錯綜メランコリア

恐怖心は弱さの象徴では無いと、遥か昔に告げられた言葉が今でも忘れられない。
其れは俺を形作る肉体と精神の要であり、自身の行動の有無の核であったが故に胸を熱くした。
怖さは何事にも最初の一歩を踏みとどまらせた、その度に嘗ての傷が酷く疼き動きを緩慢にさせる。
俺は心底情けない、罵倒しても軽蔑しても潜む本能が其れらを掻き消してしまうのだ。

どうすればいい、どうしたらいい。

脆弱さは後悔を引き寄せてくる。
苦悶したくないのに、失望したくないのに、突出した負の感情が俺を脅かす。
僅かな勇気をこの身に宿せば、自ずと道は開けるというのに。


【錯綜メランコリア】


「好きです、檜佐木副隊長」

夢を見ている気分だった。
今は勤務中で、今居るのは他隊員も疎らに行き交う通路で、俺の隣で歩くのは部下のなまえ。
光景は日々体感している事ばかりで真新しさは皆無なのに、其の一言で一瞬で別次元に放り出された感覚に陥った。

「……は?今、なんて」

歩き様に先程の言葉を言われ、俺の脚がその場に止まり疑問を投げ掛けた。
周囲は突然立ち止まる自分に怪訝な表情を表しながらも、避けながら颯爽と去っていく。
……突然過ぎる愛の囁きに思考回路はプツリと断ち切られた。
其の言葉を聞く寸前まで特に実の無い世間話に華を咲かせていた状況だけに、動揺は免れなかった。
乱れる心に反して、視線はなまえ一点を見詰めたまま。
淡く色付いた頬と潤んだ瞳が俺の胸を締め付け、高鳴る鼓動を加速させていった。

「副隊長が好きなんです、ずっと前から」

変わらぬ表情を継続するなまえもまた、俺から目を離さぬまま口を開く。
甘く柔らかな声色は鼓膜を刺激し、頭の奥に痺れる様な衝撃を与えた。

「ありがとな、嬉しいよ」

少しずつ平静を取り戻し、何とか彼女の言動に冷静に耳を傾けらるようになった。
頭の中に過った純な気持ち、其の根底に根を張るのは密かに想いを暖めてきたから。

以前からなまえが好きだった。
俺は何処かで人に尽くす、人の役に立てる事で誰かしらとの関わりを繋いでいた部分があった。
頼まれれば快く引き受けるし、感謝されれば嬉しくて気力がみなぎる。
……反面、非常に敏感になっていた。
こうしなければ俺の存在意義は無く、そうしなければ取り残されるのではという不安が常に隣り合わせに潜んでいて、心を乱した。
其処まで軟弱に成り果てたのも理由はある。

そんな俺の心中を知ってかしらずか、日頃から気に掛けてくれる彼女に仄かな情が沸いた。
周囲の依頼を無理に全うする自分を心配してくれている、"私も手伝います"と気遣ってくれる、好きにならない訳が無い。

「私を恋人にして頂けませんか」

「ああ、俺も……」


何だ、怖い。

笑顔でなまえの告白の返答をする直前で、急激に猛烈な恐怖心に駈られた。
背中から首筋に走る寒気、血の気が引いて手足の熱が一気に冷えてくる。

……前にも同じ経験が多々あった。
まだ護廷十三隊に入隊する前、院生時代の演習で付いた傷痕は、永きに渡って俺を苦しめる。
救えなかった、恐ろしさで指一本動かせなかった。
怖い、目前の敵を確実に仕留められる自信が見出だせない、其の弱さが大事な仲間を失わせた、……俺は何も出来なかった。
しかも俺とその場に居た奴等を苦しめた虚の出所が何十年後かに知る事となり……、余計にトラウマとなって。
もう二度と過ちを繰り返さんと鍛錬に勤しんでも、土壇場であの頃の情景が蘇って動作を奪っていく。

其れでも少しずつ改善していった。
嘗ての敬服していたあの人の言葉が、俺を諭し癒し変わらず頭に木霊してる。

……だけど……。


「檜佐木副隊長?」

伏し目がちに物思いに耽っているとなまえの声が聞こえた。
俺は"まずい"と我に返り、慌てて言葉を放つ。

「悪い」

誤魔化しながら愛想笑いを浮かべていると、途端になまえの瞳が涙で溢れた。
其の姿を目の当たりにした俺は、焦燥感を露に彼女の様子を伺う。

「……そうですよね、恋人にして欲しいなんて厚かましいですよね」

「は……?」

「突然変な事を言ってごめんなさい」

俯きながら走り去るなまえを呆然としたまま見詰めた。
数秒遅れてから自分の発した言葉を反芻し、一気に焦燥感が吹き出した俺は彼女を追い掛け手首を捕まえる。

「お前勘違いしてないか?」

「……だって"悪い"って付き合えないって意味ですよね」

「違う、さっきは考え事してて謝っただけだ」

血相を変えて話す俺を見て、なまえは抵抗していた手首の力を緩める。
気まずそうに俯きながらも逃げない彼女に安堵し、そっと手を離した。

「……俺は、怖いんだ」

か細く呟いた俺に、潤んだままの彼女の瞳が重なった。
きっと告げられた言葉の意味に悩んでいるのだろう、不思議そうな顔付きが俺から次の言動を繋ぐ。

「自分が慕っていた人が俺から離れる未来を想像しちまうんだよ」

低い声色で紡ぐと、なまえの目が大きく見開かれた。
きっと其れが実際に過去に遭遇した事柄であるのを察したのだろう、みるみる内に瞳に溜まっていた彼女の涙は頬から顎へ落ちていく。

「お前もそうなったらって思うと、俺は……」

きつく瞳を閉じ手を額に押し当てる。
想像しただけで気が触れそうになる、もうあんな絶望は味わいたくない。

心の支えにしていた人が、謀反した。
あの光景は俺を打ちのめすに充分過ぎて、同時に此れまでの彼との過去を疑った。
あの人の言葉は総て嘘だったのか。
俺を欺いていたのか、俺はそんな薄い言葉に懐柔されていたのか。
少なからず東仙隊長に依存していた。
彼はいつでも俺の欲しい言葉を用意してくれていて、自分も其れに縋り精神の均衡を図っていた。

だけどもう其の心の糧は居ない、何故ならば、俺が彼を……。


「檜佐木副隊長」

名を呼ばれ目を開けると、映ったのは鼻を啜り大粒の涙を流す彼女。
次々から生まれる雫は止む事を知らず、俺はハンカチを取り出し優しく拭き取る。

「泣き止めよ、目が腫れるぞ」

微かに微笑みながら話しかけるとなまえは切なそうに俺を見詰めた、そしてキラキラと輝く瞳をそのままに声を出した。

「私の気持ちは迷惑ですか?そうであれば……諦めます」

切実そうななまえの問い掛けに俺は何も言えなかった。
こんな情けない俺が目の前の、確かに愛しく思ってる彼女を幸せに出来るのか自信が無かった。

「……そうですか、分かりました」

あからさまに意気消沈した彼女は、小さく会釈をした後肩を落として歩き出す。
行ってしまう、終わってしまう、まだ何も始まっていない、そう思ってるのに。
本心ではなまえと恋人同士になりたい。
だけど脳裏に張り付くマイナス思念が邪魔をして口が動かない、引き留められない。

繰り返すのか、また俺は後悔で塞ぎ込むのか。
何の為に闘ってきたんだ、もうウンザリなんだよ大事な人が居なくなるのは。


「好きだ、なまえ」

2度目の去り際を見ながら、俺は腹の奥から声を絞り出した。
少し篭った声が自身の逼迫さを物語っていた、其れでも止まらず言葉を発する。

「ずっと好きだった」

「檜佐木副隊長……」

「誓ってくれ、お前は離れて行かないって」

話し終わると同時に彼女が勢い良く抱き付いてきた、強くきつく俺の背中にしがみつき、泣きながら何度も頷く。

「当たり前じゃないですか!私は副隊長しか考えられない……」

胸元に収まる頭を撫でながら俺も優しく身体を包み込み、未だ泣きじゃくる彼女にゆっくりと顔を近付ける。
しっとりと柔らかな唇が自分の唇に重なり、言い知れぬ幸福感に涙が出そうになった。
弱い俺を好きになってくれてありがとう、腕に力が篭る。


「……今度は」

「?」

暫く抱き合っているとなまえの声が真下から聞こえた、俺はどうしたのかと少し互いの身体を離して耳を傾ける。

「今度は私が檜佐木副隊長の支えになりますから。一生掛けて」

其れを見た俺は穏やかに笑い、外の風景を感慨深げに眺め呟いた。


「好きな女は男の俺が護らねえとな」

今度は俺が誰かを支える番だ。



END

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