小説 | ナノ


  亡国の王子と帝国の皇子


 亡国の王子の噂は聞いていた。
 無血革命を成し得、その後の内乱を収めたものの、混乱に乗じるように現れた煌帝国の大軍勢の前に疲弊しきったバルバッドは降伏するより他になかった。それでも、一人、煌帝国の前に立ちはだかって国を守ろうとしたバルバッドの王子。その行動は浅はかで、煌帝国最強の将軍と名高い練紅炎が居合わせた不運も重なり、彼は『客人』として煌帝国に囚われることになったときく。

 占領地の国の王族または豪族の人間を『客人』として煌帝国に迎え入れるのは決して珍しいことではなかった。
 過去の有史にもあるように権力者の敗残後の末路は悲惨なものだ。個人の意志は尊重されず全ては勝者の判断にゆだねられる。少なくとも『客人』として迎え入れられるだけでも煌帝国においては良い方だ。少なくとも衣食住と当分の命の保証にはなる。

 そうしたただの『客人』であったなら、俺は興味を引かれなかったかもしれない。けれども、その亡国の王子は金属器使いだった。捕らえた理由が何であれ、事は煌帝国にとって有利に運ぶ。
 少なくとも敵対勢力になりえる金属器使いを労せず一人減らせたのだ。また、煌帝国に取り込むことができれば軍事力の大きな拡大に繋がる。それほどに今の時代、金属器使いは国にとって大きな存在だ。

――一度会ってみたい。

 その話を聞いて俺は思った。
 
 ある人は彼を無謀だというだろう。
 しかし、内乱の中で傷だらけになりながらも、強大な軍勢を前に立ちはだかった彼の姿は、本当に浅はかの一言で切り捨てられるものなのだろうか。その心中にはいかほどの決意があったのだろうか。
 俺が煌帝国の皇子と知られれば、罵られるかもしれない。と思いつつも俺は会ってみたいと思った。



 木々がまだ朝露に濡れている頃だった。朝日に照らされる石畳の広場には、この日は珍しく俺より先に先客がいた。
 目を引いたのは煌帝国ではあまり見かけない中央砂漠辺りの衣服と、こちらもやはりこの国ではあまり見かけない小麦色の髪だ。彼の片手を背に隠し剣を振るう姿は、見たことのない武術の型だった。体の重心を低く保ち、足腰の力を剣に強く伝えるタイプの剣術だろうか。その突きは速く鋭く、そして重そうだ。

――あれは?

 その姿に目を奪われながら、彼の姿の違和感に気づく。見間違いでなければ彼が手にした剣は剣先が大きく欠けている。くわえて、その剣を振るう姿は何かを振り払うように必死にみえた。
 一歩。
 踏み出したのは一歩だけだった。しかし、それで彼は俺に気付いたらしく、手にしていた剣を懐の鞘に即座に収めた。俺をちらりと見た時に、彼の表情に浮かんだのは焦燥だろうか。見てはいけないものだったのか? 一礼して声をかけると、彼は怪訝そうに眉をひそめた。

「すみません。鍛錬を邪魔してしまいましたか」
「……いや。こちらこそ。ここを勝手に使って悪かった」

 そう言うなり、俺の目も見ず広場から出ていこうとする。慌ててその行く手を遮った。

「ここは解放されている広場です。誰が使っても構いませんよ。もっとも、俺より早い時間でここで鍛錬している方を見かけたのは初めてです」
「そう、なのか……。俺、ここに来たばかりであまり詳しくないんだ。教えてくれてありがとう」
「礼を言われるほどのことはしていませんよ」

 俺が苦笑すれば、彼も詰めていた息を吐き出したようだ。ようやく正面から対峙し、琥珀色の瞳が俺を捕らえて瞬いた。
 年は同じくらいに見える。先ほどの練習の様子を見て、思っていたことが思わず口をついて出た。

「よかったら手合わせをしませんか」





 俺と彼との出会いは、名前も互いに語らないものだった。
 彼が手にしていた剣は、俺の見間違いではなくやはり欠けていて、翌日、俺が用意した木刀で手合わせをすることになった。その時に俺達は互いの名を知った。

「俺は白龍といいます。よろしければあなたの名前をお聞かせ願えませんか」
「俺はアリババ。それじゃ手合わせ頼むぜ」

 それからというもの、朝の鍛錬は彼と手合わせをすることが多くなった。

 互いに姓を名乗らなかったのは意図的だったのかもしれない。
 俺は異国の青年に、練の姓を知られたくはなかった。知ってしまえば、彼が俺に対する態度を変えてしまうのではないかと不安に感じて。どうせ、朝の鍛錬で会うだけの仲なのだから、自分としても王族ではなくただの武芸者として彼とは接したかった。

 が、ただの白龍としての時間も、彼もただのアリババとしての時間も、すぐに終わりが来てしまう。
 彼と初めて会ってから数日後、俺達は正式に顔を合わせることになった。






 互いに王族・皇族の人間だとわかって、俺はどう言葉を交わせばいいのか悩んでいた。正式な場では戸惑いながらも、形式上の言葉を交わしていた。鍛錬の時の感情が露わな表情とは違う、感情を見せない落ち着いたアリババ殿の横顔を眺めながら、もしかしたら彼はもうあの場所には来ないのではと、俺は不安を感じていた。バルバッドを統治下におくだけでなく国内を荒廃させた煌帝国の皇族とは顔を合わせたくもないだろう、と。

――彼が、そうだったのか。

 この時期に中央砂漠地方を思わせる衣服の異国の青年。それだけでも気付いてもいいものなのだろうが、思い至らなかったのはその可能性を無意識に考えたくなかったのかもしれない。
 翌朝、日課であることもあり、俺はあの場所に向かっていた。相手がいるかもわからず、手合わせ用の木刀を用意したまま。その用意が無駄にならなかった時の喜びは、言葉にうまく表せない。ただ、久しく感じていなかった感情だった。

「よお」
「おはようございます」

 交わした言葉はいつものもので、彼の佇まいも雰囲気もいつものだった。ただいつの間にか習慣になってしまったことが、今も変わらずあることが俺は嬉しかった。
 バルバッドの王子に聞きたかった言葉はいつの間にかなくなっていた。いや、聞きたいことがなくなった訳じゃない。今は聞く気が起きないだけだ。

「もう、来てくれないかと思ってました」
「なんでだよ」
「俺が練家の人間だからですよ。あなたには煌帝国、ひいては皇族の俺を憎む十分な理由があるでしょう」

 俺が紡いだ言葉はどこか暗く沈んでいるようだった。

――本当に辛いのは俺じゃないのに。

 バルバッドの王子には恨まれて当然だと思っていたのに、友人のように感じていた相手からその感情を向けられるかもしれない、と思うだけでこんなにも心が苦しい。
 敵意を向けられることも考えていた。
 けれども、今の目の前のアリババ殿が浮かべているのは、紛れもない笑顔で戸惑ってしまう。

「白龍が煌帝国の皇族だって知った時はそりゃ驚いたけど、俺はお前を恨まないよ。バルバッドのことだって俺が白龍に何かをされたんじゃないしな。――だから、そんな顔するなよ」

 下唇を強くかんでいる自分がどんな顔をしているしているかなんて、考えたくもない。目元に滲んでいたものを袖で拭って顔を上げた。

「俺にできることがあったら何でも言ってください。不便を強いられるようでしたら、便宜をはかりますから」

 俺の焦りや不安を見透かされて、その不安を和らげるようにアリババ殿は俺を気遣っていて。

――俺には、彼に何ができる?

 悔しかった。彼に遅れを取っている感は否めない。

「んなこといいって! それより、いつものやろうぜ」

 差し出された手はいつもの催促だった。

「――負けませんよ」
「俺だって負けねえよ」

 彼が笑えば、俺もつられて笑った。

 差し出された手に、いつものように木刀を手渡した。





 それから毎日の日課がより楽しみになった気がした。
 彼と会う時間は相変わらず早朝の鍛錬だけだったが、俺達は少しずつ互いのことを話すようになっていった。




 

 カラン。と音を立てて、木刀が石畳の上に落ちた。慌てて俺が手にしていた木棒を引けば、打たれた腹を押さえてアリババ殿が前のめりに膝をつく。

「っ! 大丈夫ですか!?」
「つぅ……。あ。だ、大丈夫だって」

 この日はアリババ殿の調子はどこか悪いようだった。動きが鈍いのも、打ちこんでくる木刀にも力が乗っていなかった。しかし、まさかあの場面でアリババ殿が手にしていた木刀を落とすとは思えなかった。咄嗟のことに力を相殺しきれず、俺の木棒が彼の脇腹を強く打ってしまった。
 
「打ち身でしたらまず冷やしましょう。そこに井戸があるので、上着を脱いで布で――」
「い、いや、いいって! これくらい平気だって!」

 そう言いつつしっかり脇腹を痛そうに押さえているのだから、彼の言葉に説得力はなかった。

「平気じゃないでしょう! 早く処置すれば大事には至りませんから、早く脱いで下さい。恥ずかしがることはないでしょう」

 催促したものの未だ首を横に振るアリババ殿に苛立って、俺は彼が腹を押さえている手を掴んだ。

「患部を見せて下さい」
「白龍!? やめっ!」

 制止の声も聞かず、俺は片手で掴んだ彼の手を引き上げた。抵抗している割に軽く引きあがった手に疑問を感じつつも、残った手で彼の服を巻くしあげた。

「っ!?」

 思わず息をのんだ。そこには確かに痣があった。
 ただし、一つじゃなくて複数。色が比較的赤いのは、先程の木棒の打ち身だろう。けれども、それ以外は――。

「アリババ殿。これ、は?」
「……」

 視線を俺から反らして、彼は黙して答えない。

「……失礼します」
「!? ちょっ! 何を!」

 抵抗する彼の上着を無理矢理はぎ取った。陽の下にさらされたアリババ殿の白い肌。しかし、その体中に残っているのは、打撲の痕他に、鬱血の痕、切り傷なんてものもあった。それらを目の当たりにした俺の心臓がいやなおとをたてている。

――誰がこんなことを。

 強い怒りを感じたのは久しぶりだった。紛れもなくこれは暴力と、……凌辱の後だ。それも、一度のものじゃない。新しい傷も古い傷もある。気まずそうに顔を歪め視線をそらしたままのアリババ殿を前に、俺は詰めた息を吐き出した。

「待遇の改善を義兄上に進言します。……どう見ても、これは合意のもとに行われたとは思えない」

 視線を反らしていたアリババ殿が驚いたように、顔を上げた。

「やめてくれ! そんなこと俺は白龍に頼んじゃいない!」
「どうしてですか! 俺じゃあなたの力になれないと言いたいんですか!」
「……気持ちは嬉しいけど、白龍には迷惑をかけたくないんだ」

――どうしてアリババ殿は俺を頼ってくれないんだ。
 
「互いの身分が分かった時、言ったではないですか! 俺に出来ることがあるなら何でも言って下さいって。今がその時じゃないんですか!?」

――ここはあなたの国じゃない。誰にも助けは求められないでしょう? どうして近くにいる俺を頼ってくれないんですか?

 思わず口をついて出てしまいそうな言葉をこらえて、アリババ殿の様子を窺った。頷いて欲しかった。けれども、俺の希望に反して彼は小さくかぶりを振って、痛みをこらえながらも笑った。

「こんな体の傷なんか2、3日すりゃ消えるんだ。気にすることねーよ」
「しかし……っ!」
「いいから! この話はこれで終わりだ。それと、このことは誰にも、言わないでくれ」

 強く言われれば押し黙ってしまう自分が悔しかった。
 俺には彼を守れるほどの力も立ち場もない。

 占領国の客人の扱いは、統括している将軍の管轄――紅炎義兄上の管轄だ。アリババ殿が置かれている状況を探ろうにも、金属器使いという獲物を自分の陣営に横取りしようしていると勘ぐられる可能性もある。
 冷静になれば、自分にできることなどほとんどないのだ。

「……まずは、俺が作ってしまった打ち身を冷やしましょう」

 それから、他の傷の手当ても。
 結局、俺が彼にできることといったらそれくらいしかなかったのだから。




「……俺が、シンドリアに留学ですか?」
「皇帝陛下と我が国に来訪したシンドバッド王との会談で決まったそうよ。かねてよりのあなた個人の希望もあった。と聞いているのですが、どうしたのですか? 浮かない顔をしていますよ」
「い、いえ……。俺自身、シンドリアを一度訪れてみたいと思っていました」

――使命の為にもかの国の王には助力を請うつもりだった。

 その上、今はシンドリアにマギがいるとも聞いている。アルサーメンの手の届いていないマギに出会う機会を逃す手はない。

「そうよかった。正式な話はまた陛下からお話があるでしょう。あなたにとって実りある留学になると良いですね」
「……はい。姉上」

 俺は迷う訳にはいかない。
 出会って間もない友人と、幼少より抱えてきた使命。
 どちらを優先させるかなんて、問う前より答えはわかりきっていることだ。

 それなのに、さっきから頭の中にはアリババ殿のことがちらついている。傷ついている彼を前に、俺は何も出来なかった。今も、俺の知らない所で彼の体に傷が増えているのかと思うと、落ち着いて物事を考えることなどできそうにもない。

――こんなことでどうする! 俺は使命を果たさないといけないんだ。

 後ろ髪を引かれるような感情を振り払うように俺はかぶりを振った。

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