8話「夫婦と口紅」
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しんと静まり返る寝室。
義勇は名前から話してくれるのを待った。
名前は目に涙を溜めて俯いている。
「…あの、義勇さん」
「なんだ」
「これ……」
そう言って名前が恐る恐る義勇の前に出したものは、昨日見つけた口紅だった。
義勇が持っていた、名前の知らない口紅。
「これ、どなたのですか?」
名前はポロリと一粒の涙を流す。
一方義勇は驚いたようで目を見開いて固まった。
珍しく、感情が顔に出ている。
「こ、れは……」
「私のじゃないです、持ってないです…でも義勇さんの隊服から出てきたんです」
「……」
「私じゃない、別の女性の方のですか?」
「…違う」
「じゃあどうして?」
「…………」
全く話そうとしない義勇の態度に名前はショックを受けた。
これは自分ではない別の女性のものなんだ。
後ろめたいことがあったんだ。
だから何も言ってくれないんだ。
名前は立ち上がり、部屋を出ようとする。
義勇はさすがに自分も立ち上がって名前の肩を掴んだ。
「どこへ行く」
「……今日は一緒にいたくないです。実家にでも帰ります」
「なっ…」
「離して下さい!」
泣きながら叫ぶ名前。
義勇は戸惑う。
こんなはずではなかったのだ。
「待て。話を聞け」
「話してくれないのは義勇さんです!」
「全て話す」
「きゃっ、」
出て行こうとする名前を義勇はいとも簡単に持ち上げ、横抱きにした。
名前は突然のことに暴れることなく義勇にしがみついた。
「お、おろしてください!逃げません!」
「…」
また先程2人で正座をして向き合っていた位置に下される。
名前は観念し、黙って義勇を見つめた。
「…以前、産屋敷邸に来た時に紅をしていたろう」
「はい。私のお気に入りの口紅です」
「………それが、綺麗だった」
「……え」
思わぬ発言に名前は思考が停止した。
「だが、おまえが紅をする姿はその時と結婚式の時だけだったろう。………もし俺がおまえに口紅を贈れば、またつけてくれると思ったからだ」
「……」
「だから、任務で行った街で土産に買った。渡す機会がなかった……それで、忘れていた」
「……ほんとですか?」
「ああ。すまん、変なことで不安にさせてしまった」
義勇は恥ずかしくて名前に言えなかったのだ。
口紅を贈ることも、名前のために口紅を買ったことを伝えることも、全て恥ずかしくてできなかった。
「おまえに似合うと思って選んだ色だ」
「…私のために」
「前に赤が好きと言っていただろう。一番綺麗な赤色を選んだつもりだ」
「…今日はたくさん喋るんですね」
「……誤解は解けたか」
「はい」
名前の頬を伝う涙。
先程とは違い、嬉し涙だ。
名前は大切そうに小さな口紅をぎゅっと握りしめる。
自分のために義勇が選んでくれた。
そう思うと嬉しくて幸せで、使うのがもったいないと思った。
きっとこれは嘘ではない。
なぜなら目の前の義勇は見たこともないくらい顔を赤くしていたのだから。