-39 逢瀬
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次に早速、杏寿郎さんが本日購入したいと思っていた物が売っているお店に向かった。
手を引かれ、ただ彼の大きな背中をぼーっと眺めながら着いて行く。
「ここだ!」
「…万年筆の専門店ですか?」
「そうだ!」
万年筆の存在は知っているが、自分はもっぱらつけペンか筆しか使用していなかったのできょとんとしていると、杏寿郎さんは「前に持っていたのを壊した」と言っていそいそと入店した。
ガラスで出来た箱の中には沢山の万年筆が並べられている。
正直自分には何が違うのかさっぱり分からないが、似ていても金額が全く違うものがあって驚く。
「万年筆なら携帯できるから名前にいつでもどこでも手紙を書けるんだ」
「なるほど…」
「俺も詳しくは知らないから店員さんに聞いてみよう!」
そう言って杏寿郎さんは近くにいた紳士的な店員さんに話しかけに行ってしまった。
私もそっと後ろから様子を伺う。
何やら色々と説明を受けて杏寿郎さんはうんうんと頷いているが、私はよく分からないので店内をぐるっと見渡す。
ふと、入り口近い棚に、学生だった頃に愛読していた文芸雑誌が並べられているのに気がついた。
懐かしく思い、適当に一冊抜き取ってパラパラめくっていると後ろから別の店員がそっと話しかけて来た。
「小説家の方も今では万年筆をお使いになる方がいらっしゃるんですよ」
「そうなんですか?」
「はい。インクの色も黒だけではないので、拘っている方だと気分や物語に合った色のボトルインクを使用するみたいです」
「へえ…素敵…」
「こちらなんて女性でも握りやすい細いタイプです。ペン先も3種類太さが選べまして…」
「あ、私はお…夫の付き添いなので…」
慌てて両手をぶんぶん振っているといつの間にか後ろにいた杏寿郎さんに肩をぽんと叩かれて、驚き飛び跳ねた。
「ははは!名前も買えばいい!」
「お、お金をそんなに持っていませんし…私使った事ないです」
「俺が君に贈ろう!それに使い方は帰ってから俺が教えてあげるから安心しなさい!」
「ええ?!そんな!申し訳ないです!杏寿郎さんのお手を煩わせることは…」
「これなんてどうだ?君の使ってるつけペンと軸の太さもそんなに変わらないじゃないか」
「えっ、」
「店員さん!試筆できるか?」
「もちろんでございます。ささ、奥様どうぞ」
「ええ…?」
店員さんと杏寿郎さんに半ば無理矢理万年筆を握らされ、言われた通り紙にさらさらと線を書いていく。
あっという間に杏寿郎さんが話をまとめて、結局お互い一本ずつ購入することになった。
もちろん二本とも杏寿郎さんがお金を出してくださって本当に何をしたら恩返しができるのだろうと、ちょっと泣きそうになった。