▼ 終着駅
等価交換は分相応の答えを導き出す反面、残酷さも兼ね備えて俺の出方を伺っている。
人間の思い上りな煩悩に容赦はせず、嗤いながら理屈を叩き付けてくる、其れが真理だ。
口角を上げた表情は無邪気さと残忍さが髪一重で存在するが此れだけははっきり言える、真理は正しい。
正しき決断を見出ださねば決して辿り着く事の無い究極の選択は、気の遠くなる程の長い時間を要した。
人は無意識に常識や倫理に囚われる、必要ではあるが其れでは新たな道は開けない。
解答権を獲た俺には、意思を託された事が嬉しくもあり辛くもあった。
其れは己と周囲の今後の人生を左右するに値する重大な代物であり、また自分の価値観を決定付ける要素も含むからだろう。
忘れもしない惨劇の夜、相等の代価を捧げた瞬間、同等の代償が自身を討ち滅ぼした。
絶望は生への執着を簡単に放り投げる術を与え、浮上させる理由を探す意欲さえ削いで残るは肉体という空虚な残骸。
辛うじて繋ぐ事を赦された絆が、分断した身体と精神をきつく結んだ。
血流は吹き返すかの様に全身に駆け巡り、瞳は再び輝きを纏い生きる活力を蘇らせた。
栄えある人生の再出発と、希望に満ちた新たな門出を肉親と分かち合った。
俺達は無力だ、しかし広大な世界に存在するちっぽけな自分達が地に足を着いて歩く限り、生ずる行動や思考は決して無駄ではないのだ。
どんなに遠回りでもどれだけ苦悶を強いられ時に立ち止まっても、其れすらも俺の成長力を高める糧。
総ては自分の為、仲間の為、同じ生を受けた人々の為に、腹立つが少しだけ真理の野郎に感謝してる。
正解の扉の先には、幸福が待ってる。
取り戻した右腕と、大切な弟の肉体。
共に闘い背中を押してくれた沢山の仲間。
皆が心から笑い合う日常に、あと一つ揃えば俺の長い旅は終焉を迎える。
旅路の果てに向かう現状は、俺の行動力を最大限まで高めていった。
活力源は心に住まう一つの想い、四六時中脳裏に過っては強く願って止まないもの。
俺は未だ第一の旅を終えてはいない。
其れはアルと歩幅を合わせ帰った故郷とは別の、自分の心に息付く彼女の居る場所。
「いつか、また来てね」
其処が俺の求める、終着駅なのだ。
―終着駅―
いつまでも見通しの立たぬ果てなく遠い最終地点迄の道のりで、膨れ上がる焦燥感。
しかし中心核となる希望が負の感情を相殺し、俺達の行く先を淡く照らす。
奥底では脅かす悪夢はいつか醒めると信じていた。
何故ならば人は生きて思考を止めぬ限り必ず突破口を見出だす生き物だから、構築された緻密で高性能な脳は人間にのみに赦された所有物である。
歩みを止めなければどんな事柄でも結末を迎えるのは道理であり、総ての謎を解き明かし掌握してみせようという探求心は機動力となる。
其れに加え他人との関わりは必須条件だった、厚い信頼関係を結んだからこそ念願の成就に辿り着いたと。
今の俺達が在るのは、其の事に気付かされ何よりも重要視したからだと信じて止まない。
「新たな等価交換の法則だ、アル」
人差し指を弟のアルフォンスに向け声を掛けると、豆鉄砲を食らったかの様な表情を見せた。
つぶらな瞳は更に大きく見開かれ、瞬きを忘れる程に心底驚いている心情は察するに余り有る。
正面には神々しく輝く金髪と金の瞳、其の姿を見る度に顔が綻んでしまう。
「どういう事?」
"兄さん、もっと詳しく"と首を傾げて疑問を投げ掛けるアルに、俺は得意気な笑みを浮かべながら椅子の背凭れに背中を預けた。
流石の弟も未だこの答えに到達しなかったか、少し優越感に浸りここぞとばかりに兄の威厳をひけらかす。
「今までは十の質量に対して十のものしか作り出せなかっただろ?」
「そうだね」
アルは賛同の言葉を放ち相槌を打った後、コツンと机に一回鳴らした俺の指に視線を落とした。
問い掛けた答えに対して待ちの姿勢を継続する彼に、俺はゆっくりと上半身をアルに近付けながら話を続ける。
「だけど其の法則に囚われ過ぎたせいで、沢山の犠牲と混乱を招いた。等価交換の法則は正しい、だけど其れじゃ駄目だ。俺はニーナの様な惨状を二度と繰り返したく無い」
「僕も同じ気持ちだよ、兄さん」
此れまで身を呈して体感した過去の経験を振り返り芽生えた思念を吐き出すと、アルの表情が一気に引き締まった。
真っ直ぐ俺に向けて見据えられた瞳と固く結んだ口元は、同意と強い意思を表す。
「此れからは十貰ったら自分の一を上乗せして次の人達に渡す。何年、何十年掛かってもいい、その為にも俺は世界の錬金術をもっと知りたい」
「うん」
「そして見出だした法則が間違いでは無い事を証明したい、新しいものを作り出してこそ錬金術師だと思うんだ」
身ぶり手振り激しい動作と共に熱く語る俺に、アルは真剣な眼差しで一つ一つの言葉に耳を傾ける。
静かに瞳を閉じた瞼の裏にはきっと救えなかった幼い女の子と愛犬の姿が映し出されているに違いない、今でも互いに一生忘れる事の出来ない苦い思い出だから。
俺達は救えなかった、過ちを修復する事は不可能で自分達の無能さに失望した。
非道な行為で異形なものとなり命を刈り取られた彼女達の魂が、どうか安らかであるようにと祈る事しか出来ない。
新たな哀しみを生み出さぬ為にどうすればいいのか、俺は其の解決策をずっと考えていた。
「……やっぱり兄さんは凄いな」
そっと目を開いたアルは呟く様に言葉を発し、同時に穏やかな表情と澄んだ瞳が再び俺に向けられる。
「沢山の人達が僕を救ってくれた、だから今度は僕が恩返しをしたい。……皆が取り戻してくれたこの身体で」
そう話しながらゆっくりと胸に添えたアルの掌が拳を作る。
確かな決意を表すかの様にぎゅっと握り締め、其の姿を見た俺は僅かに口端を上げた。
「絶対証明しようね」
「出来るさ、俺達なら」
確固たる決意の下、俺達の第二の旅が始まる。
其れは以前の絶望からのスタートでは無く、より多くの繁栄を願っての希望ある再起だった。
「……んあ?」
静かに瞼を開き瞳だけを左右に動かすと、正面に赤い座席が目に飛び込んだ。
ああそうだ、此処は不規則に揺れる列車の中、俺は寝惚けて未だ夢心地の頭の中で朧気に理解する。
「……いつの間にか寝ちまった」
大口で欠伸をすると、遅れて瞳に泪が滲んだ。
眠気眼で右手の指で泪を掬うと車外から射す日光で立体的な主張を見せる、其れを刹那的に確認した俺はコートで無造作に拭う。
「……腰と尻が痛え……」
目的を完遂させる為、数え切れない位この交通手段を使ってきた。
列車の座席は相変わらず肉体に支障を来す程硬く座り心地が悪い、俺は不平不満を漏らしていたあの頃を思い出しながら腰を擦る。
「…………」
座席に深く身体を沈めた後窓の外を見ると、遠くに聳え立つ青々とした木々が視界を通り過ぎていった。
瞳に飛び込む風景は走る列車と共に切り替わる、しかし急激な様変わりを見せないが為に単調さを極め更に加速する睡魔。
「やっぱ一人だと退屈だなー」
互いの肉体を取り戻してから数年後、俺達はまた旅を始めた。
ただ以前と変わったとすれば、常に隣に居たアルの姿が見当たらない事だろうか。
今回アルは東周りのシン国から、俺は其の反対方面から各国の錬金術を学ぶ為に別々の行動を取った。
「……今頃アルは砂漠越えで苦しんでる最中か」
必要に迫られて連れていかれたクセルクセス遺跡迄の移動方法に苦痛を強いられた、其処は俺にとって灼熱地獄という言葉がピタリと当て嵌まる。
懐かしい思い出に"最悪だったぜ"と苦笑しながら窓の縁に肘を置いた時、ふと硝子に映った手に目が止まった。
「……夢じゃ、ねえ」
やっぱり夢じゃなく現実なんだ。
声を出すつもりは無かったのだが、自然と口元から零れた。
瞳に映る右手を頭より高く掲げてみると、指と指の隙間から溢す陽の光が輪郭を曖昧にする。
取り戻してから長い月日が経ったというのに、こうして時々確認する事が癖になってしまった。
其れは今在る現状が自分でも夢か現実か分からなくなる時があるからかもしれない。
あの時は真実に手が届いたと思ったら白紙に逆戻り、そんな悪戦苦闘の日々に頭を抱えていた。
ほぼ日常化していた悪循環から永遠に抜け出せないのではと愕然とする程に。
先程欠伸で生じた泪を拭ったこの右手は、嘗ては冷たく固い機械鎧だった。
目尻に触れた瞬間柔らかな感触が指先から神経に伝わった気がした、他人には当たり前の事でも俺には最大の幸福なのだ。
しかし錬金術と引き換えに取り戻したのは右腕のみで、左脚は未だ真理の下にある。
代価として錬金術師としての能力を捧げた自分の立場を考えると、真理が今でも俺の肉体の一部を有している事は甚だ疑問がある。
仮説だが総てを取り戻して居ない以上、等価交換の原則に反している気がする。
多分まだ俺の能力は完全に失ってはいない、だけど敢えて其のままにした。
理由は最大の禁忌である人体錬成を行った為の罪から来る自戒と技師であるウィンリィの配慮、アイツにとって俺は一番の上客だった筈だから。
砂漠越えを回避し別行動を提案したのも、其れが理由でもあった。
機械鎧の金属と接している部分に熱が篭り身体がサウナ状態になる、俺は一度経験していたから二度とあんな想いはしたくない。
「もう一つは」
掲げた手を下ろしながら、俺はポツリと呟く。
そう、今回のアルと行動を共にしなかった理由は実は二つある。
一つは別行動で各国に赴き錬金術を学ぶ事、此れは其々持ち帰った知識を互いに教え合った方が効率的だと考えた為だ。
……そしてもう一つは、数年前に唯一未消化だった物事に終止符を打つ事。
此れは常に行動を共にしてきたアルとは一切関係無く、完全な個人的私情。
「俺を見たら驚くだろうな、アイツ」
此れから赴く地に足を踏み入れた時を想像しただけで表情が緩んだ。
独り言を呟き窓に目を向けると穏やかな笑みを浮かべる自分と目が合った、俺は何となく気恥ずかしくなってそっと瞳を閉じる。
「……早く会いてえ」
会いたい、そして伝えたい。
長い時間を経て大きく膨らんだこの胸の内を、彼女に知って欲しい。
この気持ちの行く先が幸福な結末とは限らないけど、其れでも芽生えた情に嘘は吐きたくない。
想いを野放しにしてはいけないと思った、離れても尚忘れる事の無い事実を実感すればする程無性に愛しさが込み上げてくるのだ。
お前はもう、俺を忘れちまったかな。
「……なまえ」
瞼の裏に浮かぶ彼女の姿が、俺の鼓動を逸らせ無意識に名を紡がせた。
あと少し、もう少し夢の世界に身を預けたら、お前に会える。
そう思えば、独りは寂しく無かった。
目的地に着き改札口を抜けると、懐かしい風景が目に飛び込んだ。
此処はアメストリス東部に位置する街、リオールだ。
俺が此処に来るのは三回目、旅の途中でたまたま立ち寄った一回目の来訪時は、レト教の教祖であるコーネロの悪事を暴き失墜させた。
"奇跡の業"と讃えられた強大な力は単なる賢者の石を媒体にした錬金術であり、信者達の純粋な心を弄ぶ非道な行いは許しがたい。
しかしその後中央軍が押し寄せ、穏やかだった筈のこの街は壊滅状態に追い遣られたらしい。
其の事を後に聞かされた俺は、激しい怒りと其処に住まう人達の申し訳無さで酷く胸を痛めた、生涯忘れる事はないだろう。
……なまえに悲しい想いをさせてしまった、其れが一番辛かった。
「大分復興したなー」
トランクケースを地面に置き周囲を見渡すと、まだ少し暴動の跡の名残はあるが駅周辺は綺麗に整備されている。
暫く時間を置いて二度目に此処に来た時は既に復興を始めていたが、現状のリオールを目にして改めて安堵した。
「よし、アイツのとこに行くか」
掌に拳を叩き付け気合いを入れると、小気味良い音が駅の建物に反響する。
其の音は数え切れない程行ってきた錬成時の動作みたいで、少しだけ懐かしく思いながらこの場を後にした。
……アルには内緒でなまえに会いに来ていた。
向かう方面が同じなのだから途中まで行動を共にするのは構わなかったのだが、其れは二人だけの場合。
アルは今回の旅でザンパノとジェルソを付き従える事になった。
別にあの二人を信用してない訳じゃない、ただ俺が恋事を素直に晒け出す勇気が無かっただけだ、告げた処でからかわれるのが目に見えてるし。
「ま、アルにはバレてるかもな」
……別れ際、満面の笑顔で"兄さん頑張れ"と言ったアルの台詞には何となく含みがあった。
其処はやはり血の繋がりというやつか、そうでなくても俺は考えている事が顔に出るらしいから無理も無いが。
ゆっくり歩み進んで前を見据えると、斜め上にリオールの街と対面する広大な空が必然的に目に映る。
清々しい位真っ青な晴れ渡る空はあの時と同じで、同時に彼女との思い出を反芻させていった。
最初の出会いは特別気にも留めない程度のものだった。
コーネロが"奇跡の業"を披露し其れを俺達は疑い深く傍観していた、其処に時々なまえの姿を見掛けていた位の関係。
……考えてみれば他人の一人を把握していた事自体が非常に珍しくもあった。
だけど其の時はなまえの容姿が周囲より目立っていたからだと、そう思ってた。
「ねえ、貴方達ロゼの知り合い?」
始めに声を掛けてきたのはなまえから。
レト教の信者であるロゼと共に礼拝堂から出た後、彼女と別れ歩き出そうとした時に呼び止められた。
「たまたま礼拝堂で会ったんだよ、あんたはロゼを知ってるのか?」
目の前に現れたなまえの存在だけを知っていた俺は、身構える事無くすんなりと彼女の問い掛けに答えていた。
初対面であるというのに他所他所しさが生じなかったのは、彼女が何処かロゼと似た性質を感じ取ったからなのかもしれない。
「私は彼女の友達よ、なまえというの」
「ふーん」
なまえっていうのか、俺は漠然と心の中で思った。
だけど興味無さげに振る舞った、何故そうしたのか自分でも良く分からない、あの時感じた不可解な行動の違和感は今でも覚えている。
暫くロゼの事やレト教の事、会話というよりも情報を聞き出していると、なまえから宿泊先は決まっているのかと尋ねられた。
俺達は首を横に振りながら"これから探す所だ"と返答すると、瞳を輝かせて自分の家に泊まってと勧められた。
"厚意は嬉しいが甘える訳には"とやんわり断っていたのだが、なまえに強引に押し切られ半ば強制的に彼女の家に世話になる。
最初は何て強引な奴なんだと憤りを感じたが、彼女から溢れる笑顔を見る度に徐々に解れていく自分が居た。
なまえはロゼの親友であり、身寄りが無く寄り添って生きてきた恋人を失ってしまった彼女の事を酷く心配していた。
慰める事と気持ちばかりの元気付けしか出来ない自分に、何て無力なのかと嘆くなまえを見て俺は切なさを感じた。
その後コーネロに怒りの鉄槌を与えた。
そのつもりはなかったが、俺が壊したレト神の石像が彼等の目を醒まさせ現実に導いてくれたのかもしれない。
それでもまだ其れに縋るロゼは涙ながらに非難してきたが俺は諭した、きっと彼女ならば前に進むだろう希望を信じて。
「ありがとう、エド」
染まる空に浮かぶ夕日を見詰め去ろうとする俺の背後で、なまえの声が聞こえた。
振り返る事はしなかった、見なくても彼女の表情は穏やかな声色で容易に想像出来たから。
「いつか、また来てね」
俺は照れ隠しをする様に乱雑に頭を掻いて、ぶっきらぼうに手を振った。
"いつかきっと"其の台詞を口に出す事は無かったが、なまえにまた会えるならばと少しずつ遠ざかっていくリオールを列車の中で実感しながらそう思った。
二度目に此処に来た時、なまえに会う事は無かった。
ロゼに聞いたところどうやら違う地区で復興作業をしていたらしい。
会いに行こうかと思ったが最終局面を迎えるあの時はそっちの方が優先だったし、既にリオールに居た親父を見たら殴り飛ばす事に意識が占拠された。
其の時もまだ気付いてなかった。
何でこんなになまえを気に掛けてしまうのか、会えない事を残念に思っているのか。
……沢山の人と会話をしている最中でも、なまえの存在が常にちらついていた。
「お、あそこは……」
駅から暫く歩き続けると見覚えのある店が目に入り、俺の意識は現実に引き戻される。
此処は街に入って一番に立ち寄った場所だった、ふと顔を上げればあの時アルが直したラジオが置いてある、どうやら今も健在なようだ。
「あんた旅の人かい?悪いな、まだ復興途中でロクなもん作れないが」
「久し振り、おっちゃん!」
立ち尽くしていた俺に声を掛けてきた懐かしい顔に右手を上げながら挨拶すると、おっちゃんは怪訝な表情で首を傾げた。
暫く考え込む仕草をした後、目を見開いて身を乗り出しながら口を開く。
「もしかしてエドか!」
物凄い勢いで詰め寄ってくるおっちゃんに圧倒され、思わず身を引いてしまう。
ワシャワシャと髪を掻き乱す力は結構な強さで正直痛かったが、俺は敢えて止める事をせずに彼の行動を受け入れた。
「暫く見ない内に変わったなー。ちょっと待ってくれ、他の奴等にも」
「あー、また後で寄るからさ。其れより聞きたいんだけど」
意気揚々と店から離れようとするおっちゃんを制止し、俺は彼に問い掛ける。
其れを聞いた彼は再び向き合う形になり、きょとんとした顔で俺の質問に耳を傾けた。
「何だ?」
「あのさ、なまえ何処に居るか知らねえ?」
「多分太陽神レトの石像の前じゃないかな」
「石像?」
疑問符で言葉を発すると、おっちゃんが小さく頷いた。
同時になまえと初めて会った時の光景が脳裏に駆け巡る、単なる想像の姿でも鼓動が早まっていく。
「良くあの場所でなまえを見掛けるよ」
「分かった、ありがとな」
微笑みながら礼を言い歩き出そうと踵を返すと、"後で絶対に寄れよ"とおっちゃんに声を掛けられる。
俺は"分かってるよ"と苦笑いを浮かべ、なまえの居る場所へと向かった。
「……やべえ、緊張してきた」
一歩一歩ゆっくりと進むにつれて、心臓の高鳴りが早まっていくのを感じた。
少し先に石像の頭部が見える、歩けば歩く程其の姿は全体像を浮かび上がらせ、同時になまえの所在の有無を確認する。
……居るだろうか、彼女は其処に。
心の中では居て欲しい気持ちと、真逆の気持ちがせめぎ合っていた。
なまえに会う為に此処まで足を運んだ、だけど願望が叶う寸前になると何故か反対の事も考えてしまう、……自分でも矛盾してると思う。
固い意思は寸分狂い無く根付いているけど、多分俺は告げた先のなまえの反応を畏れているのだ、だからいざとなると情けなくも畏縮する。
拒まれるかもしれない、通じ会わないかもしれない。
最悪の結末が現実となった時、果たして俺はなまえに笑顔で接する事が出来るのだろうか。
欲を言えば互いが同じ気持ちであって欲しい一緒に居たい、でも自信が無い。
「……其れでも言わねえと」
そうだ、俺は言わないといけない。
長い闘いが終わった後、アルと二人でリゼンブールの家路までの一本道を歩きながら思った。
もうすぐ慣れ親しんだ家に帰れる、ウィンリィとばっちゃんとデンが居るあの家に。
だけど、なまえはこの地に居ない。
途端に寂しくなった。
そして何故此処で彼女の姿が浮かんだのか、理解に苦しんだ。
一度しか会っていないしなまえの総てを知らないのに、気が付くと彼女の面影を思い出していた。
"そうか、俺はなまえが好きなんだ"、唐突に理解した。
離れていても忘れられない、過ぎ行く長い時間の中で褪せる事の無い彼女との思い出が既に答えを出していた。
二度目のリオールに居た時暇さえ有ればなまえの姿を探していた無意識の行動が、総てを物語ってた。
会いたい、彼女の姿をこの目で捉えたい。
「当たって砕けろだ」
ポツリと呟きながら礼拝堂を目前にした時、瞬時に疎らに居る人々に視線が釘付けになった。
だけど一人一人確認する作業は簡単に終わった、やっぱり此れは恋なのだと再認識させられる。
「……やっと、会えた」
俺の瞳に映るのは、石像を見詰めるなまえの後ろ姿。
今はまだ彼女の表情は分からないけど、其れだけで嬉しくて自然と笑みが溢れた。
「なまえ!」
俺の声になまえは振り返り、口元に手を添え驚きの表情を見せた。
すると彼女の瞳は涙で溢れ、其の姿が不謹慎にも愛しくて、駆け寄ってきつく抱き寄せる。
「本当に、エドなの……?」
「ああ、お前に会いに来た」
伝えたい事があるんだ、其れは語り尽くせない位山程に。
この熱く迸る想いを言葉にした時、きっと俺達の新たな世界の扉は開かれるのだろう。
旅路の果ての終幕は希望を捨てぬ限り、幸福を得る権利を失う事は無い。
其れは総ての人々と物事に与えられた、平等な万物の法則である。
必要なのは、臆病な壁を打ち破る勇気。
[ prev / next ]