小説 | ナノ


  どんどん積み重なっていく間違い2



 予想以上に服を手にいれるのに時間がかかってしまった。

「アリババさん! ただいま戻り……まし……」

 扉を開けた視線の先では、布団にくるまってベッドボードに背をもたれさせたアリババさんが寝息を立てていた。自分が焦っていたとはいえ、部屋の中の状況も省みず大きな声と共に戸を開けてしまったことをちょっと恥じた。

――疲れているのも無理はないな。

 本来なら次の街まで道が長いこともあって、ここで軽く連泊をして疲れを癒すはずだったのだから。
 と、アリババさんの周囲を見回して、部屋にいるはずの白龍さんを探す。が、見つからない。アリババさんの無防備な寝顔に頬が勝手にゆるんでいたのだけど、彼女の腕の中にわずかに動くものを見つけて私は固まった。

――……アリババさんが布団にくるまっているなんて、珍しいなぁ。とは思っていましたよ。

 彼女の顔と布団の隙間に見え隠れしているのは、見慣れた黒髪だった。
 離れていれば大分収まった白龍さんに対する嫉妬も、実際に彼を目にしてしまうとまたこれが胸を焼く。手にしているこの街でようやく見つけた子供服が何か音をたてた気がした。

「……う、……ん……」

 アリババさんの口から洩れたちょっと甘い吐息に思考が止まりそうになる。
 そして、気付いた。小さな白龍さんの頭の位置。それはアリババさんの胸の所だ。本人に意志があるのかはわからないが、アラジンほどあからさまではないものの、彼は時々アリババさんにすりよるように身じろいでいる。
 また、アリババさんの口から悩ましげな声が漏れたのを聞いて、私は即座に行動に移した。

 静かにアリババさんを起こして、すぐさま白龍さんに買ってきた服を着せたのは言うまでもない。眠気まなこをさするアリババさんには、罪悪感から胸がちょっと痛んだ。

――でも、仕方がなかったんです。

 白龍さんが風邪をひかないよう、一刻も早く服を着せる必要があったんだ。と、心の中で自分に言い聞かせた。決して自分の行動が八割方嫉妬に支配されているなんてそんなことはない。自分が幼くなってしまったら、是非あのポジションに。なんてことは欠片も考えていないんですから。

「おー。似合う似合う。昔、絵で見た黄牙の衣服に似ているな」

 服を着た白龍を前に嬉しそうにアリババさんが笑っている。用意した靴は白龍さんにとってちょっとサイズが大きくなってしまったが、この際贅沢は言ってられない。小さくなかっただけましかもしれない。

「たまたま行商で、黄牙民族の布や衣服を売っている人に会ったんですよ。この街、服を扱っている店はなくって。布や、糸を扱っているお店はあるのですが……。本当に運が良かったです」
「マジか!? 本当に運が良かったんだなー」

――ええ、全く。本当に。

 アリババさんの言葉に、私は心の中で全力で頷いていた。
 ずっとタオル一枚しか巻いていない状態で、ずっと彼がアリババさんと布団の中とか、想像しただけで頭が痛かった。その上で、何かのはずみで白龍さんが元に戻ったら? 裸の彼がアリババさんの隣にいて布団の中とか、その現場をもし目撃しようものなら、私は自分を抑えられる自信はこれっぽっちもありませんよ。事が収まったのに掘り起こして第二ラウンドとかどうゆうことかと――。

「ようやく飯が食いに行けるな。俺もう腹ぺこぺこ。白龍もおなか空いたよなー」
「はい。お腹が空いてます」
「モルジアナも行くだろ。よし! 行くぞ、白龍!」

 差し出されたアリババさんの手を。

「はい。アリババ!」

 勢いよく返事した白龍さんが握ってはにかんだ。

「……え?」

 一瞬聞き間違えたかと私は耳を疑った。私の戸惑った声に、二人が首をかしげながら振り返っている。
 軽い動揺を覚えながら、私は先程の軽い衝撃をなんとか口にした。

「今……白龍さん、なんて言いましたか? 私がここを出る前は、彼は何故かアリババさんを『母上』と呼んでいた気がするんですが」

 記憶間違いじゃなければそうだ。そんなことを言いながら、白龍さんはアリババさんに甘えていたのだから間違いない。

「ああ。俺が母上ってのはやっぱりおかしいだろ。だから、モルジアナが出かけている間になんとか直したんだよ。まぁ、実際の白龍の呼び方とはちょっと違うけど」

――結構な違いだと思います。

 敬称を省いて相手を呼ぶのって、普段から敬称付で呼んでいる側としてはかなりのハードルだと、私は自覚している。二人っきりになった時くらい、アリババさんのことをそのままの名前で呼んでみたいと思っているのに、緊張して私はちっとも呼べないんですから。

「母上は違うって言うと、姉上って言いだしたりとか……。ま、話は後だ、後! まずご飯だ!」

 白龍さんの手を取って上機嫌で部屋を出ていくアリババさん。その姿を眺めて、長い溜息が私の口から洩れた。





 きっと今の彼女の頭の中には、哀しいくらいご飯のことしかないんだろう。







「なぁなぁ。白龍に子供がいたらこんな感じかなー」

 肩がピクリとはねるのが自分でもよくわかった。警戒心はもとよりないのか、食事をしている白龍さんを前にアリババさんはすっかり顔を崩してその様子を眺めている。

――落ち着け。落ち着くんだ、私。

 アリババさんは何も考えていないに違いない。そうじゃなかったら今のタイミングで『子供』なんてデリケートなキーワードを言えるはずがないんだから。

――いくらなんでも自分のことなんだから、そこまで無神経じゃ……。

 そう願いながらアリババさんの顔を盗み見ればいつも以上にヘラヘラとしたゆるみきった顔で、一生懸命さじでかゆを掬う白龍さんに慈愛に満ちた視線を送っている。その様子は自分の子供を愛でる母親のようだった。ついでに言うなら、自分が言った言葉の意味に全く気付いていないようでもあった。

「こんな可愛い子供だったら欲しいかもしんないなー」

 バキリと。私が手にしていたさじが音を立てて真っ二つに折れ、テーブルの上に落ちた。さじが音を立てて折れたのと同時に、私の中でも何かがプツリと切れた。

「……アリババさん」

 地を這う様な低い声。自分でもこんな声がでるんだと他人事のように感じつつ、私は視線をアリババさんに向けた。その声に不穏な空気を感じ取ったのか、笑っていたアリババさんの肩が跳ねて固まる。声に驚いたのはアリババさんだけじゃなかった。視界の端で食事をしていた白龍さんも止まって私を見ている。

「モ、モルジアナ……?」

 我慢の限界だった。
 アリババさんに甘える幼い白龍さんにも、それを甘んじて受け入れるアリババさんにも。

――あんまりです。

 とどめは子供が欲しいという言葉だ。至極嬉しそうな顔をしながら、白龍さんの……ような子供が欲しいだなんて。

「『今の』あなたが言って良いことと悪いことが、おありなのはわかっているんですか?」

 泣いてない。泣いてなんかいない。でも、泣きそうなこの気持ちはなんなのだろう。白龍さんの泣き虫が移りでもしたんだろうか。だってこれじゃ私はただのお邪魔虫じゃないですか。アリババさんと白龍さんはとても楽しそうな空気を醸し出しているのに、私だけがそれに馴染めない。小さい白龍さんと元の白龍さんを切り離して考えられなくて、どうしようもなく嫉妬してしまう。
 自分の情けない内面を隠そうとしたせいか、思った以上に冷たい声が出てしまった。白龍さんとアリババさんの間に何もなかったなら、私は不愉快でもアリババさんの言葉を流せたかもしれない。けれど、駄目だった。仮にもあんなことがあった後で、そんなことをアリババさんに言われたら私は――。

「…………う、ご、ごめん、……なさい」

 アリババさんも自分の失言――というか、アリババさんの言葉で私が気分を害したのは伝わったらしい。言わんとしたことも気付いたようで気まずそうに視線を逸らしている。

「不謹慎な発言は控えて下さい」

 続けた言葉はますますアリババさんの体を縮こまらせてしまった。

――しまった。言い過ぎた。

 辺りを見回す。さっきまでほのぼのとしていた空気は完全に凍ってしまった。朝食の時間が他の客とずれたため周りに人はいないけれど、それでも気まずいのは確かだ。

――こんなつもりじゃなかったのに。

 小さい白龍さんが贔屓目にみなくても可愛いのは事実だし、浮かれていれば失言の一つや二つがあっても仕方がないだろう。……いやでも見過ごせない言葉でしたが。気を取り直して、言い過ぎてしまったことをアリババさんに謝ろうと私は口を開こうとした。

「……母上をいじめないでください」

 その言葉より先に、白龍さんが口を開いた。その大きな瞳が私を睨んで歪んでいる。私のことが怖いのか睨みつけながらもテーブルの上に置かれている手が震えていた。よほど緊張しているのだろう。先程アリババさんが頑張って直したと言っていた呼び方は元に戻っている。

「白龍……?」
「あ、あなたの発言で母上を困らせるのは止めて下さい」

 はっきりと、泣きそうになりながらも白龍さんはそう言った。

――あなたに言われなくてもわかっています。

「……母上は僕が守りますから」

 その最後に付け加えられた小さな言葉に、思わず私はふっと笑ってしまった。



――……お前が言うな。




 何をごちゃごちゃと細かいことを私は悩んでいたんだろう。私がこんなに白龍さんに対して悩む必要なんかそもそもないんだ。とても単純な解決方法があるじゃないか。この鬱憤と晴らす簡単な方法が。その後のことを考えると色々と問題がありそうだけれど、今はこれしかないだろう。

――絞める。

 白龍さんは白龍さんだ。小さくなっても白龍さん。それなら、アリババさんにあんなことをした落とし前として私が彼を絞めても問題ないですよね? 守るどころか思いっきり危害加えていたのはどこの誰ですかね?
 急に笑顔になって立ちあがった私に不穏な空気を感じ取ったのだろう。アリババさんも慌てて立ちあがって、白龍さんと私の間に立ちふさがった。

「ちょ、ちょっとモルジアナ。お前、なにを」
「もう我慢の限界です。子供だろうとなんだろうととにかく一回ぶん殴らせて下さい」
「駄目に決まってるだろ! 相手は子供だぞ! 子供をお前が殴ったら大怪我だぞ!!」
「子供だからって白龍さんです!! それともなんですか? あの言葉は本意なんですか? 白龍さんの子供を産みたいって本気で言っているんですか!?」
「そこまで言ってない!!! あれはただ子供って可愛いなって」
「子供だからって何でも許されると思ったら間違いです。小さくなって忘れようとも落とし前をつけなかったのがそもそもの間違いだったんです!」
「このちっこい白龍はまだ何もしてないだろ!」
「これからするとしか思えません!」

 というかもうしてます。さっき寝ていた時に思いっきりあなたの胸にすりよっていたんですよ。
 私的には十分あれでアウトですよ。たとえそれが子供が寝ぼけて母親にすりよってしまう本能のようなものだとしても、今の白龍さんには時期的にNGです。私が許しません。

「っ! ……頭を冷やせっ! モルジアナァアアッ!」

 アリババさんの叫び声と共に顎下から脳天に衝撃が突き抜けた。殴られたのだと、一拍置いて理解した。
 彼女が素早く繰り出した右の拳を避けられなかったのは、彼女自身が数年前に比べて強くなったのもそうだけれど、最大の理由は彼女の背に守られた白龍さんに完全に意識が向いていたからだろう。殴られるまで私はアリババさんの拳に気付けなかった。

「へ? あ? ちょ、モルジア……」

 慌てるアリババさんの声を聞きながら、ぐらりと、上体が傾いて、視界が暗転していった。

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