▼ 終着点
衝動的な抱擁を拒む事無く、なまえは俺の胸の中で涙を流す。
泣き顔は非常に歓喜に満ちた表情を露にしていて、其れだけで彼女が俺に対して少なからず好意的である事を悟った。
「泣き止めって、なまえ」
久し振りの再会なんだ、泣き顔も愛しいけどやっぱりお前の笑顔が見たい。
俺はそっとなまえの頬に伝う涙を拭いながら、優しく宥める。
涙を掬い上げる俺の右手が自分と同じ色の肌である事に気付いたなまえは、そっと自身の手を伸ばす。
彼女の小さく細い手が俺の手を宝物の様に大事そうに優しく重ねる、其の光景が俺の胸を高鳴らせた。
「無事取り戻せたんだね」
「おう、その代わり錬金術は使えなくなったけどな」
「……そっか」
俺とアルをなまえの家に泊めてくれた時、手足の機械鎧について聞かれた為に事の経緯を伝えていた。
あの時は赤の他人に自分達の詳細を教える義理など無いとは思っていたのだが、一宿一飯の恩義があるし下手な隠し事は無礼だと思ったから。
なまえは一言も声を出さず、ただひたすら俺の言葉を聞き入れていた。
瞳は俺を真っ直ぐ一点を見据えていて、彼女と視線が重なる度に胸が締め付け苦しくなる。
何故目が合っただけで感情が揺さぶるのかあの頃は理解出来なかったけど、今ならはっきりと分かる。
「アルも取り戻せたの?」
「ああ」
「良かった、私も嬉しい」
なまえは目を細めて嬉しそうな表情を見せ、優しく触れる手に少しだけ力が篭った。
機械鎧では感じなかった彼女の手の感触は、滑らかで柔らかくそして何よりも温かくて。
言葉に表せない位嬉しかった。
彼女から与えられる淡い温もりは今俺だけに向けられている、この血の通った自身の肉体の一部で確かに。
「エド、凄く身長が伸びたね」
「イイ男になっただろ?」
なまえの言葉を聞き、俺は冗談混じりで返答する。
泣いた後の名残で潤む瞳は穏やかな表情と相まって心を鷲掴みにし、場の雰囲気を明るくする様な台詞を吐かなければ理性を手放してしまいそうだった。
「うん。だけど小さかった時だってエドはカッコ良かったよ」
「……!」
なまえが放った返答で一瞬呼吸を忘れた、ハッと我に返りその後すぐに尋常では無い位逸る鼓動。
其の台詞は反則過ぎる、だけど想いを口にするのなら今が絶好の機会だ。
「なまえ」
「ん?」
俺は目の前に向き合うなまえの顔を改めて目の当たりにし、見上げる彼女の表情に身体が硬直した。
今まで自分が逆の立場で余り経験した事が無かったからか、上目使いの彼女がヤバイ位可愛い。
「……あ、えっと、何だ、其の……」
極度の緊張状態からか口の中が一気に渇いた、俺はゴクリと生唾を呑み込む。
頭の中が真っ白になり伝えたい台詞が簡単に掻き消えてしまった焦燥感が、俺の行動をより怪しいものにした。
「エド?」
「お、俺と旅をして人生を預けないか!?」
「……え?」
「あー違う!そうじゃなくて……、……ちょっと待ってくれ」
……何、やってんだ俺。
まずは告白だろうが。
緊張し過ぎて順を追って言うつもりが台詞を纏めてしまった、なまえが不思議そうに首を傾げるのも無理も無い。
「だから、俺が言いたいのは……」
此処で怖じ気付いてどうすんだ。
なまえに胸の内を伝える為にリオールに来たんだろうが、根性無しも大概にしろ。
過ぎた過去を振り返る事は出来ても、後戻りは二度と出来ない。
現実にきちんと向き合わなければ、現状は何も変わらない。
今在る自分に存在する彼女への温かな感情を、知って貰わなければ先には進めないのだから。
「はあ……」
大きく深呼吸すると、次第に力が入っていた肩の力が抜けていくのが分かった。
何も言わずひたすら言葉を素直に待ち続けるなまえの為にも、誠実に真摯に向き合って。
……そして少しでも俺を意識してくれたら、其れだけで心は満たされる。
「……コーネロが奇跡の業を街の人達に見せていた時、其処でなまえを見掛けた」
「そうなの?」
「ああ。演説の最中何度もお前を見掛けた、……今思えば見掛けたんじゃなくて、俺がなまえの姿を探して目で追っていたんだ」
"二度目の時も同様に"そう付け加え告げた瞬間、なまえの瞳が大きく見開かれた。
重なる視線が愛しさを膨れ上がらせる、先程までの緊張か嘘の様に消え失せ頭の中がクリアになって言いたい事がスラスラと頭に浮かんでいく。
「多分、一目惚れだったんだ。俺はなまえが好きだ、あの時しか会っていないし離れていても、忘れる事は無かった」
「……エド……」
「俺はまた旅に出る、アルはもう仲間と東に向かってる」
「また旅に出るの?だってエド達はもう……」
「各国の錬金術を学びに行くんだ。……だからなまえ、俺と一緒に付いて来て欲しい」
なまえの両肩に手を添えて至近距離で向き合う。
潤んだままの彼女の翡翠色の瞳は、まるで光輝くエメラルドの様に陽の光で煌めいている。
「……もし俺と同じ気持ちであるなら、此れからのお前の人生を俺の人生に預けてくれないか。一時でも離れたくないんだ」
毎日なまえを瞳に映したい。
朝も昼も夜も寝ても覚めても、四六時中彼女の隣に居るのは俺で在りたい。
嬉しい出来事、楽しい時間、悲しい感情何もかも、残された命尽きるまで共有したいんだ。
溜め込んでいた想いを伝えると、なまえの頬から顎へ再び涙が落ちていく。
此れはやはり俺の熱望に応えられない事を意味するのだろうか。
眉を下げて涙する彼女の表情に身動きを奪われ、じっと彼女からの返答を待つ事しか出来ない。
「私ね、この街が好きなの」
暫く続いた沈黙の後、なまえの篭った声が聞こえた。
……やっぱり駄目だったか、俺は予想していた答えに静かに目を閉じる。
「……でもね、エドはもっと大好きなの」
間を置いて発せられた言葉を聞き、俺は瞬時に閉じていた目を開けた。
俯き気味の頭を上げなまえを見れば、頬を紅潮させ嬉しそうに笑う綺麗な表情。
「なまえ、それじゃあ……」
「エドの傍に居させて欲しい。私はずっとリオールに来るのを待ってた。エドが壊したこの石像は、唯一この地に残してくれたものだったから。……だから、いつも見てたの。私は、貴方がロゼを救ってくれた時から好きだったよ」
泣きながら満面の笑顔を見せるなまえを引き寄せ、力一杯抱き締めた。
アルの肉体を取り戻せた時と同じ位感情が昂った、此れは夢なのだろうか、夢ならばどうか醒めないで欲しい。
だけど背中に感じる彼女の手の温もりが、此れは現実なのだと実感させてくれた。
嬉しい、なまえが俺を受け入れてくれた、じわりと瞳に涙が滲む。
「エド」
長い時間なまえの身体を包み余韻に浸っていると、胸元で声を発する彼女の声が耳に届いた。
ゆっくりと身体を離すと、其処には既に涙が止まり柔かな笑みを溢しながら俺を見詰める最愛の者の姿。
「私を好きになってくれて、ありがとう」
俺の方こそ礼を言いたい。
弱くて狡くて情けない、小さくて子供だった俺を好きだと思ってくれてありがとう。
そして、俺を忘れないでいてくれてありがとう。
此れからは、二人で沢山の思い出を共有しよう。
「よし、早速荷造りだ。手伝うぜ」
「ありがとう」
ゆっくりと身体を離し視線を重ね合わせた俺達は、どちらともなく手を繋ぎ微笑みながら歩き出す。
行く先の空中には、広大な青空が浮かんでいた。
次に足を運ぶ数々の土地にも、同じ空を垣間見る事が出来るのだろうか。
「……ま、空の風景は万国共通か」
まだ見ぬ土地への希望を馳せて、繋いだ手の温もりに小さな幸福を噛みしめた。
END
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