-10 蝉鬢

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夕餉も風呂も済ませてまたこの時間が来てしまった。
千寿郎様はやはりもう自室で眠っているらしい。

囲炉裏の前で2人無言で座り込む。
今夜こそ、もしかしたら…。
子孫を残すことは妻の仕事。
でもそう思うとあの人への本当の裏切りのような気がして、自分がどうしたら良いのか分からなくなってしまう。


「名前」
「!」

今まで黙っていた杏寿郎様が突然私の名前を呼ぶので驚いて体が硬直する。

「不躾な質問をするかもしれないが、許してくれ」
「は、い…」
「率直に聞く!君はまだ俺と床を共にしたくはないだろう」
「…は、?」

率直にも程があるし、まさかそんなことを言われると思っていなかったから困惑する。
思わず杏寿郎様の顔をまじまじと見てしまった。

「君があまりにも緊張しているから、なんだか可哀想になってしまった。言わないつもりだったが、ここでハッキリさせておこう!
もちろん夫婦になったからにはいつかしなくてはいけない。でも今じゃなくてもいいんだ」

また彼は私のことを気にかけて、わざわざこんなことを言ってくれるのか。
驚くと同時に、なんて素直で純粋な人なんだと唖然とする。

「焦ることじゃない。俺もまだ半人前。君だって突然こんなところに連れて来られて、覚悟を決めたとは言っていたが不本意だろう!」
「不本意なんて…」
「嘘をつかないで良い。君はもっと素直になるべきだな!俺が嫌いならそれでいいんだぞ」
「嫌いではないです」
「ははは!では好きでもないんだな!」
「…す、すみません」
「いいんだ!こうしてもっともっと素直になってくれ。そっちの方が俺も楽だ!ありがとう!」
「は、はい!」
「うむ、だからもう君はあまり悩まなくて良い。そのままで良い!寝室も別々のままでいよう。前にも言ったが、ゆっくりとお互い仲を深めていこうじゃないか!」
「はい!」

杏寿郎様があまりに大きな声でハキハキとお話しするものだから私も途中から背筋を伸ばして大きな声で返事をしてしまっていた。
ハッとして恥ずかしくなる。

「あと様をつけるな!なんだか他人行儀じゃないか!」

私としては立派な夫とその家族への敬意の表れだったが、彼からはそう見えていたらしい。
それは困った。

「では、杏寿郎さんとお呼びします」
「うむ!」
「千寿郎様は…、千寿郎君ですね」
「そうだな!」
「ありがとうございます、杏寿郎さん」
「こちらこそ!俺の帰りを待っていてくれてありがとう」

今夜は触れられていないのに、胸の鼓動がドキドキ早まってしまった。



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