なんでもないよ

「……さん、七瀬さん」
「……ん……」
 すぐ側から、優しい声がする。
 うとうとしていたオレは、ぼんやりした頭で瞼を上げた。
「起きてください、そろそろ出番ですよ」
 目の前には、オレを見下ろす一織の顔がある。
 うん?
 なんで一織の顔が、真上にあるんだろう?
 次の瞬間、その膝に頭を乗せていた事に気付いたオレは、目を見開きばっと体を起こした。
「いっ、一織……!?」
 どきん!と心臓が大きく飛び跳ねる。瞬く間に顔が赤くなるのが自分でもわかった。一織はなんでもないような、ううん、少し呆れたいつもの顔でオレを見てる。
「目が覚めましたか」
「あ……オレ、いつの間に寝てた……!?」
「ほんの三十分ほどです。兄さん達のメイクが終わったので、間もなく私たちの番ですよ」
 オレたちIDOLiSH7は今日、TRIGGERやRe:valeと一緒にコラボの仕事で撮影スタジオに来ていた。
 それぞれゲームのキャラクターに扮するので、メイクや着替えもいつもより時間がかかる。順番が来るまで待つように言われて、オレは一織と控室に来た。このスタジオの控室は畳の小上がりになっていて、座ってあったかいお茶を飲んでいたらほのぼのした気分になって、思わずうとうとしちゃったんだ。それで……。
「ご、ごめん……! 寝るつもりなんてなかったのに」
「夜更かしするからですよ。だから早く寝るようにと言ったでしょう」
「はい……ごめんなさい」
 昨夜は環と二人、一織の部屋で遅くまでゲームをしてた。今回自分が演じるキャラクターのことを、撮影前に出来るだけたくさん知っておきたかったんだ。
 いつの間にか寝ちゃってたみたいで、朝目が覚めたら自分のベッドにいたんだけど。(環が運んでくれたらしい)
「大丈夫ですか?」
 一織にそう聞かれて、オレは「ん?」と隣を見た。するとまっすぐこっちを見てる一織と目が合う。またひとつ、どきん!と心臓が跳ねた。
「な、なにが?」
「寝不足なんでしょう? つらくないですか」
「あ……ううん、大丈夫! ちょっとだけ寝たらスッキリした! てか、一織こそあんま寝てないんじゃない? それなのにあの……ごめんな、重くなかった?」
「私は普段から自己管理できているので平気です」
 かわいくない返事。でも一織らしくてふふっと笑うと、一織もふわっと笑う。その笑顔にオレはまたどきっとして、慌てて一織から目を逸らした。
 ……そういう顔、反則だ。
 誰にも言えない。特に一織には絶対に言えないけど、オレは一織のことが好きだった。
 可愛げがなくて生意気で、口うるさくて年下のくせに偉そうで、でも本当は凄く優しくて、誰よりもオレのことを大切にしてくれる一織のことを、オレはいつの間にか好きになってた。
 友達とも、仲間とも違う。
 もっと特別な、くすぐったい気持ち。
 でもそんなことは口が裂けても言えない。一織はオレを大切な仲間だって思ってくれてる。誰よりもオレを認めてくれてる人だから。
 この気持ちは、絶対に一織には知られちゃいけない。それがわかってるから、オレはときどき、どうしたらいいかわからなくなる。
 一織のことが好きだよ。
 その顔も、声も、生意気でちょっと意地悪なところも全部、まるごと全部好きだ。
 でもこれは、オレだけの秘密。
 ずっと隠していかなきゃいけない気持ち。
 ……そのとき、俯いていたオレのほっぺたに一織の手が触れた。
 びくっとして顔を上げると、一織のまっすぐな瞳がオレを見つめている。どきん!と心臓が飛び跳ねた。
「いっ、一織……!?」
 え? なに? なんだ!?
 オレはびっくりして目の前の一織を見つめ返した。
 一織の手は、オレの頬を優しく撫でるみたいにすべって、それから額に伸びた。
 少しだけ冷たい、一織の手のひら。ひんやり感じて気持ちいいけど、でも今はそれどころじゃない。
 こんなに近くで一織がオレを見てる。
 意識したら、心臓はばくばくして顔は赤くなって、でも目を逸らすことは出来なくて、オレはどうしていいかわからなくなって固まった。
 好き。好きだよ。大好き。
 そんな気持ちが、一気に溢れだしそうになる。
 ダメだってわかってるのに。
 でも本当は、今すぐ言っちゃいたい。
 一織のことが好きだよ、大好き。どうしようもないくらい、好きなんだって。
「熱はありませんね」
 少しの間を置いて一織が言った。
「え……」
「顔が赤いです。体調、大丈夫ですか?」
「……っ、だ、大丈夫! なんでもないよ! メイク室行こう!」
 オレは焦って立ち上がった。でも慌てたせいで、足元がふらつく。
 わ!と声をあげてよろめいたオレの体を、一織の両腕がぎゅっと掴んだ。
「……っ!」
「危ないでしょう! 転んだらどうするんです!」
 怒ってるけど、どこかほっとしたような一織の声。
 すぐ耳元で聞こえたその声に、オレの体は全身が心臓になったみたいにびくんと跳ねた。
 だってオレ今、一織に後ろから抱きしめられてる。
 わかってる。一織は転びそうになったオレを助けようとしただけ。たまたまそういう姿勢になっただけだってわかってるのに、でもこんなの、落ち着いてなんかいられなかった。
「ごっ、ごめん! ありがとうな!」
 あははと誤魔化し笑いをしながら、オレは慌てて一織から離れた。もう一秒だって、一織とふたりきりじゃいられないと思ったんだ。
 早くこの部屋を出たい。その一心で足早に出口に向かったオレの腕を、再び一織の手が掴んだ。
「七瀬さん!」
「わっ…! な、なに……!?」
 びくっとして後ろを振り向く。呆れ顔の一織がそこにいた。
「裸足で外に出るつもりですか?」
「えっ?」
「靴。履いてませんよ」
 一織の言葉に目を見張る。それからオレは、はっとして自分の足元を見た。慌てたせいで、靴を履くのを忘れてたんだ。
「あっ!」
「まったく……。しっかりしてください」
「う……、はい……」
 一織は心底呆れた顔だ。オレのおかしな様子なんて、少しも気にしてないって顔。
 よかった……。
 ほっとしたけど、胸にはずきんと痛みが走った。
 オレ、このまま隠していけるのかな。
 今すぐにでも、一織に全部言っちゃいたい気分なのに。
 ……もし。
 もしも、だけど。オレが好きだよって言ったら、一織はなんて言うかな。
 多分、びっくりするだろうな。
 それから困った顔をして、ごめんなさいって言うのかも。「私はそんな風にあなたを見ることはできません」とか……あ、言いそう。めちゃくちゃ言いそうだ。想像しただけで泣きたい気持ちになってくる。
 でももし……もし、一織もオレと同じ気持ちだったら……。
「なんですか」
 無言で見つめていたら、視線に気付いたのか一織がこっちを見る。その一瞬重なった視線に、甘い感情がぶわっと吹き出して、オレはなんでか泣いちゃいそうになった。
「七瀬さん?」
 優しい視線。
 優しい声。
 ……やっぱりオレ、一織のことが好きだ。
 こんな気持ちを隠したまま、隣にいるのはずるいってわかってるけど、でも。
 オレは一織から目を逸らし、なんでもないよと返事をした。

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