青二才の恋

儚くも朧気に残る君の残像が切なくも美しいと感じた、懐かしき過去。

置き去りにされた行方知らずの私の想いは、このまま昇華される事無く死んでいくのか。



【青二才の恋】



「最近いい感じなんすよ」

「何の話だ」

この頃セントラルを賑わせている男、スカーの出没情報が途切れ無く押し寄せる軍内部は多忙さを極めていた。
民間人の善意を決して無駄にはしたくない、正義感が先行した行動力は自身の一番の強みと言っても過言では無い。
何としてでも足取りを掴み、そして新たな犠牲者を生まぬ様早期発見と拘束に努めている。

私は確固たる信念の下、毅然な態度で部下であるハボックを付き従えてしらみ潰しに出向いている最中の事だった。
暫く無言を保ったまま進んでいると、表面上平穏な街中と同調する緊張感の無い声が耳に入り、若干苛付きを覚える。
奴の突拍子の無い台詞は今に始まった事では無い、私は"またか"と思いながら一歩分遅れて歩く彼の言葉に興味無さ気に問い掛ける。

「よくぞ聞いてくれました!」

「……おい、近い」

内心"くだらん"と思いつつ無視も失礼かと仕方無く問い掛けたのだが、どうやら無駄な気遣いだったようだ。
手元にある目撃箇所に印を付けた周辺地図を確認しながら歩き続けていたら、くわえ煙草のハボックの顔が至近距離で映し出され、強制的に身動きを奪われた私は冷ややかな視線を奴に向ける。

「こりゃ失礼しました」

「全く、職務中だそ。集中しろ!」

「へーい」

不快な表情を浮かべながら悪態を付く私に臆する事無く、飄々とした態度を貫く姿は不快指数をうなぎ登りにさせた。
しかしそんな私の心情などお構い無しなハボックは、煙草を吹かしながら弛みきった表情で口を開く。

「今回は俺の勘違いじゃ無いと思うんすよ。いやー、マジ幸せっすわ」

……つい今しがた私が忠告を放ったというのに、隣で肩を並べるこの男は悪びれもせずまだ浮わついた台詞を吐いている。
ふざけた口調ではあったが承服したのではないのか、全く威厳も糞もあったもんじゃない。

「……武力行使に出てもいいか?」

一面お花畑なお前の頭を一発殴れば、弛みきった気は引き締まるのか。
怒りでわなわなと震える拳をハボックに見える様に作ると、"勘弁して下さい!"と両掌を広げ屈服の意思を見せた。

「そんな怒らないで下さいよ。だって仕方無いでしょう、今回はマジでいい感じなんすよ」

そう言いながら手馴れた手付きで煙草を口元に持っていく動作は妙にサマになっていて、此れが長年継続してきた行為の恩恵なのかと不覚にも見入ってしまった。
私は其の姿を見詰めながら何となく奴に負けた気がして沸々と悔しさが込み上げた、……そう考えた時点で既に負けているとふと気付き、また悔しくなり更に不快は募る。

「だから何の話だ」

悶々とした気分で再び同じ問いを再び投げ掛けると、ハボックの瞳が輝きで満ち溢れた。
……今コイツは心の中で"よくぞ聞いてくれました!"と思っているのだろうな、分かりやすい奴だ。

「聞きたいっすか?」

「……聞かんとお前はいつまでも同じ台詞を吐くのだろう。仕事にならん」

「またまたー、本当は興味あるんでしょ」

本当に全く、一ミリ程も興味が無いんだよ。
聞いたところで私に何の利益をもたらさない内容だと、既に知っているから。
両の指では足りない位今と同じ場面に遭遇していた為である、そして其の都度思うのだ、鬱陶しい。
このまま無視しても構わないのだが、聞かなければ聞かないで後々面倒なのも分かっているので嫌々社交辞令として耳を傾けた。

「俺の恋愛話っす」

……想像を裏切らない回答、嬉しくも何ともない。

照れ臭そうに笑う奴の表情と返答に無性に腹が立ち顔を顰め、やはり最初の段階で受け流していれば良かったと後悔した。
毎度の事ながら不愉快極まりない、誰が好き好んで部下の恋愛話を聞かねばならんのだ、毎度毎度同じ台詞ばかり言うが良く飽きないな、懲りもせず毎回同じ思考回路に到達する奴の単細胞さはある意味称賛に値する。

「くだらん」

険しい顔付きで未だにやけた表情を浮かべるハボックに、"其の顔やめろ!"と思いながら淡々と吐き捨てた。

「ひでーよ、大佐ー」

そう言いながら溜息を吐いたハボックの口元から生まれた白煙が、緩やかに空中を踊る。
徐々に強まる特有の香りとフィルターの焦げた匂いが鼻につき、私は眉間を寄せた。
コイツは手にしている嗜好品が仮に世界から消えたとしたら生きていけるのだろうか、就寝時以外は常に手元にあるのではないかという位毎度奴と共に視界に映る、邪魔だ。

「実はもう彼女に気持ちを伝えて返事待ちの状態なんです。大佐、どうしよう。もし彼女に振られたら俺、立ち直れねえよ……」

「……お前、自分でいい感じだと言ってたではないか」

「仮定と事実はまた別の話っすよ!」

「情けない顔をするな!仮にも軍人だろうが」

眉を下げて俯く姿に無性に苛立ちを覚えた私は、顔を歪ませながらハボックに一喝する。

其の顔は嫌な事を思い出すから嫌だ。
彼の表情は一時期自分が露にしていたものと酷似していて、其の姿を目にすると日頃必死で押し殺している感情が否が応でも吹き返してしまうから見たくない、恋愛事で生じたものならば尚更。

「大佐は俺みたいな心配は無いから羨ましいっすよ。俺も一度位振る立場を経験してみてーっす」

「……其れで後悔する事だってある」

「大佐?」

「……」

ハボックの言葉を切っ掛けに、嘗て自分が犯した唯一の過ちが脳裏を駆け巡った。
忘れる事は無かった、忘れようと職務に没頭しても、暇さえあれば甦るあの情景が常に私を脅かす。



この世界に生まれ、数え切れぬ程女性から愛の言葉を貰った。
其の事実はいつでも己の自尊心を高める材料となった、私の存在意義は他人と比べ少しだけ秀でているのだと不謹慎だが優越感に浸れた。

其の数多くの女性の中になまえも含まれていた。
彼女は私が勤務する軍部の人間では無く、セントラルで働いている一般市民だという事は手に持っていたエプロンですぐに分かった。

所謂初対面の状態で告白をされ、其の状況を腐るほど経験していた私はまるで自分が面接官の様な気持ちで冷静になまえの話に耳を傾けた。
恥ずかしそうに途中詰まりながら話すなまえの告白の内容は、時々街を歩く私の姿を見掛けて徐々に恋心を抱くようになったという此れまで受けてきた他の女性と同様の台詞で、私の心に響く事は無かった。

しかし向かい合いながら必死に言葉を絞り出すなまえの潤んだ瞳と紅潮した頬は、唯一印象的だった。
正直なところ好みの女性ではあった。
しかし彼女から漏れ出る純真無垢な雰囲気は、下手に手を出してはいけない部類の女だと判断に至らせるに充分な理由となり、無難な台詞で彼女の告白を断った。

其れでなまえとの関わりは今後一切無くなるのだと、安堵で胸を撫で下ろした。
しかし去ろうとした直前で、彼女から放たれた想定外の言葉で後々意識が占拠される事になろうとは。



人生の折り返し地点に差し迫りつつある現状の中、必要に迫られて漏れ出た回答は誤りであったのだと遅過ぎる後悔に苛まれた。
其れは稀薄な人間関係を築いて来たが故の当然の結末であり、自身に纏う猛烈な野心を優先したが為に欠いた周囲への配慮の代償なのだと今更ながら苦悶を強いられる。

風の様に軽やかに自身を通り過ぎていく時の経過は、当時の私にとって差して気にも留める存在ではなかった。
太陽の浮き沈みがこの世界で生業とする自然の摂理である様に、生存過程を積み重ね自身に担う過去を増やしていくだけの習慣なのだと認識していたからだ。

既に君にとって私は日常の片手間に不意に振り返る程の、数多く所有する想い出の残骸の一つでしかないのだろうか。
もしも自身の手を覆う白地の布にしたためられたこの神聖な紅き刻印を、彼女の心を引き寄せる術として尊い光と共に実現する事が出来るのならばと、不毛過ぎる思念が脳裏に木霊する。

叶う筈の無い淡い希望を馳せてしまう自分の醜悪さを垣間見ては、彼女への想いを核とした情熱の塊が胸に支えて沈痛を伴った。
総ては自身が生み出した事実であり確定しているのは、自業自得だという事。

あの日に戻りたい、あの場面をやり直したい。
現在よりも未熟で無知だったあの頃に還りたい、ここ最近ではそんな思念が四六時中纏わり付いている。

なまえは今新たな恋愛の一歩を踏み出しているのだろうか。
もしも未だ彼女の心に私の情が淡くでも残っているのであれば、今度こそ私は違わぬ道を進んでいく決意があるのに。

私はなまえの事を何も知らない、知っているとするならば告白の前に言われた名前と持っていた衣服の色位。
あの時きつく手に握り締めていた制服であろう黒色のエプロンは、一体何処の店で着用されているのか。
何もかも知る術を持たない現状が、私の行動を足踏み状態にさせる。

もしも一隅のチャンスに見舞われたならば、喩え現在の立場を投げ遣ってでも私は君の心が欲しいのだと、強く思った。




「あ、大佐。ちょっと寄り道してもいいっすか?」

暫く物思いに耽っていた私は、ハボックの言葉にハッと我に返る。
すっかりこの男の存在を忘れていた、其処まで私はなまえに心酔している事を思い知らされ、チクリと胸が痛んだ。

「……上官を前にして道草を言い放つとはいい度胸だな」

「ちょっとだけっすよ。此処で彼女が働いてるから、一目見たくて」

勢い良く建物に向けたハボックの親指に誘われるままそちらに目線を移すと、其処には小さめではあるがお洒落なカフェがあった。
レンガ調の外壁、モダンな雰囲気なテーブルと椅子、其処に優雅なティータイムを過ごす人々の姿、そして。

「……黒の、エプロン」

颯爽と動き回る店員の姿に釘付けになった。
私の脳裏にあの時の彼女の手元が鮮明に甦る、もしかすると此処がなまえの勤める職場なのではないかと都合の良い解釈が瞬時に過る。
そして同時に最悪のシナリオが浮かび、全身の熱を急激に奪っていった。

「……ハボック」

「はい?」

「お前が惚れている女は何処にいる」

問い掛けをしている最中でも、目の前の建物から目を離す事は出来なかった。
もしかしたら私の仮定は正しいのかもしれない、そう考えたら隣で意中の女の姿を探すハボックの顔を見る余裕もなく。

私は何も始まる事も出来ずに、このまま芽生えた感情が死んでしまうのだと思うと切なかった。


「あ、居た。おーい!」

「……!」

彼女を見つけたハボックが意気揚々と手を振る方向を恐る恐る見ると、其処には二人の若い女性が此方に視線を向けていた。
一人は後ろ一本に髪を束ねた長身の女性、そしてもう一人は……。

「……もっと早くに私から出向いていれば、最悪な結末は避けられたのだろうな」

そうすればきっと私と君は、今は心通い合った関係に発展出来た筈なのに。
私がその気になれば、僅かなヒントを頼りになまえの勤務地を簡単に割り出す事も可能であったのに。

其れをしなかったのは、彼女の最後の台詞が頭にこびりついて離れなかったから。
此れは発言が守られる保証もないのに、なまえの言葉の力が永久的に続くのだと確信の無い自信に囚われていた罰か。
私はなまえを振った身であり、その後の彼女の恋愛に不満を感じる権利など有りもしないのだから。

「ハボック、5分で切り上げろ」

君が次に進む恋愛の相手がハボックで良かった、知らない男だったならば私は醜い嫉妬で自分を忘れてしまうだろう。
馬鹿で単細胞で惚れやすい男だが、情に厚く決していい加減な事をしないこの男は、必ず君を幸せにしてくれる。

「暫くは沈痛で苦しむ事になるが、仕方ないな」

此れで私も完全に野心一つに絞って集中出来るのだと、此方に走ってくる彼女達の姿を一目確認した後に建物から背を向けた。



「あ、あの!マスタングさん」

踵を返し街中に目線を移した瞬間、聞き覚えのある声が耳に届き鼓動が跳ね上がった。
……何故私に声を掛ける、君が一番に駆け付ける先は私では無く彼の所ではないのか。

何故だと振り返ると、少し離れた場所でハボックと長身の女性が仲睦まじく会話をしている姿が目に飛び込んだ。
其の光景に驚きを隠せなかった私は、目を見開いて唖然としたまま彼等を見つめ続けポツリと呟いた。

「……君では無かったのか」

「え?」

私の声が聞こえたのか、なまえは不思議そうな面持ちで私に投げ掛ける。
呆然と立ち尽くしていた私は我に返り、慌てて視線を頭一つ下の彼女に視線を合わせた。

「君は此処の店員だったのだな」

微かに笑みを浮かべながら問い掛けると、なまえの頬が瞬時にピンク色に染まった。
か細く"はい……"と答え前に組んでいた手をもじもじと動かす光景は、忘れもしないあの時の彼女と同じ行動だった、私は其れが可笑しくて"ははは"と声を出して笑う。



「あ、あの、マスタングさん?」

「何だろうか」

変わらず恥ずかしそうに指を触り続けるなまえに"可愛いな"と思いながら返答すると、俯いていた顔を勢い良く上げ私の心拍数が一気に上がった。
そして同時に理解した、彼女は私に放った最後の言葉を今此処で実行しようという事に。

「わ、わた、わわ、私……!」

「ああ。ちょっと待ってくれ」

右手をなまえの顔に近付け台詞を制止すると、彼女の表情がぽかんと呆気に取られた。
其の後直ぐに肩を落とした姿に少し申し訳無い事をしたなと思いつつも、私は手に持っていた周辺地図をハボックに預けてなまえの元に戻る。

「ちょ、大佐!?何すか此れ」

「急用が出来た。残り箇所の捜索はお前に任せる」

「はあ!?ちょっと待って下さいよ!」

「さあ、行こうか」

そう不敵な笑みを浮かべながらなまえの肩を抱くと、耳まで真っ赤になって泣きそうな彼女が硬直していた。
ああ、やはり間違いでは無いようだ、君が半年前に放った甘い言葉を、君の公言通りに今日再び聞く事が出来るのだね。

「え、えっ……?」

「君が言ったんだろう。"もしも次会った時にまだマスタングさんが好きだったなら、もう一度告白します"って」

「は、はい……」

「……全く、あの言動には度肝を抜かれたよ。お陰であの時から私は君が気になって仕方無くなった」

この私を此処まで夢中にさせた代償は大きい。
君が愛の告白をした後、直ぐに私が半年分の蓄積された想いを発散するから覚悟しておくように。



互いに気持ちを告げたら、新たな門出を存分に堪能しようか。


END

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