-44 先生と私
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「隣の人、どなた?」
小野坂先輩はへらへらしながら煉獄さんをチラッと見た。
どうやら存在は把握していたらしい。
「だから言ったじゃないですか。今日は彼と飲んでたんです。女友達じゃないって」
「えっ、本当だったの?!」
先輩は大袈裟に驚く。
電車の時間も気になるし早くこの場から立ち去りたかった。
なにより煉獄さんに申し訳ない。
「こちらは?」
ツンツンと二の腕辺りを煉獄さんに突かれた。
彼は私に視線を合わせようとせず、どこを見ているか分からない表情なのが少し怖い。
「あ、会社の先輩なんです」
「そうか!なるほど!」
「はい〜、小野坂と申します〜」
突然営業っぽくへこへこする先輩。
相当酔ってるみたいだ。
「こちらは煉獄杏寿郎さん…彼氏、です」
「えっ、彼氏?」
驚いて目を飛び出さんばかりに見開く先輩と、それと対照的ににっこり笑う煉獄さん。
ああごめんなさい煉獄さん…!
本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだし、自分から言っておいて恥ずかしくて逃げ出したい。
とりあえず早くホームに行かないと。
「む、電車に乗り遅れるぞ名前」
私の心の中が読めるのだろうか!
そして名前!!
名前を呼ばれたことに身体中が沸騰しそうになる。
煉獄さんは優しく私の手を握って、くいっと引っ張った。
「では先輩、また月曜日ですね!お疲れ様です!」
未だにポカンとしている先輩に背を向けて煉獄さんと走り出す。
長くて急な階段を手を繋いで走る。
何も考えられなかった。
ギリギリで目当ての電車に乗り込んで、ぜぇぜぇとうるさい息を整える。
隣の煉獄さんはふぅ、と小さく息をついただけだ。
そして未だに握られたままの手に意識が集中する。
「ご、ごめんなさい…」
そう言ってゆっくりと手を離すと、煉獄さんは「ああ…」と少しぼんやりした様子だった。
怒ったのかな?
やっぱりすごく迷惑なお願いだったよね…。
煉獄さんはモテるし、「苗字もやっぱり周りの女と同じなのか」とか思われたらどうしよう。
引かれたかもしれない。
そんなことが気になって言葉が出てこない。
煉獄さんも私に話しかけることはなかった。
とうとう何も話さずに最寄駅に到着する。
「送らせてくれ」
「あ…ありがとうございます……」
いつも通り、車道側を彼が歩く。
心なしかいつもより歩く速度が遅い気がした。
「…苗字さん」
「はいっ」