ご褒美(一織視点)

「明後日のスケジュール確認させて!」
 三十分前そう言って一織の部屋にやってきた陸は今、ラグの上でごろごろしながらご機嫌に鼻歌を歌っている。スケジュール確認などとうに終えて、雑誌をめくりながら彼が歌っているのは自分たちが子供のころ流行った曲だ。
 懐かしさと耳ざわりのいい歌声に、デスクで学校の課題に向かっていた一織は思わずペンを止め背後を振り返った。するとそれに気付いたのか、陸が顔をあげてこちらを見る。
「一織、勉強終わったの?」
「……終わりませんよ」
 誰かさんのおかげでね、と胸の内で付け足すと、陸はまるでそれが聞こえたかのように眉を下げた。
「もしかして、オレ邪魔してる?」
 珍しく察しがいいと思ったが、そうとは言えない。一織はふいと顔を背けた。
「別に……そんなことはありませんけど」
「邪魔じゃない?」
「……ええ」
 明らかに邪魔をされているのにこんな返事をしてしまう自分が情けない。
『邪魔なので今すぐ出て行ってください』
 少し前の自分なら言えたはずのそれが口にできないのは、彼との関係が以前とは変わったせいだ。
 恋人同士になってからというもの、つい彼を甘やかしてしまう。これではいけないと思うのに、陸を前にするとどうしても強く出られないのだ。
 内心ため息を吐く一織の気持ちなど知る由もなく、陸は「よかった!」と嬉しそうに微笑んだ。
「じゃあ終わったら言ってな!待ってるから!」
 終わるまでここにいるつもりなのかこの人は。
 これでは永遠に終わらないと眉を寄せながら、一織は彼に訊ねた。
「終わったらご褒美でもあるんですか?」
「えっ……」
 深い意味などなかった。
 何の気もなしに訊ねた一織の問いに、陸はかあっと頬を赤らめる。どうしてここで赤くなるんだと思いつつ、つられて顔が熱くなった。
「……っ」
 もしかしたら自分は、とんでもないことを言ってしまったのではないか。
 今更それに気付き、一織は慌てて陸に背を向けた。そうして再び課題に取り掛かるふりをすると、遅れて陸の声が降ってくる。
「ご褒美、欲しいの?」
 ご褒美っていったいなんですか!?
 自分から言い出したことなのに叫びだしたい気持ちになって、一織はぎゅっとペンを握った。何も答えられずにいると、背後の陸がふっと笑う。
「……いいよ、あげる」
 だから早く、終わらせて。
 いつもと少し違う、甘えるようなその声にどきりとした。
 そんな声を聞かされてしまっては、ますます手が止まってしまうのに。
 思わず振り返ると、照れくさそうにはにかむ彼と目が合った。
 ――甘やかな光を宿したその視線に、またひとつ鼓動が跳ねたのは一瞬。
「がんばって!」
 すぐにいつもと同じ、無邪気な顔で微笑む陸にふっと頬が緩んだ。
 ……本当にもう、この人は。
 一織は「はい」と微笑んで、再び彼に背を向けた。
 弾むように、囁くように。
 少しだけトーンをおさえた優しい歌声が聞こえてくる。
 それに耳をすませながら、一織は早く課題を終わらせるべく、ノートにペンを走らせた。

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