小説 | ナノ


  かごをこわすひと4


 月影になっている所から、砦の石造りの壁を駆けあがる。

 街で集めた情報は、いくつかの点に絞られた。
一つ、あの砦は煌帝国の防衛前線の変更により、砦としての機能を使われなくなってから久しいとのこと。煌の兵士は必要最低限程度で、砦の中は主に煌の役人の居住区として使われているだけになっているらしい。兵士が少ないのはありがたかった。それに居住区なら、下手を打つことさえしなければ戦うことにはならないだろう。

 それよりも重要な情報が二つあった。
一つは、煌帝国の神官がこの砦をよく訪れていること。
そしてもう一つは、煌帝国第四皇子が少し前からここを拠点として活動しているということ。だった。

 金属器がここにあるなら、ジュダルが知らないはずもない。それに、白龍さんがここを拠点にした時期は、ちょうど私が眷属器を使えなくなったことに気付いた時期とほぼ一致していた。白龍さんが何も知らない、ということは考えられない。素直に事情を話して彼から協力が得られるとは思えなかった。

 集めた情報の通り守衛の数は少ないようだ。
砦の入り口に見張りが一人、塀の内側を巡回する見回りは二人一組で、二組いるだけだ。
塀の内側にある茂みに身を隠し、私は見回りが通り過ぎるのを待った。見えなくなってから、魔法の石を取り出し、金属器を探そうと思っていた。

――……? アリババさん?

 風に乗って僅かだけれど運ばれてきた匂い。お香の甘ったるい匂いにほとんど掻き消されていたけれど、一度嗅いだら忘れることのできない匂いが確かに混じっていた。
見回りが遠くに行ったのを待って、私は匂いの元へと静かに移動していった。


 覗きこんだ部屋の中で、何が行われているのか。
 夜目が利いていて、よく見えているはずなのに、私には最初理解ができなかった。

――アリ、ババ……さん?

 思わず中に入りそうになった足は、声と、ベッドのきしむ音に止められる。

「……も、無理……。……う、あ、あぁ」

 掠れているけれど、間違いなくアリババさんの声で。

「まだいけるだろ」

 揶揄するように笑っている声は、聞き覚えのある煌帝国のマギのもので。

「俺はまだ足りないですよ」
「……っん――――っ!」

 白龍さんの声と、アリババさんの悲鳴が聞こえて。
 私は窓から視線を離して後ずさった。それ以上、見ていたくなかった。



――こんなことをする人だとは思わなかった。

 漏れそうになる怒りを抑えて、建物の影に隠れ気配を消した。見回りが近くを巡回している。見つかって騒ぎを大きくされたら、金属器使いがいるここから脱出することは難しくなる。その上、ここには堕転したマギもいる。

――今の私には眷属器が使えない。だから、慎重に、慎重に、行動しないと。

 すぐにでも助け出したい。今すぐ壁を壊して助け出したい。でも、それをすれば騒ぎが大きくなって、本当にここから逃げ出すことが難しくなる。本当に彼を思うなら、私はここで我慢しないといけない。
 そう言い聞かせて拳を握った。悲鳴のような嬌声が続く間ずっと。



 何もかもが終わってその部屋から離れたところまで人の気配が過ぎ去ったのを確認してから、私はその部屋に恐る恐る足を踏み入れた。空は夜明け前になっていた。
シーツは取り替えられたのか、乱れた様子も汚れた様子も残されていない。そのベッドの上に、静かに横たわっているのが探していたあの人だとわかると泣き出したくなった。

――泣いたらダメだわ。

 今は少しでも時間が惜しかった。

「アリババさん、アリババさん」

 小声で呼びながら頬を軽くたたいた。うっすらと彼が目を開ける。

「アリババさん!」

 目を覚ましてくれたことにほっとして、彼の体を起こそうと肩に手を伸ばした。その手が触れたところで腕の中の彼が突然暴れ出した。同時に、ジャラリと耳障りな音が響く。その音に反射的に目をやれば、かけられた布からのぞく彼の足に忌まわしい鎖が伸びていることに気づいてしまった。

「ぁ、あああ、い、いやだっ!!!」

 薄暗いし私の顔もわからないのだろう。自分に手をかけているのが誰なのか。
 彼がここに閉じこめられて何をされてきたのか。怯え震えているだけで、それ以上の言葉はいらなかった。

「アリババさん、私です! モルジアナです!」

 暴れる彼を私の力で押さえ込むことは簡単だ。でも、そうすれば彼の恐怖に拍車をかけてしまう。とっさに私は彼を抱きしめていた。

「アリババさんっ! 落ち着いてください、助けに来たんです……っ」

 抱きしめていると腕の中で震えが次第におさまっていくのを感じた。震えが止まったのを感じてゆっくりと身を離せば、アリババが驚いたように私を見ていた。彼の目には涙が溜まっていて、昨晩何度も泣いたせいで、目の周りは腫れぼったくなっていた。

「……落ち着きましたか?」

 安心させるように笑顔を浮かべたつもりだけれど、うまく笑えている自信はない。沈黙が、一瞬なのか長い時間なのかわからなかった。それほどに、彼が私を見てくれるのが嬉しくて、彼を今まで助けられなかったことが悲しくて、私の胸には感情が溢れていた。

「モル……ジアナ?」

 かすれた声で呼ばれて、私は頷いた。
 感情が抜け落ちた呆然とした顔で、アリババさんは目を瞬かせた。

「本当に、モルジアナなのか……?」
「そうです。助けに来たんです。――遅くなってすみませんでした」

 どうしてアリババさんがこんな目に遭っているんだろう。
 どうして私はもっと早く助けにこれなかったんだろう。

 言いたいことも聞きたいことも山ほどある。でも、今はその言葉を紡いでいる時間は無い。

 

 足元に散らばっているのは、私が足で砕いたアリババさんをこの部屋に縛っていた鎖だ。
 まだ意識がはっきりとしていないのか、アリババさんはベッドに腰をかけたままその砕かれた鎖をぼんやりと眺めていた。

「逃げましょう。アリババさん」

 有無言わさず私はアリババさんを抱きかかえた。

――あなたはここにいるべきじゃない。

 抱き上げた体が以前よりもずっと軽くなっていることに、ぞっとした。彼はいつからここにいたんだろう。いつから――あんなことをされていたんだろう。
 聞くのが怖かった。聞いてはいけない気がした。
 ただ腕の中の彼を強く抱きしめた。

「……悪い。俺、こんな……」
「もう、大丈夫ですから」

 それ以上何も言えなかった。アリババさんも何も言わなかった。
 何かを言って慰めないとと思うのに、良い言葉が浮かばず続かない。

――早くここを出て――。

 彼らの手の届かないところへ行って、それから――。

「モルジアナ」

 私の思考を遮るように、腕の中のアリババさんが名前を呼んだ。その声はとてもか細くて小さくて、聞いただけで私が泣き出しそうになってしまう。

「どうかしましたか?」
「……俺、どうしたら、良かったんだろうな。どうしたら、白龍、と、ジュダルを……助け、られたのかな」

 最後の言葉はほとんど消えかかっていた。けれども震えながらも確かにアリババさんはそう言った。

――どうしてこの人は。

 溢れそうになる感情の代わりに彼をしっかりと抱きかかえて、私は部屋から飛び出した。






 誰もいなくなった部屋。
 床に残る壊された鎖と、それを壊した際にできたであろう、床のひび割れ。

 捕まえていたとりに逃げられたというのに、なぜか俺の胸には安堵があった。

 いつからだろう。
 彼を抱いたのは些細なキッカケだったはずだ。
 彼が自分以外に穢されたと知って、その時に生まれた感情のままに自分も彼を抱いていた。
 それが誤りなら一度きりで止めれば良かった。
 けれども、止められなかった。

 それから幾度となく彼を抱いていて、それが当たり前のようになって。

 自分の何かがすでに壊れていたのだと、今更のように空っぽになった部屋を前に俺は気付かされた。





 昼間を選んだのは自分でも軽率だとわかっている。
 一刻も早くアリババさんの金属器を取り戻したいということが理由の一つ。けれども、もう一つの理由の方が昼間を選んだ意味合いは強い。煌帝国のマギが明け方にここを去ったのはわかっている。残っているのは彼だけだ。
 その彼に、私はどうしても確かめたかった。『何故』を。それが、もう一つの理由だ。

 昨晩と同じ経路で砦に侵入し、魔法の光が導く先へと駆けていく。
 その先には、まるで私が来ることを知っていたように、アリババさんの剣を手にしている白龍さんが立っていた。

「……言いたいことは沢山ありますけど、今は一つです。アリババさんの金属器を返してください」
「やはり、モルジアナ殿でしたか」

 私が来るのを知っていたように、動じることなく白龍さんは私と対峙した。その様子が、シンドリアで目にしていた柔らかな雰囲気をまとったままの彼とあまりにも変わらなくて、私は手を強く握りしめた。
 優しい彼と変わらなく見えるからこそ、昨晩見たことが信じられない。彼がアリババさんにしていたことが、本当にあったことだなんて信じたくない。けれども、私のファナリスとしての嗅覚や視覚は確かにあそこにいたのが白龍さんだったと認識している。
 彼がアリババさんを傷つけ続けてきたのだと直感で私は感じている。彼だって、そうだ。アリババさんの金属器を手にしている時点で、自分の罪を認めているようなもの。彼を目の前にしてやるせない憤りが私の胸を焼いていた。

「あなたが……あんなことをする人だとは思いませんでしたっ!」
「……あなたがアリババ殿を連れ出してくれて良かった。もう俺自身じゃ……、どうにもなりませんでしたから」

 疲れたように言って、白龍さんは手にしていた剣を私に差し出した。
 あまりにもあっさりと受け渡されたそれを、私は彼の意図がわからず困惑した。ここに侵入する時間を昼間に選んだのだから戦わないと手にいれられないと、私は覚悟してきていた。
 改めて白龍さんを冷静に見れば、彼から戦う意志は感じない。彼の武器である槍も、今の彼は手にしていない。敵意を持っている私に対して、その姿はあまりにも無防備だった。まるで断罪を求める受刑者のように。

「どうして、ですか? どうして、アリババさんを?」

 私にはどうして白龍さんがアリババさんを閉じ込めたのかがわからない。
 鎖でつないで、夜の行為を強いていたのかがわからない。
 私達は悲しい別れ方をしたけれど、確かに共に戦った仲間だったはず。決して、捻じれた関係ではなかったはずなのに。

「俺にも、わからないんです」

 横に首を振る彼は、困ったように笑っていた。

「何かが間違って始まって、その過ちを途中で正せば良かったのに俺はそうしなかった。その過ちの居心地の良さに、依存してしまった。そのまま彼を傷つけ続けた。――アリババ殿は、俺を恨んでますか?」
「……心配していましたよ。白龍さんのことを」

 静かに伝えれば、白龍さんの眉尻が下がった。困ったような笑顔はそのままで。

「一番辛い思いをしているのは、あの人なのにっ! それなのに、アリババさんはどうしたらあなた達を助けられたのか、って、言って……っ! アリババさんはあなたを恨んでなんかいません!」

 震えながらも言った言葉を、そのまま私はぶつけていた。

「本当に、馬鹿な人だ」

 ぽつりと、落とされた言葉に顔を上げた。聞き捨てならない言葉に、反射的に白龍さんに掴みかかりそうになってその手を止めた。その表情に止められた。

「本当に、馬鹿な人ですよ。自由を奪われて、犯されて、傷つけられたのに、恨まないなんて。本当に残酷な人だ。それなのに、俺は……。あの人が愛しくてたまらない。愛してしまった」

 白龍さんは泣いてはいない。けれども、泣いているような気がした。涙が枯れてしまって、もう泣けなくなった人のように。

「憎んで欲しい。恨んで欲しかったのに。それなのに、何をしてもアリババ殿は俺に憎しみの眼差しを向けてくれなかった。それが、どれだけ残酷なことか。あなたならわかるでしょう。モルジアナ殿」

 そう言う彼はとても苦しそうだった。
 わかる、ような気がした。恨まれた方が楽な時が、人にはある。たとえば、許されることを、許される人が自分自身を許せない時。自分の罪を償う為に、罰を欲する時。それでも、罰せられず憎まれず。そんな扱いを受けることは、責任感が強い人ほど心に痛みを感じてしまう。今の白龍さんがそうなのかもしれない。

 彼は自分の犯した罪を理解していた。
 その罪による罰を受けることも厭わないのだろう。

 侵入者に対し、無防備に、しかも、武器を手渡しているのだから。
 彼は私に断罪を求めているのかもしれない。
 でも、もし白龍さんに罪を問うことができる人がいるのだとしたら、それは私じゃない。

「きっと」

 彼は連れていけない。けれども、何も残さず去ることはできなかった。

「きっとアリババさんはあなたに会いに来ます。だから、もし白龍さんが悔いているなら、ちゃんと待っていて下さい。――あなたのままで」

 これが私にできる精一杯だった。言葉だけを残して、私は彼を置いて行く。
 こんがらがってしまった糸はアリババさんにしかほどくことはできないのだろう。

 受け取ったバルバッドの宝剣を強く握りしめて、私はアリババさんの元に駆け出した。白龍さんの返事は聞かなかった。きっと、白龍さんならアリババさんが来るまで待っていてくれると、思ったから。
 丘の上にある幾重の塀に囲まれた砦を、はるか後ろになってから振り返った。そして、ふと私は思った。外見は強固な守りで固められているように見えるのに、その反面危ういほど内側はもろいのではないかと。





 ここに来た時に抱いていた怒りはいつの間にか消えていて、今はただ泣き出しそうな友人をここに一人置いていかなければならないことが、私は辛かった。

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