-60 音柱
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「杏寿郎さん、来ましたよ」
日に日に彼の顔色が良くなっている気がする。
採血をしてもらってからは1時間横になって安静にしなくてはいけない。
隣に用意されたベッドで杏寿郎さんを観察する。
少し頬と唇が荒れている。
軟膏を塗ってもらうように頼んでみようか。
「名前さん、そろそろ1時間経ちますが、体は大丈夫ですか?」
「はい。特に何も異常はありません」
「では、もう帰ってもよろしいですよ」
「今日もありがとうございました」
胡蝶さんが部屋から出て行ってからも、今日はなんだかもう少しだけ側にいたかった。
順調に体は回復しようと働いているらしく、あとは目を覚ますのを待つだけ。
でもそれはいつになるのか分からないらしい。
「杏寿郎さん…」
耳元でつぶやく。
早く起きてくれないと、私本当に小宮山さんのところに行っちゃいますよ。なんて。
「お!おまえか!!煉獄の嫁!」
「!?」
突然背後から首根っこを掴まれた。
恐怖の余り声が出ない。
ばたん!と大きな音がして扉が開き、胡蝶さんが慌てた様子で現れた。
「宇髄さん!やめてください!」
「こ、胡蝶さんっ、た、たすけて…」
「ああん?」
大男はめんどくさそうにぺっと私を離した。
「病室で何をしてるんですか、宇髄さん。しかも相手は煉獄さんの奥様ですよ」
「煉獄の見舞いに寄ったんだよ。噂に聞いてた煉獄の嫁に会えて幸運だぜ」
乱れてしまった髪を治して改めて男を見上げる。
でかい。
そして不思議な見た目をしている。
「名前さん、彼は音柱の宇髄天元さんです」
「おと…柱……柱の方なのですか」
「おう!祭りの神でもあるぜ!」
「祭りの神……?」
ごめんなさいね、と胡蝶さんが代わりに謝る。
こんな乱暴で恐ろしい人が夫の同僚。
しかも見舞いに来たということはそれなりに仲が良かったのだろうか。
「煉獄名前と申します…」
「おう!知ってるぜ!思ってたより俺の好みだな!」
「……えっと」
なんだろうかこの人は。
対応に困る。
自分の周りにはいなかった類いの人間に困惑する。
胡蝶さんが隣でいてくれるだけでありがたい。
こんな人と二人きりだったら泣き出していたところだ。
「煉獄は何かと派手だったからな!好きだったぜ」
「そうなんですね…。夫がお世話になりました」
「2週間前まではそろそろ死ぬかもしれねえと聞いていたが、まだ生きてたんだな」
「宇髄さん」
胡蝶さんが怒ってくれた。
私は余りこの人に口を挟めない。
苦手な人だなと思う。
それでも彼はべらべらとおしゃべりをして、小1時間はいただろうか。
その間に少しだけだけれど彼と普通にお話しすることができた。
私と杏寿郎さんが結婚したばかりの時に相談に乗ったなんて教えてくれた。
私の知らない杏寿郎さんの話をもっと聞きたいなと思った。
「今度は嫁も連れてくるわ。そん時には起きてるといいな」
そう言って宇髄さんは帰って行った。
ものすごい速さで。
「名前さん、本当にごめんなさいね。もう暗くなりますから今日は泊まってください」
「すみません。ありがとうございます」
たしかに辺りは夕焼けに包まれて、まるで燃えるように赤く染まっていた。
窓から差し込む光に杏寿郎さんの顔が照らされる。
本当に赤が似合う人。
出会った日のことを自然と思い出し、涙が頬を伝う。
「杏寿郎さん…」
そう呼んだ時だった。
「……名前」