シーンとした空間の中、担当教師の低い声だけが、教室に響く。

現在の授業は地理。そして担当は赤犬ことサカズキ。学校内で一番恐れられている教師だと言ってもいい。

3Aの担任だし、生活指導だとかいろいろ忙しいらしいから2年の授業には回ってこないと踏んでいたのだけど、無常にもわたしたちの祈りは天には届かなかったようだ。


あぁ。だけど、わたしは今、非常にまずい状況にある。なんでって。そりゃぁ昨日の夜更かしが祟って今とっても眠いから。
何度も目を覚醒させようとするも、気づけばカクンと頭が傾いてしまう。こんなところ赤犬に見られでもしたら……、終わり。


「ぐぅー…」


え?何今のいびきのような声?

まさかと思いつつも前の席にいるエースを見れば、教科書は立てているものの肩の上下は規則的で完全に眠りについているのだとわかった。
す、すごい……、エース。
去年赤犬を怒らせて暫く死んだような顔をしていたのに、なんていうんだろう。もう一回死んでるしなんでもいいやってことなのだろうか。

こんなにも眠い時に目の前で爆睡されると、わたしだって。という思いが芽生えてくる。
あぁ…、頑張れわたし…!耐えるのよ……









バシンッ!


「いたぁっ!!」
「ワシの授業でまぁよくもスヤスヤと眠れるのぉ…?」
「げっ……」


目の前にある赤いスーツから出る煙とその人物の表情に、わたしの額からはだらだらと汗が溢れた。


横目で時計を見てみると授業の時間はとっくに過ぎ去っていて、周囲のクラスメイトからは哀れんだ視線を送られた。


わたしどんだけ寝てたの…!!?
って、なんでわたしだけ…?エースは…。


また横目にエースを見れば、彼も他のクラスメイト達と同じように哀れみの視線を送っていて、起きたのね。と心の中で呆れた。



「なんとか言ったらどうじゃ」
「す、すみませんでした!」
「職員室に来い」
「はい……」


動きだした赤犬に付いてわたしも席から立てば、後ろから小声で「生きて帰ってこいよ!」なんてエースの声が聞こえて殴りたくなった。











職員室に到着すると、パイプ椅子に座らされ、その正面に同じように赤犬も座った。膝の上に両こぶしを乗せ、ちらりと赤犬を見れば、ファイルのようなものを捲って目を滑らせていた。

予想だけど、そのファイル絶対成績表だ…!!
そう思ったところで、赤犬の低い声が響いた。


「悪くもないが、良くもない。よくこんな成績で授業中眠ろうなんて思ったのう」
「すみません…」


何も言い返せず、ただ謝ると赤犬ははぁ。と小さく溜息をついた。


「一週間後にテストをする。範囲は1年の地理全て、50点取れなければ一学期の成績はなし」
「は、はい!?成績なし!!?」


てことはつまり、二、三学期でものすんごく良い成績を取らなければ…、追試…!?はたまた留年…!!?


一週間で全範囲なんてできるわけ…。そう口にしようとした瞬間に飛んできたのは赤犬の鋭い眼光。


「何か文句があるようなら聞くが?」
「ああああ、ありません!!」


失礼します!直角にお辞儀をして職員室を飛び出した。


「ハァ……」


いや、寝たわたしが悪いんだよ。悪いんだけど……。

無理……。


「って…え!?」


ふと時計を確認すれば、次の授業が始まる時間まであと2分しか残っていなかった。
考える間もなく、わたしは走りだした。

今わたし、自分史上最速のスピードで走ってる気がする。
これなら…間に合う……!!

角を曲がろうとしたとき誰かがいることに気が付いた。

やっ、待って!止まれない!!



「きゃあっ!!」


ドッシーン!!


目の前に黒い景色が広がったかと思うと、顔が何かとぶつかり、そのままわたしは後ろへ倒れ、派手に尻もちをついた。


「いっつぅ……」
「おー悪い、大丈……」


男の人の声が聞こえて見上げると、高い位置に赤色の髪が見えた。


「あっ、す、すみません…!」
「だー!はっはっはっはっはっ!!」
「…え?」


急に聞こえた笑い声に驚いて見ると、なぜか指を差されていた。



「お前!パンツ!パンツ見えてる!だっはっはっはっ!!」
「なっ!!?」


慌ててスカートを見れば転んだ勢いか見事に捲れ上がっていて、わたしのし、下着が晒されてしまっていた。


「わ、わああああ!!」


慌てて立ち上がり、スカートを元に戻した。だけど顔の温度は未だに高いのがわかる。


「いいもん見せてもらったぜ」
「さ、最低!」
「はっは。って、これお前のか?すんげぇことになってるけど」
「え…?…あ」


今度は床に向けられた指の先を見ると、わたしのポケットに入っていたはずのイチゴ飴達が無残にも廊下に散らばってしまっていた。


慌てて拾うわたしをまた少し笑うと、その人も手伝ってくれるように2人して一緒に飴を拾った。


「こういう時、片腕だと不便だなぁ。ほら」
「え?あ、ありがとうございます」


彼から手渡された飴を受け取り、やっと顔をちゃんと見る。
その綺麗に整ったお顔はこの学園では知らない人はいない人のものでわたしは固まった。


「あの…もしかして…」
「「「シャンクスせんぱーーい!!!」」」
「えええ!?」


大きな声と共に大量の足音が聞こえ、そちらを見れば、女子の大群がこちらに走って来るのが見えた。


「やべっ、行くぞ!」
「え?」


その女子たちを確認したシャンクス先輩はわたしの手を取ると、走り出した。それも猛スピードで。



「待ってぇー!」
「シャンクスせんぱいー!」



ええええぇぇぇぇぇ……。


な…、なんでこんなに追いかけてくるのー!?


わけがわからないがここで立ち止まってしまうのが危険なのは目に見えている。てか、女の子のあんなにも必死な顔って初めて見たなぁ。

わたし一人だときっと追いつかれていただろうけど、シャンクス先輩がぐいぐい引いてくれているからわたし達はなんとか追いつかれずにすんだ。そしてシャンクス先輩に手を引かれ曲がり角と同時に階段の下に隠れた。



「はぁっはぁ…!…ど、どういう…」
「しー」
「むぐっ!」



しー。なんて小さな声で言われ、片手で口を塞がれた。すると、暫くして女の子たちの声が聞こえてきた。



「あれ?どこ行ったの!?」
「うそー、ここ曲がってなかった?」
「もう行っちゃったのかなぁ」



廊下に響く話し声と足音が遠ざかり、わたしはやっと口を解放され、待ってましたとばかりに思いっきり空気を吸った。



「ふー、やっと行ったか。あ、捲き込んじまって悪いな」
「ま、全くです……」


わたしはこんなにも息を整えるのに時間がかかっているのに当の本人は息ひとつ乱さずケロッとした表情でわたしを見た。追われ慣れているのか、元の体力なのかはわからないけど、やっぱりただものじゃないんだなぁシャンクス先輩って。



「あ、挨拶してなかったな!おれはシャンクス、よろしくなっ!!」
「は、はい…」
「お前は?2年?」
「はい、2年の苗字名前です」
「そっか名前な、覚えたぜ!」


そう言い笑うシャンクス先輩の笑顔はとても素敵なものでさすが学内ランキングナンバーワンイケメンだ。と感心するが、わたしはそれよりも今の時間の方が気になっていた。


「あの、そろそろ教室に…」


走ってたからよくわからなかったけれど、これ絶対チャイム鳴ってる…。なんだか校舎が静かだし、こんなところを教師の誰かに見られたりなんかしたら……。恐ろしい…!!



「ん!?2年ってことはエースとか知ってるか?」
「エースは同じクラスですけど、もう教室戻りません…?」
「あー。もういいじゃねぇか一緒にサボろう!」
「え?」



何を言うのこの人!こんなヤンキー校だから勘違いされがちだけど、わたしはいたって普通の高校生なんだ!ここはキッパリ断らなければ!しかし…



「今更行ったって遅刻だのなんなので怒られんぞ?だったら一時間サボって保健室で寝てた事にしたほうがいいだろ?」
「た、確かに…」


この人、頭が良いのか悪いのかよくわからないんだけど…。

少しでも納得してしまった時点でわたしの負けは確定したようで、な?いくぞ。とシャンクス先輩はわたしの手を取って歩き出してしまった。

シャンクスはこの学校で四皇と呼ばれる四人の1人で赤髪って呼ばれてる。由来はもちろん髪が赤いから。わたしは先輩のことは当然知っていたけれど、話すのは初めてなのだけど、思っていたのと印象が違いすぎて驚いた。四皇なんて呼ばれてるものだからもっと怖い性格だと思ってたのに、意外に軽い…。


「着いたぞ」


ずっと思考に集中していたため、先輩のその声にすぐに反応できず、少し遅れて意識を戻した。


「えっ…、ここ…?」


目の前にあるのは扉。連れてこられたここは最上階、ここに繋がる階段はひとつしかなく、薄暗いそこに近付く人はほとんどいない。だってここは、赤髪グループの人たちの溜まり場だから。

少し足がすくんだ。


「や…、わたし、いいです、帰ります…!」
「なんでだよー、今誰もいないから大丈夫だって!」
「え、えー」


ほらほら。とまた手を引かれ、抵抗虚しくわたしは簡単にその部屋へと足を踏み入れてしまった。


「す、すご…」


赤髪グループの部屋だからどんな恐ろしいものがあるのかと思ったが、部屋の中はいたって普通の部屋。いや、学校という雰囲気からはかけ離れているんだけど。4人家族なら普通に暮らせそうだ。ソファや冷蔵庫など生活用品がなんでも揃っているし、部屋も大きい。



「ここ座れ」


シャンクス先輩はそう言って自分もソファに座るが、手が繋がったままなのでわたしも自然とソファに腰を落ち着けることになってしまった。



「あの…」
「ん?」
「いつまで繋いでるんですか?」


繋がっているほうの手を上げて見えるようにするが、シャンクス先輩は、あぁ。と少し笑っただけて離そうとはしなかった。


「別にいいじゃねぇか」


ぎゅっ…


さらに手に力を入れられた気がする。別に嫌じゃないけど、恥ずかしくて膝の上に置いた右手をじっと見つめた。


「なぁ…」
「はい?」


呼ばれ顔を向けるとジッと先輩の熱い視線とぶつかった。だが反応は何もなくわたしの頭にはクエスチョンマークが踊った。

しかし、先輩のお顔がだんだんと近付いている気がする。

え!先輩いつのまにか目を瞑ってる…。


これって……


キス!?


「ちょちょちょちょちょちょーっと!!」



その思考に至り、わたしはすぐに先輩の顔を手のひらで思い切り押し返した。


「いてぇ…」
「あぁ、すすす!すいません!!」
「なんだよー。いーじゃねぇーかキスくらい。初めてじゃあるまいしー」
「…えっ…あ…」
「えっ、もしかしてないのか!?」



コクリ。と頷く。
そう、わたしはキスはおろか人と付き合った事さえもない。好きになった人はいるんだけど…。
するといきなり笑い始めた先輩。



「ダッハッハッハッハッ!!」
「もう!笑わないでくださいよー!!」
「名前、お前そんなかわいい顔してんのに普通誰もほっとかねーだろ」
「な、何言ってるんですか!」
「まぁその方がおれはいいけど」
「え?」
「なんでもねー、あっジュース飲むか?」



ポンッと頭に手を乗せられ、先輩は席を立った。

さっきまで繋がっていた手はいつのまにか離れていた。

先輩は何がいいかなー?とか言いながら冷蔵庫を漁り始めるが、自分は何をもてなされる気でいるのだと慌てて立ち上がった。


「わたしやります!」
「あ、あぁ、悪いな」


わたしは2つのコップにオレンジジュースをいれ、一つを先輩の前に置いた。



「はい、どうぞ」
「ありがとな」



わたしはまた先輩の隣に座る。隣を見れば、先輩はおいしそうにジュースを飲んでいて、その姿がなんだか子供のようで、笑いがこぼれる。



「どした?」
「なんか…先輩可愛いですね…」
「そうか?そんなこと言われたの初めてだ。」



キョトン。とわたしを見る先輩にさらにわたしの中でのギャップが増す。


「なんだかわたしのイメージと違ったっていうか…」
「名前のイメージって?」
「四皇だって聞いてたからとっても怖くて目つきも悪くて、一切笑わない人なのかと…」



顔が良いのは分かるけど、やっぱり人は性格ありきじゃない?シャンクス先輩の性格がこんなにも子供らしいなんて知らなかった。

そう言うと先輩はまた大口を開けて笑った。



「ダーッハッハッ!おれってそんなイメージなのか!!」
「でも、なんか安心しました!優しい人で」
「そっか、そりゃ良かった」
「はいっ」



顔は超イケメンで、性格も子供っぽくて…、女の子達が追いかけるのも分かる気がする…。


キーンコーンカーンコーン


チャイムに驚き時計を見るとちょうど授業が終わる時間で、わたしは慌てて立ち上がる。



「チャイム鳴っちゃいましたし…、わたしそろそろ戻りますね」
「おう、そっか、またいつでも来いよ」
「あ、はは。お邪魔しました!」


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