6.大安

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「お!いたいた!」

杏寿郎さんが現れる時間は多分仕事終わり。
スーツのまま現れる。
大晦日である今日もスーツだが、もしかしてブラック企業で働いているんだろうか。
肩についた雪をぽんぽんはらっていつも通り、どっしりと正面の椅子に座る。

「よし、名前さん!手を出してくれ」
「え?はあ」

どうしたんだろうか。
恐る恐る両手を出すと、思ったよりも優しく包まれた。
どきりと胸が飛び跳ねたのが分かる。
また赤くなってしまった顔を隠すために自分の両手を見つめた。

「ふむ、この線があるということは…名前さんはかなり真面目だな。それと…仕事はしたくない、のか?全然線がないぞ」
「……え?」
「当たってるか?」
「は、はい…」

まさか。なぜ。
杏寿郎さんが何で手相を?
私が目を白黒させているのを見て気を良くしたようだ。
嬉しそうに満面の笑みになる。

「君の占いを見ているうちに本当に興味が湧いた!手相の本を買ったんだ。結構面白いのだな。1番最初に名前さんの手相を見ると決めていた!」

ああ、この人はまったく。
昔から変わらない笑顔。

「…ふふっ、杏寿郎さんったら」

口元を隠して小さく笑った。
あの頃みたいに。

その時、突然笑顔だった杏寿郎さんが真顔になった。
なにかしてしまっただろうか?
まさか今更「自分の下の名前を教えた覚えがない」と気づいたのか。

「…杏寿郎さん?」
「……名前?」
「…え?」
「…名前、おまえ、名前か!」
「…お、思い出したんですか?」
「ああ!!思い出した!君は俺の許嫁だ!」

大声で許嫁なんて言うから周りの占い師とその客たちがざわざわしている。
とりあえずここを出なくては。
嬉しさを感じるのを忘れて私は杏寿郎さんを外へ引っ張りだした。


「何をするんだ名前!」
「それはこっちのセリフです!全然思い出さなかったくせに、思い出した途端にこんな人がいるところで大声で!もう!信じられません!」
「何で早く言ってくれなかったんだ!」
「言える訳ないじゃないですか!大体、私は最初から貴方を思い出したのに、貴方全然思い出さなかった!私がどれだけショックだったか…」

勝手に溢れてしまう涙を服の袖で乱暴に拭いた。
もうキャパオーバー。
嬉しさも悲しさも驚きも怒りも、全部が私の中で爆発して外へ飛び出したみたい。
肩で息をする私とは違って杏寿郎さんはおろおろと行き場のない両手が胸の高さで止まったまま。


「本当に、思い出さなかったのはすまなかった。でも今思い出した。突然、なぜか頭の中に滝のように流れ込んできたんだ…」
「…それは良かったです」
「とりあえず、そうだな…」

うーん、と杏寿郎さんは腕を組んで考え出す。

「結婚、するか」
「はあ!?」
「嫌なのか?」
「い、嫌ではありません…」
「ずっと果たせなかった約束だ。今度こそ君と結婚したい。君が好きだ」
「……ずるいです。私が貴方しか愛せないのは、貴方が1番よく知ってるでしょう?」


広げられた腕の中にそっと入り込んで身体を預けた。
逞しい胸板が頬に当たる。
そしてあたたかい。
優しく抱きしめられてしまえばもう逃げられなかった。


「迎えにきたぞ、名前」
「遅すぎます。ずっと、待ってたんですから」



後から私がまだ学生なのを知って驚愕した杏寿郎さんだったが、また何歳になったら結婚しよう、なんて約束をしたら前世のようになるんじゃないかと恐れをなして、結局大学在学中に彼と結婚することになったのだった。

これにて一件落着、である。


おしまい


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