ごめんなさい」と大して悪びれない素振りで言った。


「い、きなりなに…?」

「そんなに照れる事ないじゃない」

「照れてるんじゃなくてびっくりしたのよ」


なんとか飲み込んだ後、エマは口元を拭いながら言葉を発した。


「ふふ、まぁいいわ。それよりロー、お味はいかが?」

「悪くねェ」

「そう」

「ただ、コイツが淹れた方が美味い」


突然頭に手を置かれた事によって、ローの帽子に視界が遮られる。
いかんせん、ローの肘置きにされている感が否めない。


「あら、あなたみたいな人でも惚気を言うのね」

「おれはただ、事実を言っただけだ」

「うふふふ」

「楽しそうな所悪いんだけど、腕をよけてくれるかしら。何も見えないわ」


エマが不機嫌そうにそう言えば、ローは何も言わずに腕をどけた。


「そういえば、シーザーは?そろそろ時間のはずなんだけど」

「そのうち来るだろうよ」

「そう」

「おいエマ、何度も聞くが……」

「大丈夫、何も変な事はされてないわよ。主に血液の採取だけだから」

「ならいいが」

「シュロロロ!随分信用されてねェようで悲しいなァ…ロー!」


大きな音を立てて開け放たれたドアから入ってきたのは、この研究所の主、シーザーだった。


「お互いに条件をのんだ仲じゃねェか」

「だったらお前は、おれ達の事を完全に信用してるのか?」

「そう言われると素直に頷けねェが…そこの女は条件以外に自分やお前に危害を加えれば確実におれを殺そうとする!刺し違えてでもな!おれより懸賞金が低いとはいえ、2億の首だ!おれはバカなマネはしねェよ、シュロロロロロ」

「あら、随分褒めてくれるのね」

「おれとしては、少しでも"バーキンズ"お前の研究が出来るのが嬉しいのさ!非常に興味深い…!」

「それはそうと、時間は大丈夫なの?世界一忙しい科学者さん」

「おっと、そうだったな。エマ、行くぞ」

「ええ。あなた待ちだったのよ、シーザー」

「そいつは悪かったな」


先を行くシーザーの後を、カップを片付けてから追った。
もちろん、モネに「ご馳走様」と感謝の気持ちを伝えたのは言うまでもない。


「あ、」

「なんだ」

「忘れてた」


小走りで戻ってきたエマが、被っていたままの帽子をローの頭に乗せる。


「男前の出来上がりね」


ふふ、と微笑んだエマは、今度こそ部屋を後にした。


「エマの事が心配?」

「……言うほど心配なんかしちゃいねェ。あいつは弱くないからな」


残りのコーヒーをすべて喉に流し入れ、ローもその部屋を後にした。

モネはその様子を見て口角を上げると、部屋を出るまでその背中を見送った。



***



「で、何か分かった?」

「そう結論を急ぐんじゃねェよ。だが、早く知りたい気持ちは分かるぜシュロロロ!」

「分かってるなら早く教えて」


腕を捲り、いつもと同じく容器三本分の血液を抜かれる。
大した量ではない。

この島に滞在する条件の一つとして、エマの血液が欲しいとシーザーは言った。
その時のローといえば、今にもシーザーを真っ二つにしそうな勢いで拒否していたが、当の本人は身体に影響が出ない程度なら良いと了承した。
その後のローの機嫌取りには手を焼いたが、現在はなんとか納得してもらったようだった。
しかし、エマがその条件をのんだのには他に理由がある。

ここ最近、傷の治りが遅いと感じるようになった。

きっかけはペンギンとの修行の時だった。
少し擦りむいた、なんてことはない小さな傷。
その回復の遅さに、戸惑いが隠せなかった。

そろそろこの力について、しっかりと理解しなければいけないのかもしれない。
そう思い、あまり気は進まなかったが、腕は確かであるシーザーに相談した。


「お前の予想通り、バーキンズの再生能力には限度がある」


そのシーザーの言葉に、エマは一瞬目を見開き、そして少し俯いて「そう」とだけ呟いた。


「ローには、」

「いい」


ローには言わないのか、そう続いたのであろう言葉を食い気味に遮る。
自分の船長に隠し事かと揶揄う様に言う目の前の男に、エマは鋭い視線を向けた。


「シュロロロ、そう怒るな。船長に心配をかけまいとする、部下の鑑じゃねェか」

「これは私の問題なの、彼は関係ないわ」


シーザーからフイ、と顔を逸らし、先ほど注射器を刺した腕を見つめた。
傷口はすでに塞がろうとしていたが、やはり今までに比べると、治る速度は格段に遅い。

眉を寄せ、傷口に親指をぐりぐりと押し付ければ、今度こそ傷は綺麗に塞がっていた。


「更にもう一つ、」


エマの気持ちなど知ったこっちゃない、そんな声色でシーザーが言った。

どうせいい報告ではない。
エマは覚悟を決めて「何?」と聞き返す。

弧を描いていた口元が、ゆっくりと開いて音を発した。


「その意思に関係なく再生する能力は、お前の寿命を少しずつ縮めているぞ」


ひゅっ、と、一瞬呼吸が止まったのが分かった。
ダランと垂れた腕が、指先から段々と冷たくなっていくのが分かる。


「……そう、」


しかし、思っていたよりもエマは冷静だった。
シーザーの言った事は、紛れもない事実だと、すぐに理解する事ができた。


「こんな力だもの、何もリスクがない方が不自然ね」


ふと、エマは笑った。
想像と反応が違ったからか、シーザーはつまらなそうにエマを見た。


「私の寿命はあとどれくらい?」

「それは分からねェ。5年か、10年か…はたまたそれ以上か……バーキンズの中でも、寿命が長い奴短い奴、それぞれだろう」


これにはエマも納得した。
以前に盗んだ資料にも、同じ内容の実験でも死亡時期は異なっていた。

それを読んだ時から、この能力にも限界があるのではないかと疑ってはいた。
だが、信じたくもなかった。
望んだ訳でもなく、生まれつき備わっていたこの能力に、命を奪われているなど。

しかし、どこかわだかまりが解けたような気もする。


恐ろしいか、とシーザーに問われる。
答えはノーだ。


「海賊なんてやっていれば、いつ死んでもおかしくないから」


本心だった。


「それに……」

「? なんだ…?」


エマは何かを言いかけて、止めた。


「いいえ、なんでもないわ。もう行ってもいい?」


シーザーが頷くのを確認すると、エマはその場を後にした。









「終わったのか」

「ええ」


この研究所内で二人に与えられている部屋へ戻ると、先ほどと同じようにソファで寛いでいるローに迎えられた。

その目の前に立ちローの事を見下ろすと、エマの方から触れるだけのキスを落とした。
満足、と笑って隣に腰掛けると、今度は肩に頭を預け小さくため息をついた。


「何かあったのか」

「別に。血を抜かれたから少し頭がぼーっとするの」

「いつも至る所から血を流して、平然としてる奴がか?」


「もっとマシな嘘をつけ」とローは言う。


「んん、本当よ。あー、もう、眠たくなってきた」

「眠れてないのか」

「あんまりね。枕が変わると寝付けないタイプなの、私」


エマがそう告げるとローの眉が少し寄った。
それに気が付いたエマは、日常に支障はない事を付け足した。


「少し寝ろ」

「う、わ…!」


突然ローの手に視界を遮られたかと思うと、そのままぐっと引き寄せられる。
そして傾いた身体は重力には逆らえず、そのまま倒れてしまったエマはローを見上げた。


「ふふ、ローの膝枕なんてレアね」

「不満か」

「固いわね」

「我慢しろ」


くすくすと笑って、はーいと軽く返事をする。


「お言葉に甘えようかな。でも、何かあったら起こしてね」

「あァ」


髪を撫でる優しい手つきに、意識が遠のいていく。
完全に視界が暗くなろうとしていた、その時だった。


「……?」

「……なに、」


ローの手が止まり、エマも閉じかけていた瞳を開いた。


「表が騒がしいな」

「ええ……せっかくうとうとしてたのに」

「仕方ねェだろ。上着ろ、行くぞ」

「ああ、最悪。外は極寒、絶対出たくなかったのに」


文句を言いながら、ローに手渡された黒いダウンに身を包み、腰に刀をぶら下げる。
早々に部屋を出て行ったローの後を、エマは小走りで追いかけた。


玄関に着けば、外からの隙間風がエマの身体の熱を奪っていく。
「寒い」と呟くエマにローは「うるせェ」と返す。

外からは人の話し声が聞こえてくる。
それも一人や二人ではなく、大勢の話し声。


「多いわね」

「あァ…たく、面倒な事にならなきゃいいが……そうもいかねェか」

「え…?」


ニヤリと笑ってローが扉を開いた。
刀を抱え、トン、と壁に寄り掛かる。

ビュウ、と入ってきた吹雪から逃れるように、エマはローの後ろへと隠れる形になった。
そして覗くようにして、突然の来訪者に視線を向けると、思わずギョッとした。


「おれの別荘に何の用だ、白猟屋」


面食らったのは、向こうも同じだった。


「か、海兵…!?」


訪ねてきたのは、白髪と二本の葉巻がトレードマークの"白猟のスモーカー"率いる海軍だった。

どうしてこんな所に、というのがお互いの感想だった。


「ここは政府関係者も"すべて"立ち入り禁止の島だ、ロー」

「じゃあ、お前らもだな」


ローは目の前の男の圧力を物ともせず、いつもの通り不敵に笑みを浮かべたのだった。