小説 | ナノ


  ゆめとうつつと2


 腰が抜けてた体も、寝起きにちょっと休めば歩く分には支障はなかった。
 着替えも済ませて、昼食も食べて、俺はいつでも出発できるのだが――。
 ため息が漏れた。今朝からため息をついてばっかだ。

『わかったよ。罰を与えれば――』

 ああは言ったものの、俺にモルジアナを罰するつもりはない。それが良く伝わっているのか、モルジアナは俺の言葉に不満そうだった。ご飯運んでもらったり、美味しい甘味が食べたいとか我がままを言ってみたりしているものの、モルジアナの態度は朝から変わることはない。今は、旅の必需品の買い物を頼んで外に出かけさせている。今晩もここに宿をとることに決めたから、遅くても夕方に彼は帰ってくるだろう。

――このままじゃ今晩にでも、一緒に行けないとか切りだされそうだ。

 見るからにモルジアナは思いつめていた。俺の傍にいる時も必要以上に言葉をかわそうとしない。こっちが笑顔を向けても、いつも以上に無表情で――辛そうだった。その顔を見ればそれだけで彼は十分罰を受けているんじゃないかって、俺は思ってしまう。

「はぁ……」

 何度目ともしれないため息がまた漏れた。
 本当にどうすればいいんだろう。
 霧の団にいた時、ザイナブやハッサンなど恋中の人間が喧嘩しては仲直りする様は何度か見てきた。でも、俺は――俺達は恋中ですらないし、互いが互いのことをそうゆう意味でどう思っているのかも知らない。知らないから、どうしたらいいのかもわからないし、言葉を交わすのにも臆病になってしまっている。

――辛くても、ちゃんと話し合いをしなきゃいけないんじゃないか?

 こんな時だからこそ、しっかりと互いの思いを。
 話せば分かり合える距離にいるのに、話し合うこともできず手遅れになるのだけはどうしても嫌だった。同じ失敗は繰り返したくない。

 コンコン。

 思考を遮るように扉が叩かれた。

――戻ってくるには早いな。財布でも忘れたのかな?

「モルジアナ? 随分早い……」

 帰りだな。と続けることはできなかった。俺が扉を開ける前に、その扉が乱暴に音を立てて開いた。反射的に胸元の剣を引き抜き、侵入者へと刃を向けた。

「よぉ、アリババクン?」
「――アモン!」

 宝剣が炎を纏い収束して黒い刃へと変わった。武器化魔装だけでも先に進めておく。いつでも斬りかかれるように。

「ジュダル……。何の用だ」
「昨晩のプレゼント。気にいってもらえたかが、気になってな」

 胸元から向こうも杖を取り出して、あざ笑いながらこちらと対峙する。

――昨晩のプレゼント?

 その言葉の意味は、一拍置いてすぐに理解した。つまり、昨日モルジアナが俺を襲ってきたのも全て――。

「……あれは、お前が仕組んだのか」
「いつもと違う夜を迎えられて、愉しかったろ?」
「貴様っ!」

 ジュダルが口元を歪めるのを認めて、反射的に足を踏み込んでいた。
 許せなかった。どれだけこいつが仕組んだことでモルジアナが苦しんでいるのかも知らずに、笑っているこいつが。
 剣先が迷わずに狙ったジュダルの首元に届く前に、それが視界から消える。

「っと、危ねえな」
「っかは」

 からんと音を立てて、剣が手から離れて床に落ちた。鳩尾に受けた強い衝撃に息が止まる。身体を九の字に折り曲がり、立っていられず床に俺は膝をついた。

「睡眠もろくにとれてねー体で俺に勝てるとでも思ってんの? 今のアリババクンには魔法を使うまでもねえよ」

 悔しいがジュダルの言う通りだった。剣がいつもより重かったことに気付かず振るってしまった。相手の出方を見ずに懐に飛び込んでしまった。どちらも、冷静に状況を見極められていなかったからだった。
 せめて、と落とした剣に伸ばした手は、上から容赦なく踏みつけられた。痛みに顔が歪む。手を踏みつけていない方の足で宝剣は蹴られ、部屋の隅へと転がっていった。

「うぁっ」
「なぁ。そんなに信頼していた奴に無理矢理犯されたのが悔しいのか? それとも処女を奪われたのがそこまで嫌だったとか? 痛くて辛そうだったもんなぁ、お前」

 音を立てて笑われれば、見られていたのだと、羞恥と屈辱に頭に血が上った。何も出来ずとも見上げて俺はジュダルを睨みつけた。
 端正なジュダルの顔には無邪気すぎるほどの笑みが浮かんでいる。こいつはやっぱり気が狂ってやがる。

「ファナリスの野郎も良い思いできたんだから、感謝してもらいたいくらいだぜ」
「っジュダル! 黙れっ! 黙れぇえええっ!」

 俺のことはどうでもよかった。なんと罵られても耐えられる。けれども、モルジアナのことを侮辱されるのは許せなかった。

――感謝だって? ふざけんなよっ!

 体を起き上がらせようと全身に力を込めれば、不意に踏みつけられていた手が解放されて体が簡単に起き上がった。

「サルグ」

 目の前に浮かべられた無数の鋭い氷の塊。息を呑むのと、それが鋭く迫ってくるのは同じだった。
 壁に叩きつけられる以上の痛みはなかった。体を傷つけないように意図されたのか、服に刺さり、壁に縫いとめられる。ゆっくりと、ジュダルが俺に向かって歩いてくる。

「ふーん。……悪くねえかもな」
「なんの、ことだ」
「今度は俺と遊ぼうぜ。昨日より良い声で鳴かせてやるよ」

 ジュダルのひんやりとした手が顎にかけられ、無理やり上を向かせられる。紅い瞳と正面から睨みあった。
 その紅いまなざしは品定めでもするように俺を上から下までじろじろと見ていて、気持ち悪かった。

「ふ、ざけんな……っ」

 俺の言葉も解さないように、つまらない目でこちらを見ると、顎を掴んでいた手がそのまま首にかかった。息を絞り取るように力がかけられる。

「気持ち良くしてやるってんだから素直に喜べよ。ここだと途中で邪魔が入りそうだから――」

 何かを言っているのはわかっていたが、もう何を言っているのかはわからなかった。
 苦しくて視界が白く染まっていく。

 プツリと、意識が途切れた。





――どうして、あんなことをしてしまったんだ。

 何をしても考えは結局そこに行きつく。酷い後悔と共に。
 覚えてはいない、と私はアリババさんに答えたものの、何をやってしまったのかは容易に想像ができていた。
 夢が現実になってしまった。夢の中に押しとどめていたかった思いと共に。

 いっそのこと懺悔と共に、この思いも口にするか迷った。
 しかし、仮にアリババさんのことを愛していると告白した所で、己の行動はその表現方法の中でも最悪のものだった。手首を縛ってまで無理矢理の行為に及ぶなど、思いのとげ方としても人間としても最低最悪の行動だ。言い訳などできようものもない。
 どうやって彼女に償えばよいのかもわからない。償えるものなのかもわからない。
 シーツに残っていた赤い染みは、つまりはそうゆうことなのだから。

『なかったことにしよう』

 罰だとアリババさんが言ったことも、普段の生活の延長線以上の意味を持つものはなかった。彼女に私を罰するつもりなどないことは明白だった。
 アリババさんの言った通り、彼女は何事もなかったように振舞っていてそれが一番辛かった。罵倒されても恨まれても仕方のないことをしたというのに、私に対しアリババさんが恨み事一つ言ってくれないことが、申し訳なさ過ぎて私は心苦しかった。

 私に買いだしを彼女が頼んだのも、私を気遣ってのことだろう。
 そう思うとまた申し訳なさが胸から湧いてくる。買い出しの量がいつもより多いのは、私に一人の時間を与えてくれたということだ。昨晩のこと、これからのこと、……アリババさんのことに、私が一人で考える時間を。

――私は、アリババさんを守ることができればそれだけで良かったのに。

 もはやアリババさんと一緒にいる資格など自分に残されていないのではないか。
 一緒に戦う資格も残っていないのではないか。

 様々なことを考えた結果、行きついたのはそこだった。
 けれども、と思う。

 けれども、そうなってしまえば、私は私が暗黒大陸からここに戻ってきた理由を全て失ってしまう。
 アルサーメンと戦うことなど口実にすぎなくて、アリババさんを護りたいというのが、私がここに戻ってきたことの理由全てだったことに、皮肉にも私は気付かされてしまった。

 顔を上げれば、空が僅かに赤く染まり始めていた。
 買いだしと、私が思考を巡らせている間に日が暮れようとしていた。宿に戻らないと、と思ったが足が重い。
 連泊でとっている部屋は昨晩の部屋と同じだった。

 昨晩のことにも、これからのことにも答えなんてまだ出せていないけれど、せめて、私だけでも今晩は別の宿を取ることを提案しよう。
 そう思って、思い足を引きずって宿への帰路を急いだ。





「アリババさん。遅くなってすいません。只今戻りました」

 少なくともここを出ていく前よりかは、言葉は流暢に流れているらしい。そんなこと思いながら、返事を待ったが何も返事は返ってこなかった。

「……アリババさん?」

 静寂を不審に思い眉をひそめながら、扉を押せば何の抵抗もなく扉は開いた。
 薄暗く、明かりのついていない部屋には誰もいなかった。

――アリババさんはどこかに出かけたのかな。

 と、部屋を見回して、その隅に転がっている物を見つけて一瞬息の仕方を忘れた。

 抜き身のままのアリババの剣だ。

 急速に感覚が研ぎ澄まされ、何かの焦げたにおいと、アリババさん以外の人間の匂いが部屋に残っていることに気付いた。その匂いが、あろうことか昨日の昼に戦った相手であることに、血の気が引いていく。

――襲われたんだ。アリババさんが。

 壁に残ったいくつもの小さな穴と、その下に滴っている水たまりが目に入る。

――どうして私は離れてしまったんだっ!

 ジュダルと交戦したのは、昨日の昼のことだ。少なくとも自分達の近くに敵がいることはわかっていたのに、昨晩のことで完全に失念していた。その上、その昨晩のことで明らかにアリババさんは弱っている。
 部屋に剣が落ちているとなると、逃げ切れたとも考えにくかった。

 剣を拾い、布でくるんで、腕に抱えた。

――早く追って助けないと。

 焦燥に掻き立てられ、私は夕暮れの街へと駆け出していった。





 「……う」

 まぶたをゆっくりと開いて、まず目にしたのは白い天井だった。首を横に動かせば薄暗い部屋の小さな小窓が見える。
 空の色は少し赤みがかっていた。
 体を動かそうとして、頭上で手が固定され動かせないことに俺は気付いた。引っ張ればそれはジャラリと音を立てる。鎖の音だ。
 意識がハッキリして行くに従って、状況が俺にも呑み込めてきた。記憶を失う前のやりとりも、思い出した。

「っ! ……くそっ!」

 動かない手の鎖を何とか外そうと俺はもがいた。拘束されているのは手だけだった。他にこの部屋には誰もいない。つまり今の内に外すしかない。手首がどんなに痛もうと気にする余裕なんて俺にはなかった。

――早く逃げねぇと! 逃げないと俺はっ!

 ガチャリと部屋に一つしかない扉が音を立てて開けられた。
 最悪を想像して、体が震えそうになる。

「お。目、覚めたな?」

 愉しそうに上がった声に、体が震えた。間に合わなかった。それでも、俺は鎖を引きちぎろうとする手を止めなかった。ジュダルに目を向けず、力任せに腕を引いた。

「おいおい。そんなことしたら、手が痛むだろ」

 気遣うような言葉を吐きながらも、視界にとらえたジュダルの口元には歪んだ笑みが浮かべられている。鎖が鳴らす音の合間に、コトリと近くの棚に何かが置かれる音がした。
 そして、暴れる俺の手を押さえこむように、上からジュダルの手がかかる。ベッドが二人分の体重を受けてきしんだ。

「今更、逃げられるとでも思ってんの?」
「っ離せ!」
「離せって言われて離すバカがいる訳ねーじゃん。でも、安心しな? 手首の拘束は外さねーけど、鎖の方は外してやるからよ」
「?」

――どうゆう意味だ?

 ジュダルの言わんとすることがわからず、不審に思ってジュダルの表情を見上げた。

「条件が同じじゃねえと面白くねえからな」

 即座に足で蹴飛ばそうとすれば、上から体重をかけて押さえこまれた。言いたいことは嫌というほど十分にわかった。昨日の晩と同じ――ということだろう。

「ふっざけんな! 何が同じだ! 人をコケにするのもいい加減にしろよ!」
「こんなもん遊び、だろ? ゲームは条件が一緒じゃねえとつまんねえじゃん」

 手首を押さえていた手が滑って、俺のあごにかけられた。口の中に指を潜り込ますようにして、無理やり口を開かせられる。その目の前で瓶が傾けられた。

「かといって、条件が全く同じじゃお前もつまんねーだろ」
「ん――――――っ!?」

 ぬるりとした高度数の酒のような液体。それが固定された俺の口の中に入ってきた。
 それが入った途端、今度は口を閉じさせられる。鼻もつままれた。

「アリババクンはさ。痛いのよりも、キモチイイ方が嫌だろ? 俺なんかに犯されて気持ち良くなったりしたら自分のことが許せなくなるタイプだよな? ま、折角だし、連れの野郎と俺とでどっちがイイか試してみようぜ」

 遊ばれているのだと、否応なしに理解してしまう。
 飲んでは駄目だとわかっているのに、喉が息苦しさにコクリとそれを飲み込んだ。
 視界に涙があふれていく。口を押さえていたジュダルの手がゆっくりと離された。

「煙とかでもいーんだけどよ、それだと俺も吸っちまうしな」

 手首がまた押さえられ、上の方で手枷に繋がれていた鎖が外されたらしい。カチャリと音がした。
 押さえられているせいで手を動かすことは相変わらず叶わないが。

「何を……飲ませた……?」

 度数の高いアルコールを飲んだ時と同じように、身体の奥が火照ってくる。違うのは、下半身だった。下が熱く濡れ始めたのを感じて、悔しさから視界が滲んでいく。

――嫌だ。いやだいやだいやだ!

 ジュダルの答えを聞かずともどんな類のものかはわかってしまった。

「……もうわかってんじゃねえの?」

 首筋を触れられて、俺の意思とは関係なく身体がビクリとはねた。






 服に手がかけられ脱がされていく。肌の上を滑る手の感触が嫌でしかたがないのに、甘い痺れが体中に走っていく。薬のせいだとはわかっていても俺は声だけは上げたくなかった。いいようにされて感じている声なんて。下唇を噛んで、必死に俺は声を押さえた。

「感じてんだろ。声、押さえんなよ」
「……っ」

 体が震えているのはジュダルもわかっていることだ。声を押さえることだって、向こうから見たら抵抗にもなっていないんだろう。だからといって、従順になるのかと言われれば、それは嫌だった。

「は。昨日は大分がっつかれたんだな」

 紅い瞳が首から下を見て哂う。

「ここと」

 衣服をはぎとりながら、指がなぞっていく。のこされた跡を。

「ここと、ここと、ここにも、なぁ。っくく。なんだよ、その目。本当はアリババクンも楽しんでいたんだろ?」

 衣服がはぎとられ、空気の冷たさに身がすくむ。それなのに、身体は熱くて仕方がなくて、俺の意識もその熱に持って行かれそうになる。身体の熱さと、肌に触れられるだけで走る快楽に、意識は朦朧になりそうになる。

「ああ、そうだ」
――何、を?

 思い出したようにジュダルが呟いて、俺を押さえていた手が不意に離れた。

「こっちにもキモチヨクなれるまじないをしとかねえとな」

 どろりと冷たい液体が、腹の下に垂らされた。冷たい感触に息をのんだ。液体は肌に触れたそばからあぶるような熱をもたらしていく。
 肌に落ちたそれをジュダルの手がすくい、さらに下へ、奥へと塗り込んでいく。

「ィアっ! ア――――ッ!」

 奥まった所に手が塗り込んだ瞬間、一瞬俺の頭が真っ白になった。元々、薬を飲まされてから刺激を待ち望んでいたように熱くなっていた場所だった。触れられ、指が潜り込み、奥の内壁を擦る度に、身体がビクビクと痙攣した。そこに液体が塗りたくられ、さらにあぶるような熱を帯びていく。触れるだけで快楽に身体が震えてしまう。
 俺の反応に気を良くしたのか、ジュダルは奥へ潜り込ませる指を増やして、内側をことさらにいじった。一度開いてしまった口はもう閉じることはできない。






「……モル、ジアナ……」

 どうしてかこんな時だって言うのに、脳裏に浮かんだのは、夕焼けに照らされた大地のような赤さをまとった青年だった。彼と十分な言葉を交わせなかったことが、どうしようもなく、哀しかった。

――ごめん、ごめん。モルジアナ。

 どうして彼に謝るのか、何を謝っているのか。胸中で呟いている自分でもわからなかった。

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