気まぐれ



「戦争には行かないって言ったのに」

「なに不貞腐れてやがる」

「別に……」


むすっとした表情をして、エマは顔を背けた。

機嫌を取るかのように、ローはエマの頭に手をやるとくしゃりと撫でた。


「戦いに参加する訳じゃねェ、観念して付き合え」

「どうせ、またいつもの気まぐれでしょう」

「分かってんじゃねェか」


そう言って、ローは不適な笑みを浮かべた。





時は少し遡り、シャボンディ諸島――


白ひげ海賊団、火拳のエースの処刑は予定通りに決行された。

しかし、それを阻止しようと現れた白ひげ海賊団と海軍との全面戦争となり、世界は不安の渦に巻き込まれた。
その様子は映像電伝虫によって配信され、諸島の大型スクリーンが設置された大広場には、見知った海賊達の姿もあった。

エマは壮絶な戦いを繰り広げる両軍を、ただただ見つめていた。


『うわぁぁああああ!!!』


突如、画面から聞こえてきた大きな叫び声。
それはなぜか、空から降ってきた。


「…なんで、彼が……」


"麦わらのルフィ"、彼は兄エースを救うべく、インペルダウンそしてこの戦場にもやってきた。

こんな状況にも関わらず、彼は笑顔で自身の兄に向けて大きく手を振っていた。


「話題に事欠かねェな、麦わら屋」


彼に驚かされたのはそれだけではなかった。

ルフィは昔エースと盃を交わした義兄弟であり、あの世界最悪の犯罪者と言われる"革命家ドラゴン"の実の息子だという事実が告げられた。

火拳のエースが"海賊王"の息子だったという事実も加え、なんとも情報過多である。


――ブツン。


「……え?」


途端に、スクリーンの映像が途絶えた。

大広場がザワつき、海兵からの説明は、電伝虫の通信トラブルというものだった。


「絶対に嘘」

「世間と海賊おれ達に見せたくねェもんでもあるんだろうよ」


そして、ローが動いた。


「船を出すぞ、ベポ」

「アイアイ!…………え?」

「ちょっと船長、何処に行くつもり?」


エマの問いに、ローは答えない。
仲間達も戸惑いつつ、その背中について行ってしまった。

自分だけがこの場に残る訳にも行かず、エマも駆け足でそれを追いかけた。


「エエェェェ!?戦場に行くゥ!!?」

「何言ってるんですかキャプテン!!危ないですよォ!!?」

「いいから黙っておれに従え」

「いや、でも…!」

「心配するな、お前達はおれが守ってやる」

「「「キャ、キャプテン〜〜!!」」」


船を出す事に反対していたクルーも、その一言であっという間に絆されてしまった。
一変してルンルンと出航の準備を始めてしまったものだから、もうエマにそれを止める手立てはない。


「……どうして戦場に?無謀な事はしないって言ったじゃない」

「何不貞腐れてやがる」

「別に……」

「戦いに参加する訳じゃない。観念してつき合え」

「もう、あなたの気まぐれに付き合わされるこっちの身にもなってよね」


むすっとした表情のエマの頭を、ローがくしゃりと撫でる。


「そうすれば機嫌が直るとでも…?」

「事実、直るんだろ」

「ばか」


未だに頭の上にあるローの手を、掴んで下ろす。


「本当に、戦闘はしないのね?」

「あァ、用が済んだらすぐに潜る」

「約束ね……ハァ、あなたにここまでさせるって、嫉妬で狂いそう」

「何がだ」

「麦わらのルフィよ。彼を助けに行くつもりなんじゃないの?」


まさか当てられるとは思わなかったのか、ローは少し驚いた表情を見せた。


「こんな所で死なれちゃ、面白くねェからな」

「放っておけば、ライバルが一人減ったかもしれないのに」

「そのライバルに借りを作っておくのも、悪くねェだろ」


口角を上げ、あまりに楽しそうに言うのだ。


「そういう事にしておいてあげる」


エマも、ふと笑みを零した。

その時、ぐわんと船内が大きく揺れた。


「なに!?」

「戦場が近づいてる証拠だろ。おそらく、白ひげが動いたな」

「こんな所まで…なんて力なの……」


船が目的地に近づくにつれ、どんどん揺れも大きくなっていく。
それに比例するように、エマの心臓もドクンドクン、と大きく脈打った。


「キャプテン!報告が…!」

「なんだ」


ガタガタと音を立て、慌てた様子のペンギンがやってきた。


「い、今、盗聴用の電伝虫で得た情報なんですけど…!!」

「さっさと言え」


先を急かすローに、ペンギンは落ち着くのも困難な様子で口を開いた。


「火拳のエースが、命を落しました…大将、赤犬の手によって……」

「え、」

「……そうか、」


ペンギンが言うには、一度はエースの救出に成功したらしい。
だが、逃げる際に弟のルフィを守るために、自らを犠牲にしたそうだ。


「その後、目の前で兄を亡くした麦わらのルフィは意識を失い、安否は不明……白ひげ海賊団が劣勢の状況です」

「分かった、下がっていいぞ」

「はい」


ローの表情が、一層険しいものなる。


「急いだほうが良さそうね」

「あァ、」


『キャプテン!海面が氷漬けで浮上出来ないよォ!』

「あァ?どこかに穴ぐらいあるだろう、探せ!」

『あ、アイアイッ!!」


船内アナウンスでベポが狼狽えながら言った。

辺り一帯が氷漬け、こんな事が出来るのはただの一人だけだろう。


「青キジの仕業ね」

「あァ、ヒエヒエの実の能力…ったく、どんな攻撃範囲してやがる」


浮上出来る場所を探し、しばし海中を彷徨う。
そしてようやく、その場所を探し当てた。


『あった!キャプテン行けるよ!!』

「よし、浮上しろ!!」


いよいよだ、そう思うと無意識に拳を握る力が強くなった。


「大丈夫だ」


横から聞こえた声に、パッと顔を向けた。


「……ええ!」


それだけで、こんなにも頼もしい。


「麦わら屋とはいずれは敵だが、悪運も縁…こんな所で死なれてもつまらねェ!!」


船が浮上し、すぐさまローが甲板へ出た。


「そいつをここから逃がす!!一旦おれに預けろ!!」


「おれは医者だ!!」と、一歩前に出て叫ぶ。


"北の海"ノースブルーのトラファルガー・ローです!!」

「潜水艦だと!?」

「なんで億越えのルーキーがこんな所に!?」


一気に注目を浴びたローに向けて、無数の銃弾が飛んで来た。
それをエマを含むクルー達で回避する。

何人たりとも、船長の邪魔をさせる訳にはいかない。


「ム ギ ワ ラ 屋ァ!?なんだオメェは!どこの馬の骨とも分からん奴なんざに誰が…!!」

「グズグズするな、急げ!!」


どの様な能力なのかは知らないが、丸い赤鼻の海賊の男が、目的のルフィと魚人を抱きかかえて空に浮いていた。
警戒されているのか、なかなか彼等を渡そうとはしなかった。


「逃がさないよォ〜〜〜」


ピュンッ――と光の一閃が男に向かって放たれた。

思わず手で口元を覆った。
しかし男から情けない悲鳴が聞こえてきた事で、当たりはしなかったのだと安堵する。


「黄猿だ!!」

「もう一発来るぞ!!」

「次は当てるよォ〜〜〜」


一発目はただの脅しでしかなかった。
今度は確実に仕留める気だ。

そう思った時には、すでに身体は動いていた。


「こっちよ!!黄猿!!」


思い切りそう叫べば、サングラスを通して瞳と瞳がぶつかる。


"共有・動作"シェア・アクション!!」


ピタリ、と黄猿の動きが止まった。


「何をやっちょるボルサリーノォ!!さっさと仕留めんか!!」

「……オォ〜〜、身体が動かないねェ」


口調は温厚だが、その目はしっかりとエマを見据え、殺意が向けられる。


「おわァアア!!ナイスエマ!!」

「さすがだぜ!!」

「いいから早くして!長くは持たない…!」

「な、なんだか知らねェが、助かったぜ……」

「ちょっと何やってるの!早くその二人渡して!」

「アァ!?だァから!なんでお前等なんかにこのバギー様が…ッ!?」

「おいエマ、大丈夫か」


黄猿の動きを止めているエマの様子がおかしい。
汗がぽたりぽたりと流れ、呼吸は段々と浅くなっていく。

いつもなら、この能力を使う際にこんな事にはならないはずだ。


「黄猿が、すごい力で、能力を解こうとしてる…ッ!」

「なんだと…?」

「お願い、早くして…!」

「チィッ!おい赤っ鼻!!死にたくなけりゃさっさとそいつ等渡せ!!」

「あ、ああああ、赤っ鼻だとォ!!?テメェ、誰に向かってその口…ッ」

「ウッ…!」

「エマ!」


エマが耐えられず、膝をついた。
それは事実、シェアシェアの能力が解かれた事をさしている。

身体の自由を取り戻した黄猿は光を纏い、再び狙いをバギーに定めた。


「ヒィッ、し、仕方がねェから、こいつ等の事は、任せてやるよォ!!」


今度こそ身の危険を感じたのか、バギーは二人を船に向かってポイ、と投げ捨てた。
それをベポの指示の元、ジャンバールが上手く受け止める。


「うわァ、大丈夫かなこいつ……急ごっと!」


ベポはルフィの状態を見ると、そう呟いて船内へと駆け込んで行った。


「すぐに船を出せ!潜るぞ!!」

「トラファルガー・ロー……君にはシャボンディで逃げられたからねェ、今度こそ……」

「クソッ…!」


ルフィ達を船に招き入れたおかげで、黄猿の狙いは完全にバギーからこちらへと向いた。

座り込むエマの肩を抱きながら、ローは慌てて戦闘態勢を取った、その時だった。


「そこまでだァァァアア!!!」


戦場に響き渡った声に、多くの視線が向いた。


「なんだ…?」

「海兵…!?」


一人の海兵が赤犬の前に立ち塞がる。
その光景に、黄猿も気を取られて隙が出来た。


「今のうちに出航しろ!!」

「アイアイ!!」

「エマ、大丈夫か!?」

「う、ん…なんとか…!」


シャチに手を借り、フラフラとした足取りながらも船内へと急ぐ。
ふいに後ろを振り向けば、先ほど叫んだ海兵に向かって、赤犬が拳を振り落とそうとしていた。

刹那、その光景に誰かが滑り込む様にして割って入った。


「あれ、って……」


目を見開いたのは、エマだけではなかった。

戦場にいる、誰もがその人物に目を奪われた。


「赤髪のシャンクス――」


海賊の最高峰、四皇の一人である男。

そんな男がなぜここに、と考えた途端に殺気に襲われる。
しかしそれはすぐにやみ、目を向ければこれまた驚きの人物がいた。


「何もするな、黄猿」

「おっとっと〜〜、ベン・ベックマン」


何処から現れたのか、気が付けばポーラータング号の傍には何倍もの大きさのある船が一隻佇んでいる。
そしてその周りには、誰もが一度は手配書などで見た事があるであろう顔ぶれ。

ぽかん、とエマの口が開いた。


「もう、何がなんだか……」

「ああ、おれも……」


思わず零れた言葉に、シャチも同意した。

赤髪のシャンクスは、赤犬の拳を愛刀のグリフォンで受け止め、勇敢な海兵の命を救った。
そして彼は公言した、戦争は終わりだ、と。


「キャプテン!赤髪珍しいけど早く閉めて!!」

「あァ…待て、何か飛んで来る」


ローに向けられて飛んできた、何か。
それを片手で奇麗に受け止めると、扉を閉め、船は海中へと潜り始めた。


「ベポ、患者は」

「もう手術室に運んであるよ!でも、急がないとやばそう!」

「分かった。エマ、もう動けるか」

「ええ、もう大丈夫」

「ならいい。とにかく出来るだけ早く遠くに…ッ、なんだ…!」

「ヒィィイイ!!揺れてる!すげェ揺れてる!!」

「海軍…!まだ諦めてなかったの!?」


ズズン…!!と船体が縦横関係無しに揺れる。
小窓から水中を見れば、黄猿の光線が無数に飛び、間後ろからは分厚い氷が追いかけてきていた。


「ぜ、全速前進〜〜ッッ!!!!」

「マジで!!無理!!ヤメテって!!!」

「逃げろ逃げろ逃げろぉぉおお!!!」


悲鳴を上げながらある者は柱にぴったりとくっつき、ある者は耐えられずに床を転がっている。
そんなクルー達を他所に、ローだけはスタスタと歩いて手術室へと向かった。

申し訳程度の医学しか分からないエマに、手伝う術はない。

なんとか海軍の攻撃から逃げおおせた後、無事手術が終わるのを待つだけだった。



***



「びっくりしたぁ…よくおれ達がここに浮上するって分かったな。海軍がここまで追ってきたのかとキモ冷やしたよ」


ベポの言葉に誰もがうんうんと頷いた。


「サロメに海中を尾行させたのじゃ。話を勝手に逸らすなケモノの分際で」

「すいません……」

「「打たれ弱ッッ!!」」


ベポを言葉一つで撃沈させた一人の女性。
この者が突然現れたのは、つい先ほどの事だった。



戦場から逃げた後、比較的波が穏やかな場所でポーラータング号は浮上した。
完全に逃げ切ったと誰もが安心していたのだ。

後ろから迫りくる敵に、まったく気が付いていなかった。


「軍艦だ!こっちに来るぞ!!」


見張りから発せられた声に、一気に船内が慌ただしくなった。

どこから、どうやって。
海中を進むこの船を追う事など、出来るはずがない。

だが、そんな事を考えるのも後回しだと、エマは自分に言い聞かせて刀を握る。

ローは手術中でこの場にはいない。
彼無しでここをどうにかしなければ。
歯を食いしばり、刀を持つ手には力が込められた。しかし、


「…………なんか、何もして来ないな?」

「……そうね」


軍艦は、ゆっくり近づいてくるだけで何もしてこない。
砲弾を撃ってくる様子もなく、ただただ、ゆっくりと。

そして軍艦は目と鼻の先までやってくると、ポーラータング号の横につけるように停泊した。
するや否や、一人の女が甲板へ降りてきた。

そして問うのだ「ルフィはどこじゃ」と。


「か、海賊女帝…ボア・ハンコック!?」

「なんでここに!!?」

「わらわの名を気安く呼ぶでない!呼んでいいのは、彼だけじゃ……」


突然怒りを露にしたと思えば、両手を添えてポッと頬を赤らめる。
印象と大分違うというのが、エマの正直な感想だった。


「悪いけど、麦わらのルフィと海峡のジンベエはまだ手術中よ」

「っ!容体はどうなのじゃ…!!」


緩んだ顔を引き締め、エマの肩を掴んだ。
それと同時に、キィ…と甲板のドアが開かれ、手術を終えたのであろうローが姿を現した。


「あっ、キャプテン!」

「船長!どうだった?」

「やれる事は全部やった。手術の範疇では現状、命は繋いでる」

「そう…!」


手術は成功したのだ、と皆がほっと息をついた。


「だが、有り得ない程のダメージを蓄積している。まだ生きられる保証はない」

「……っ!!」

「そんな……」

「それは当然の事だッッチャブル!!!!」

「そうさ!麦わらは頑張った!!」

「あいつのおかげで、おれ達は脱獄できたんだ!!」

「わっ、なに、いつからいたの?」


静かだった軍艦から、突然声が聞こえてきた。

そこから次々と顔を出したのは、戦争で麦わらのルフィと共に戦っていた脱獄囚達。
どうやら戦場から抜け出すために、軍艦に潜んでいたらしい。

すると、軍艦から一人の巨体が降ってきて、ハンコックと同じ様に甲板に着地した。


「革命軍の、イワンコフ……」

「ハァイ、初めましてバーキンズガール!」

「ど、どうも……」


エマは目の前に立つ生体を見上げた。
性別がどちらか、など、今考えるべき事ではないだろう。


「麦わらボーイは、インペルダウンですでに立ち上がれない程にボロボロだった…よくもまァあそこまで暴れた回ったもんだっチャブル!!それもこれもエースを助けたい一心!その兄が自分を守ろうとして目の前で死ぬなんて……仏も神もありゃしない!!」

「ハァ……可哀想なルフィ……出来るなら、わらわが身代わりになってあげたい。なんという悲劇じゃ…!!」


そう言って涙を浮かべるハンコックを見て、隣にいたシャチとペンギンが鼻の下を伸ばしていた。
何を考えているのか、手に取るように分かる。


「あれくらいボロボロになるまでお互いに殴り合ってみれば?少しは同情してくれるかもよ」


意地悪くそう言ってみれば「やめておきます!!!!」という息ぴったりの返事が返ってきた。


「おい、待てって!まだ起きられるような状態じゃ…!!」


そんなやり取りの中、船内から焦るようなクルーの声が聞こえてくる。
ドアの方に目を向けると、これまた巨体な人物が、その身体を引きずるようにしてやってきた。


「ジンベエ…!!」

「おいおい、起きて平気なのか…?」

"北の海"ノースブルーのトラファルガー・ローじゃな。ありがとう、命を救われた…!!」

「寝てろ、死ぬぞ」

「無理じゃ、心が落ち着かん……ワシにとっても、今回失った損失はあまりにでかすぎる…!!それゆえ、ルフィくんの心中は計り知れん……命を取り留めても、目覚めた後が最も心配じゃ……」


ジンベエは強く強く拳を握り締める。
真っ白だった包帯は、じわりじわりと赤が侵食を始めていた。


「傷が開くわ、とにかく今は休んで」


エマはその拳に自身の手を添え、ゆっくりと解かせた。


「ケモノ、電伝虫はあるか」

「あるよ!…………あっ、いや、あ、ありますすいません……」

「いいなー、お前。女帝のしもべみたいで」


ハンコックに指示されたベポは、いそいそと電伝虫を取りに行った。
なぜ電伝虫を、と問えば、あの女ヶ島と連絡を取ると言うのだ。


「ルフィの生存が政府にバレれば、必ず追手が来る…わらわ達が女ヶ島で匿おう。わらわがまだ七武海であるのなら、安全に療養出来る。おぬし等も、身を隠せるであろう」


その提案は、エマ達にとって願ってもない申し出だった。

あれだけ戦場を好き勝手に暴れまわった彼を、逃がしたのだ。
ハートの海賊団も、ほとぼりが冷めるまで目立つ行動は避けたいところだった。


「案内しろ」


ローがそう答えると、ハンコックも頷いた。

目的地は"女ヶ島"。
七武海、ボア・ハンコックが皇帝として治める国家、アマゾン・リリーがある島である。