嫉妬



声はどんどん近づいてきていた。
エマは木の影に身を隠すと、そこから声の持ち主が姿を現すのをじっと待っていた。


(っ、きた……)


ガサガサと草をかき分ける音と共に、数人のガタイの良い男が現れた。
見覚えは、ない。

大方別の海賊が上陸していたのだろうと、エマはいつでも刀を抜けるよう、準備していた。


「次は何処に運ぶって?」

「地下にリストがあったろ、見れば分かる」

「えっと、どこだ?分かりにくいなァ」


(地下…?)


すると、一人の男がその辺にある木を虱潰しに叩いていく。

「あったあった」と、そこには木の幹の中に隠された、何かのスイッチがあった。
それをぐっと男が指で押せば、小さな地鳴りと共に地面が割れて行く。


「しっかし楽な仕事だよなァ、戦争好きな国に武器を売って金にする。それだけでいいんだからよォ」

「へっへっへ、違いねェ」

「無駄口叩くな、さっさと入って閉めるぞ。最近、革命軍が探ってるって噂もある」


ヘマしたら殺されるのはおれ達だ、男はそう言って、地下への扉は完全に閉じられてしまった。


(戦争、国、武器、リスト…そして革命軍……)


男達が口にした言葉を頭の中で整理する。
そして地下への道と、スイッチの場所を確認した。
見事にそれは自然に溶け込んでいて、場所を知らなければ見つける事は困難だろう。

エマはそっとその近くに、刀で小さく目印を付けておいた。


(おそらく、何か裏の取引ね)


この海では、国同士の戦争や内乱が後を絶たない。
戦争に必要な物と言えば、銃や刀といった武器が一番に上がるだろう。

エマの頭の中に、一つのワードが浮かんだ。


「……ジョーカー」


あり得ない話ではなかった。

ローにいつか聞いた事があった。
ドフラミンゴは、裏世界の大物たちや国と取引をしていると。
それも、かなり大きな規模だという事も。

先ほどの男達がもしジョーカーと繋がりがあるとしたら、何か情報を得る事が出来るかもしれない。
幸い男達も下っ端のようで、大した実力があるとは思えない。
他に仲間がいる事を視野に入れても、絶好のチャンスだった。

しかし、エマには今一つ踏み切れない理由がある。


「皆、怒るかしら……」


半年ほど前、エマは忽然と姿を消し、生死を彷徨う状態で見つかっている。
その時は本当に心配をかけ、再会した際にはベポに抱きつかれ、滝かと思うほどに泣かせてしまった。

そして現在、海王類のくしゃみで近くの島までたった一人で飛ばされるという失態を犯している。

正直、反対される未来しか見えなかった。


「んん……」


しばらく悩んだ末、船長であるローに相談する事にした。
事情を知る彼なら、もしかしたらゴーサインを出してくれるかもしれない。

そう思い、懐に手を入れた瞬間だった。


「ッ!?」


突然嫌な予感がして、咄嗟に頭を下げた。
すると、その上を何かが物凄いスピードで通過する。
髪の先がそれに触れた感覚がして、ブワリと冷や汗が出た。
頭を下げていなければ、相当な力で殴られていただろう。

すぐに態勢を整え、間合いを取る。
しかし相手はその隙を与えまいと、すかさず攻撃を繰り出してきた。


「ッあ、ぅ…!」


ガキンッ、と音がして、かろうじて刀で鉄パイプらしき物を防いだものの、力負けをして身体が吹き飛ばされてしまった。


「くそ…ッ!」


上手く受け身は取れたが、エマの口元からは血が流れていた。
それを気にする余裕もなく、第二波に備えて構えなおした。

しかし、いくら待っても攻撃が飛んで来る事はなかった。
それどころか、目の前の男はピタリと動きを止めてこちらの様子を伺っている。


「……なに?」

「……なァ、ちょっと聞いてもいいか?」


黒いシルクハットに顔の火傷と、それを隠す様に伸びた金髪が印象的な男だった。

エマが返事を言う前に、男は「あいつらの仲間か」と聞いていた。


「仲間?なんの事?あなたこそ誰?いきなりなんなの?」


エマの怒涛の逆質問に、男の表情はどんどん曇っていく。
その顔にはやっちまった感が滲み出ていて、申し訳なさそうに帽子を取り、口にしたのは謝罪の言葉だった。


「悪ィ、おれの早とちりだったみてェだ」


そう言ってエマに手を差し出した。

エマは少し戸惑った後、素直にその手を掴んで立ち上がった。


「……傷が、」

「平気よ、このくらい」


エマがペロリと舌で血を舐めとると、いつも通り傷は奇麗さっぱりなくなっていた。
男の目はみるみるうちに見開いていき、驚いた表情を見せた。


「能力者か?」

「内緒」

「なんだよ、そんな警戒するなよ。って言っても、いきなり殴りかかった奴に言われてもなァ……」

「分かってるじゃない」


興味深そうにエマを見る男に、思わず一歩後ずさった。


「あんまりじろじろ見ないでくれる…?」

「ん?あァ、すまん」


先ほど殺気をむき出しに襲い掛かってきた男とは思えない。
彼はニカッ、と人懐っこい笑みを見せた。

エマはため息をついて、その男の手を掴む。


「ん?なんだ?」

「ひとまずここを離れるわ。何人か、こっちに向かってきてる気配がする。おそらくあなたが私と勘違いした"あいつら"なんじゃない?」

「すごいな、分かるのか」

「なんとなくね」


そうして腕を引っ張って歩けば、男は素直に付いてきた。
ただ単に素直な性格なのか、それともエマくらいの相手ならどうとでも出来るという自信なのか。

どちらにせよ、油断はできない。
エマは男に対しても警戒心を緩める事はせず、歩を進めた。


「ここまで来れば大丈夫ね」


しばらく歩いて、敵の気配がない事を確認するとエマは足を止めた。
そして男の方は岩にドカッと座ると、「さて」と話し始めた。


「自己紹介がまだだったな。おれはサボ、薄々感づいている様子だが…革命軍だ」

「革命軍……」

「他言無用で頼む。あんたは?聞いてもいいか?」

「……エマ、海賊よ」

「あんまり見えねェなァ」

「失礼ね」

「悪ィ悪ィ」


サボは、そう言って笑っていた。

革命軍といえばもっとイカついイメージがあったのだが、とエマは思う。
身なりはしっかりしているし、礼儀も悪くなさそうだ。

ただ、先ほど受けた殺気と攻撃からして、かなりの実力者という事は間違いない。
あまり深入りして怒らせてしまうのは分が悪いが、それでも聞かなくてはならない。

エマは意を決して、本題を口にした。


「革命軍が、なんでこの島に?」

「そういう海賊こそ、この島になんの用だ…?まさか、」


取引のためか――?

そう言ったサボから、またもや先ほどと同じような殺気が出る。
エマは慌てて「違うわよ!」と否定した。


「私は偶然……その、」

「なんだ?言えねェ事か?そもそも、仲間はどうしたんだ?一人で海賊やってるワケじゃねェんだろ?」

「質問が多いわ」

「その言葉、そのまま返す」


先ほどの事を根に持っていたのか、とサボを見れば、彼は悪戯っぽい顔をして笑っていた。


「…………た、のよ……」

「え?」

「っ、だから!はぐれたのよ!」


エマはこの島に来るまでの経緯を説明した。
もちろん、原因は海王類のくしゃみのくだりも話さなければ辻褄が合わないため、エマはしぶしぶその事も話した。
すると案の定サボは腹を抱えて大笑いし、しまいには目尻に涙が浮かべていた。


「いつまで笑ってるのよ!!」

「はははは!だ、だってよ、海王類のくしゃみで?ここまで飛ばされたって?ははは!」

「私は話したから!あなたがいる理由は!?……まぁ、大体予想は付くけど」

「ははははは、はぁ、あー、腹いてェ……ちょっと待ってくれ」

「ちょっと、いい加減ぶっ飛ばすわよ」


エマが握った拳を振りかざせば、サボは分かった分かった、と話し始めた。


「お察しの通り、そういう取引の調査をしている」

「やっぱりね……ねぇ、その調査私にも手伝わせて」

「ハァ?」


エマがそう切り出せば、サボは冗談じゃないといった顔をした。


「却下だ。大体、手伝ってどうするつもりだ?」

「こっちも訳アリなのよ。大丈夫、邪魔はしないわ」

「そう言ったってなァ……」

「あなたの事を言いふらしたりもしないし…ね、お願いよ」


手を合わせてそう言ってみるも、サボは「ダメだ」の一点張り。
それはそうだ、なぜならエマは海賊だから。

きっと害はないのだと理解はしてくれているはず。
しかし、ここから情報が絶対に洩れないとは言い切れない。
サボからしたら、1ミリの不安要素も作りたくはないだろう。

なかなか首を縦に振ってくれないサボに、こうなったら、とエマは最後の切り札を切った。


「武器が保管されている地下室」

「……何?」

「その場所、私が知ってるって言ったら?」

「どういう事だ」

「さっき、複数の男が地下の隠し通路に降りて行くのを見た、そういう話をしながらね。入口もその入口を開けるためのスイッチも、自然に溶け込んでて簡単には分からないわよ…?」

「……ハァ、参ったな」

「取引しましょ」


にっこりと笑って言えば、サボは観念して両手を上に上げた。
そしてため息を一つ着いた後「わかったよ」と頷いた。


「やった、ありがとうサボ」

「言っておくが、自分の身は自分で守ってくれよ」

「分かってるわ。私、これでも賞金首なの、あいつら程度には負けたりしないわよ」


早速向かいましょ、と歩き出したエマの手をサボが掴む。
振り返れば、神妙な顔つきのサボがこちらを見つめていた。

どうかしたのかと不安になったが、それは無駄な心配で終わる事となる。


ぐぅぅ〜〜〜きゅるるる〜〜〜


サボから聞こえてきたその音に、エマはぱちくりと瞬きをした。


「ハラが減った、先ずは腹ごしらえだ」


真剣なそのまなざしに、エマは頷くしかなかった。



***



「肉でも探してくる」


そう言ってサボは一人、森の奥深くへと消えて行った。


「何を獲ってくるつもりかしら……」


果物とか軽食程度の物ではないのか、とエマは疑問に思ったが、すぐに本来の目的を思い出す。

エマはサボが探しに行っている間に、ローに連絡を取ろうと電伝虫を取り出した。
出来れば直接ローに繋がって欲しい。
そう願って発信すれば、何回かコールした後にガチャリ、と通じた。


『どうした』


願った通り、電話に出たのがローでほっとする。


「船長、今一人…?」

『部屋にいるからな、何かあったのか』

「ええっと……」


エマはあの後起きた事を簡潔に話した。

"他言無用で頼む"

サボの言葉を思い出し、彼と一緒に調査する事は伏せておく。


「ジョーカーに繋がる情報が、何か手に入るかも」

『気は進まねェが……』

「お願い、無茶はしないわ」


しばらくの沈黙の後、ローは一言だけ「わかった」と言った。


「ありがとう船長」

『いいか、絶対に無茶はするなよ』

「わかってる。約束するわ」

『……信用できねェな』

「ちょっと、聴こえてるわよ」


「エマ!でけェの獲れたぞ!!」


突然背後から聴こえた別の声に、エマは悲鳴を上げて心臓を押さえた。

振り返れば子供のようなキラキラとした笑みを浮かべているサボがいて、その後ろには首にロープが巻かれて瀕死状態の大きな動物がいた。

本当に肉を獲ってきた、しかも相当なサイズのものを。
エマは一瞬電伝虫が繋がっている事も忘れ、呆気にとられた。


『……お前、誰と一緒にいる』


明らかに機嫌が悪そうな低音ボイスが聴こえ、反射的にドッ、と冷や汗が垂れた。

呑気な顔をしてこちらを見るサボの頭の上には、疑問符が浮かんでいるように見える。
そして無邪気に笑ってこう続けるのだ。


「お前も食うだろ?」

「…………た、」

「た?」


せっかくサボの事を伏せて説明したのに、すべて水の泡である。


「タイミングが最悪……」

「ん、仲間と連絡取ってたのか?そりゃうるさくして悪かったな」

「それはいいのよ。いや良くはないわね、あなたが他言無用って言ったから私は気を遣って…!」

「ん?そういやそんな事言ったな。まァ、大丈夫だろ」


それだけ言うと、サボはさっさと肉の解体作業を始めてしまった。
自由奔放なサボを目で追っていると、的外れな言葉が返ってくる。


「心配すんな、ちゃんとお前の分もとっとくって!」


違う、そうじゃない。
ブンブンと首を横に振って否定したが、すでにサボの視界からはエマは外れていた。

エマは諦めて、さっきの一言からまったく音を発しない電伝虫に視線を戻す。

別に、ただここで出会った男と一緒にいるだけだ。ただし革命軍だが。
二人の間に敵対関係も無く、お互いに深く探りを入れた訳でもない。
利害が一致して、一緒に仲良く敵陣へ乗り込もうと手を組んだ、それだけ。

それだけなのに、この湧き上がる罪悪感はなんなのか。
革命軍という事だけを伏せておいて、一人味方がいる事だけは言っておくべきだったと後悔した。

流れる沈黙に耐えられなくなったエマは、とにかく何か言わねばと口を開いた。


「あのね船長、さっきのは……」

『一人で勝手に飛ばされた挙句、楽しそうにピクニックか?良いご身分だな』

「……ハァ?」


今度はエマの頭の上にはてなが浮かぶ番だった。


「ちょっと、何か誤解してない?」

『誤解?人に面倒をかけておいて、本人は呑気に男と楽しくやってんだろ。調査はどうした』

「ッ、彼はそういうのじゃなくて、たまたまこの島で出会ったのよ…!」

『初めて会った男にしては、随分親しげだな』

「あぁもう、本当だってば。利害が一致して、手を組む事にしただけ。それだけよ」

『……気に食わねェ』

「何がよ」


全部だ、と吐き捨てたのを最後に、通話は途切れてしまった。


「なんなのよ、もう…!」


電伝虫を拾い上げ、それを乱暴にしまった。
サボの元へとつかつかと歩み寄れば、彼は口いっぱいに肉を頬張りながら手を振った。


「終わったのか?お前も食えよ」

「ええ、いただくわ!」

「なんだ?怒ってんのか?」

「よく分からないのよ!」


そう言って渡された骨付き肉にかぶりついた。
見た目に反して柔らかくジューシーな味わいに思わず「美味しい」と小さく呟く。

先ほどのローとの会話の内容を愚痴の様に話してみれば、サボは「なるほどなァ」と咀嚼していた物を飲み込んだ。


「嫉妬したんじゃねェの?」

「……え?」

「だから、嫉妬」


サボは肉を食べる手を止め、そのまま話し始めた。


「クルーが一人海王類のくしゃみで飛ばされて…ぶふっ、くくく、ダメだ想像しただけで笑っちまう」

「ちょっと」

「くっ、ははははは、はー……ま、大事なクルーがいなくなって心配してるところに、そいつが男といるってなったら、嫉妬するモンなんじゃねェ?」

「そういうものなの?」

「だって電話の相手ってお前の男だろ?」


タトゥーだって入ってるし、とサボはエマの薬指をさした。


「あー……話せば長いから話さないけど、私と彼はそういう関係じゃないわ」

「……嘘だろ?じゃ、それは?」

「だから、話せば長いのよ」


たしかにこのタトゥーを入れたのはローだが、あの彼が嫉妬なんかするだろうかとエマは思う。
強いて言うなら、おれのモン=クルー、物に手を出すな、だろうか。
嫉妬というよりも、自分の物に手を出されるのが気に食わない、という方がしっくり来る。

そもそも、エマはローに好きだとか愛してるだとか、そういう言葉を貰った訳ではない。
ローがなぜエマの薬指にこんなものを入れたのか、ハッキリとした理由は分かってはいないのだ。
入れた場所が場所なだけに、そうだったらいいなと思ってはいるが、そうでなかった時の事を考えるとショックが大きいので、あまり期待はしないようにしている。

嫉妬?んなもんするか、というローの姿が目に浮かんだ。


「言いそう……」

「まァ、おれもそういうのには疎いから、あんまり気にすんなよ」

「ええ、ありがとう話を聞いてくれて」

「ん」


サボは再び黙々と肉を頬張り始めた。
その身体のどこにそんな量が入るのかと疑問に思いながら、エマもまたかぶりつく。


(してくれてたら、嬉しい、けど……)


どうしたってエマのローへと気持ちが勝っているし、それは二人も分かっている。
エマが思い切って本人の目の前で断言したのだ、簡単に他の男に目移りしない事もローは知っている。
むしろ嫌いになれるもんならなってみやがれ、くらいに思っているはずだ。

そんな自信の塊であるローが嫉妬など、あるのだろうか。


「やめやめ、気にしたら負けよ」


そう呟いて、最後の肉を飲み込んだ。
するとサボが笑って、先ほどよりも大きく切り取った肉を渡してきたのだった。