巡り愛2

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今は杏寿郎様のことを忘れようと必死に仕事をした。

夕食の準備、布団敷きを率先して行って出来るだけ彼に会わないようにした。
本当は会いたい。
でも今は仕事をしなくてはいけない。
恋にうつつを抜かしている場合ではないのだ。


彼はやはり私の方を不思議そうにチラチラ見てくる。

先ほどまでは思い出して欲しいと思っていたけれど、よくよく考えたらそれはあまり良くないのでは?と思い始めた。
過去の記憶を取り戻したら、自分が鬼に殺されたことも思い出すことになる。
お父様が病んでしまったことやお母様が病気ですぐに亡くなってしまったこと。
それを知ってしまったら…


「君」
「はいっ」


ちょうど煉獄家御一行の夕食を運んでいる時だった。
個室での食事を希望だったため、担当の私と補助の一人が部屋で粛々と準備をしている。

そんな時にまたも杏寿郎様が話しかけてきたのだ。

「この鮎はすぐ近くの川で捕れた物なのか?」
「はい。こちらは窓からも見えます川で捕れる鮎で、今年は小ぶりですが味は引き締まっていてとても美味しいですよ」

テンプレート化している言葉だからすらすらと口から出る。
笑顔ももちろん忘れない。

「わたしにはちょうど良い大きさです」と、杏寿郎様のお母様がにこりと微笑んでくれた。
きりりとしたお顔とは裏腹に、笑うとふんわりとした雰囲気だ。


それからは仕事と割り切ってなんとか切り抜けた。

24時になってお客様が温泉に入れる時間も過ぎ、館内は薄暗く人影もない。
今日は色々あったから帰る前に温泉に入ろう。

暗くなった廊下を歩いていると客室へ続く階段から音もなく現れた人物がいた。
杏寿郎様だ。

この人はなぜ私の前にこんなに現れるんだろう。
やはり前世で知り合いだった物同士は引かれ合うんだろうか?


「まあ、失礼いたしました」
「いや。こちらこそ夜分遅くにすまない。眠れずにいたから下の自販機に向かおうとしていた。まさか君に会うなんて」
「そうでしたか」
「すまない、最初の自己紹介で聞いたかもしれないが、一応…もう一度名前を聞いてもいいか?何か思い出すかもしれない」
「はい。苗字名前と申します」
「そうか。苗字さん」
「はい」
「俺はまたここに来ようと思う。この旅館に来てみて懐かしいような、安心した気持ちになれて気に入った!決してストーカーなどではないから安心してくれ」
「ふふ、わかりました。またお待ちしておりますね」
「ああ」


こうして杏寿郎様との出会いは無事に過ぎ去った。
次の日にはチェックアウトして普通に帰ってしまった。
少しだけホッとする。
私のことは思い出して欲しいけれど、どうか全ては思い出さないで……



それから半年に1度、本当に彼は泊まりにやってくるようになった。
まるであの頃のようだ。
訪れた杏寿郎様の世話をする。
たまに今がいつなのか錯覚するほどに。


「久しぶりだな!苗字さん」
「はい!お久しぶりですね、煉獄様」

いつも彼は弟様と2人か、ご家族で訪れる。
なのに今回は1人だった。
誰も予定が合わなかったのかも。


彼は最初のように私に対して特に何か言ってくることはない。
何も思い出していないらしい。

彼を部屋に案内して、今回のお菓子とお茶の説明をする。
夕食の時間を決めて早速部屋から出ようとした時「待ってくれないか」と呼び止められた。
何故かとてもドキッとして、生唾を飲んでその場に正座した。

「はい、なんでしょうか?」
「やはり会う度に…君を見るとどうしても懐かしく、もどかしくなるんだ」
「…」
「そうだな…まずは、友達になってくれ!」
「友達…」
「連絡先を交換しても良いか?」
「は、はい!」

本当はお客様と連絡先の交換は禁止だけど。
相手は杏寿郎様。
私にとって最初で最後のルール違反。


手元にスマホがなかったので、電話番号とメールアドレスを紙に書いて渡した。
一応と言って杏寿郎様も自分の連絡先をメモしてくれた。


「ゆっくり君を知っていきたい」
「わ、私も…煉獄さんのことをもっと知りたいです。それに、半年に一度ではなくて、もっともっと会いたいです」



記憶が戻らなくても良い。
あの頃の彼とはやっぱり少し違う彼。
この時代を一緒に生きて行けたら良いなと思う。


end


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