カイサが荷造りするのをぼんやり眺めて、時間になれば一緒に駅に向かった。頭が未だに痛む。

カイサは今年の8月に正式に入籍するらしい。「ひとり旅はこれで最後の予定だった。だから会えたのは奇跡」と言って、これから帰ると婚約者に電話をしていた。
別の男とホテルにいたのに良く平気そうに電話できるなと思った。おれなんか後ろめたさで今日は1日ナマエと連絡を取ってない。もちろんナマエからのメッセージや電話はない。
悲しいような、安心するような。


ホームは電車を待つ人で賑わっている。持ってやっていたキャリーケースをカイサに渡して向き合った。

「ありがとうございました。エース…隊長」
「だから、もう隊長じゃねーよ。
……まぁ、色々悪かったな。幸せになってくれ」
「はい」
「じゃあな」

両手をズボンのポケットに入れた。気安く手を振るのは違う気がしたから。今にも泣きそうな女。おれはどうする事もできない。

「エース、」
「ん?」

名前を呼ばれたと同時に、カイサがくいっと顔を近づけた。それは一瞬で、自分の唇にふにっと柔らかい感触。これが何か分からないほど経験がない訳じゃない。
ほんの一瞬だったが、おれたちはキスをした。

「これで、もう忘れることにしますね」

さよなら、と今度こそカイサは電車に乗り込んだ。

自分の唇を親指で拭う。
なんとなく気持ちが悪い。今まで女からキスされることなんて良くあったし、喜んで受け入れてた。なのに今は身体がそれを受け付けていない気がする。脳裏に浮かぶのはナマエ。
無性にナマエに会いたくなった。まぁ、会えたところでキスは出来ないけど。

電車の出発まであと2分。
最後まで見送るつもりはない。
さて帰るか、と体を動かした時。

「エース」

「………ナマエ?」


目の前にはナマエがいた。
ちゃんと、ナマエ。本物。おれを静かに見上げている。
ナマエはいつも少しだけ顔色が悪い。けど、今のナマエは真っ青で今にも倒れそうだった。


「な、んで。ここに…」
「……やっぱり、私は捨てられるんだね」
「、ナマエ、違う…!」
「また私を裏切るんだ」
「!」

"また"
そうだ、おれは前も、約束を破った。
必ず戻ると言ったくせに死んだ。永遠にナマエにはもう会えないと思って、死ぬ間際にどれだけ後悔したかわからない。
だからこの世界でまた会えた時、今度こそ絶対に大切にすると決めた。ナマエを裏切らない。素直に好きだと伝えて、目一杯愛をあげたい。
そんなふうに思ったのに。

おれはまた、裏切った。


「…ナマエ、悪い」
「………いいよ。別に期待してなかったから。どうせいつか捨てられるんだって、思ってたし」
「違う!あの女は、その、昔の…知り合いで。おれのことが好きだって言うから、放って置けなかったんだよ」
「じゃあエースは、好きって言ってくれた人みんなとキスしたりセックスしたりデートしたりするの?」
「しねぇよ!ただ、あいつは、…どうしても忘れられないくらい、おれのことが好きだって言うから。おれと、同じだと思った…」 
「…おれとおなじ?」
「おれも、ナマエを忘れられないくらい、好きだから」

ナマエは眉間に皺を寄せておれを睨んだ。目には涙が溜まっているが、溢れることはない。鼻のてっぺんが少しだけ赤い。そんなこと考えてる暇ないはずなのに、妙に冷静だった。

「おまえは、おれのこと好きじゃないもんな」
「!」
「おれや、さっきの女みたいに、死んでも忘れられないくらい人を好きになったことあんのか?」
「なに、それ…」
「それがどれだけ苦しい事か、おまえは知らねぇだろう。好きで好きでたまんねぇのに、愛してもらえないのが、どれだけつらいか、分かんねえよな」
「……」
「おれはその気持ちを分かってる。だから、おれと同じように苦しんでるあの女を放っておけなかった。別にあいつと付き合うつもりはねぇけど、会うくらいなら、良いかなと思って、……悪かった」

こんなふうにナマエを責めるつもりは無かったのに、勝手に本音が口からこぼれ落ちる。

「キスしてたじゃん」
「あれは、あっちからだろ」
「…」
「…あいつは、これで諦めるって言ってた。死んでも諦めきれないくらい好きな奴を、諦めるって決めたんだ、あいつは。
……だから、ナマエ、キスさせてくれ」
「………は?」
「おれも、もうおまえの事は諦める。最後にキスさせてくれねぇか」

ナマエの大きな瞳から涙が一粒だけぽろりと落ちた。それを視線で追う。珍しく女らしい淡いピンクのセーターを着たナマエ。涙はセーターにぽたりと落ちた。

「……別れるって事?」
「ああ、悪かったな、ずっと付き纏って。ナマエの相手はおれじゃねぇんだろ?おれと別れて、別の男と幸せになってくれよ」
「………」

そっと近づいて触れたナマエの頬は氷のように冷たかった。泣くのを我慢しているのか、喉が震えている。噛みつきたい。おれのものにしたい。でも、それは許されないんだろう。

「やだ、」
「………え」
「今は、どうして良いのか分からない。落ち着いて考える時間が欲しいの。とりあえず、私のインターンシップが終わるまで、待ってて」
「…なんで、」
「ごめん。もう時間だから」

そう言ってナマエは俯き、おれを押し除けた。
早歩きで別のホームへ向かうナマエを、おれはただ茫然と眺めるしかない。インターンシップが終わるまでまだ何日かあったはずだ。そこからわざわざ来てたのか?何しに?なんでいた??

ぐるぐる考えていたら倒れそうになった。
身体が鉛のように重い。初めての感覚だ。こんな気持ちをおれは知らない。
人を本気で好きになった事を後悔した。








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