帰り道

 4月中旬だというのに、肌寒く風の強い日だった。
 例年より遅く咲いた桜の花弁が、風に乗ってはらはらと舞っている。近所の桜はもうほとんど葉桜になっているから、どこからか風で飛ばされてきたのだろう。
「一織!」
 学校からの帰り道、駅から寮までの道を足早に歩いていた一織は、ふいに名前を呼ばれぴたりと足を止めた。背後を振り返ると、数歩後ろに陸が立っている。思いがけない姿に、一織は驚いて目を丸くした。
「七瀬さん……!」
 パーカーにジーンズというラフな服装に身を包んだ陸は、足を止めた一織の元に満面の笑みを浮かべて駆け寄ってきた。手に下げているのは、近くのコンビニの買い物袋だ。いったい何を買ってきたのだか、大きな袋からはカチャカチャと瓶がぶつかりあうような音がする。
「おかえり!」
 目の前までやって来た陸は、にこやかな笑顔でそう告げた。
 本人は気付いていないのだろう、頭の上には、桜の花弁が数枚乗っている。
 何だか微笑ましくて、一織はふっと笑いながら「ただいま帰りました」と返した。
 陸がくすぐったく笑うと、また風が吹いて頭の花弁を連れ去っていく。あ、と一織は少しだけ、残念に思った。
「あれ、一人? 環は?」
「四葉さんは朝からMEZZO゛の仕事ですよ」
「そうだったんだ。じゃあ一織、今日は学校寂しかったな……」
 慰めるように言われ、反射的に眉間に皺が寄る。一織は短く息を吐き、返事をした。
「よくある事ですし、別に寂しくないです。七瀬さんはお買い物ですか?」
「うん。昨日発売の雑誌、買ってきたんだ! オレたちも載ってるやつ!」
 自分たちが載っている雑誌なら、わざわざ買わなくても事務所に届いているだろうと思ったが、一織はすぐにああ、と理解した。陸が手に下げたビニール袋から透けて見える雑誌の表紙が、彼が敬愛する双子の兄、TRIGGERの九条天だったからだ。
 個人的に欲しかったのだろう。まったく、相変わらずのブラコンである。
「見た感じ、雑誌だけではなさそうですけど……、七瀬さん、あなたまたコンビニで無駄遣いしてきたんじゃないですか」
 一織の指摘に、陸は一瞬うっと口ごもる。けれどすぐに、「無駄遣いじゃないし!」と反論した。
「牛乳が残り少なかったから、一緒に買ってきたんだよ。それと王様プリンの新作も出てたから、みんなで食べようと思って。塩キャラメルソースだって! 美味しそうだろ」
 なるほど、さっきからカチャカチャ音を立てているのは瓶入りの王様プリンだったのか。
 それが無駄遣いだというんです、という言葉が喉元まで出かかったが、一織はそれを寸でで飲み込んだ。
 王様プリンの新作を見かけたら、自分も全員分買ってしまったかもしれないと思ったのだ。
 ――まったく、環の影響たるや、である。
「そういうときはラビチャして下さい。帰り道ですし、私が買ってきますから」
「いいんだよ。オレ今日一日オフだったから、外に出たかったんだ。それにこの時間なら、帰ってくる一織に会えるかもって、ちょっと期待してた」
「は……」
 思いがけない言葉に目を見張ると、陸はこちらの顔をまっすぐのぞき込んでくる。甘やかな光を宿す真っ赤な瞳と真正面から視線が絡み、どきんと鼓動が跳ねた。
「会えたね」
 嬉しそうに言って、陸はえへへと微笑む。
 そんな顔を見せられたら、つられて頬が緩んでしまいそうになる。一織は慌てて顔を引き締め、きゅっと唇を結んだ。
 ……なんなんだ、なんなんですか、この人は!
「帰ろ!」
 そう言ってこちらを見つめる陸に、胸が甘く疼く。一織は「はい」と答え、すっと右手を陸に差し出した。
 寮はもうすぐそこだが、重そうな荷物を持ってやろうと思ったのだ。
 陸は少しだけ驚いた顔をしたが、すぐにふわりと微笑んだ。そして一織の差し出した右手を左手で握り返し、照れくさそうに小さくはにかむ。一織は大きく目を見張った。

(…………は?!?!?!)

 自分は手を繋ぎたかったわけではない。荷物を持ってやろうとしただけだ。それなのに。
「っ、七瀬さ……」
「帰ったら、一緒にプリン食べような」
 一織の言葉を遮って、陸は嬉しそうにそう告げる。それと同時に繋いだ手をきゅっと握られ、一織は再び言葉を失った。
 まだ明るい時間だ。こんな場所で手を繋ぐなんて、もし誰かに見られたらどう言い訳するつもりなのか。
 そう思ったが、しっかりと繋いだ手は温かく、振りほどくことができない。
 幾分優しい風が吹いて、また桜の花弁が飛んできた。
 はらはらと舞うそれは、陸の前髪に着地する。一織はそれを見つめ、ゆるゆると息を吐いた。
 寮まではあと五分の距離。早足なら三分だ。
 それなら……誰に告げるでもなく、心の中で言い訳をする。
 繋いだ手にそっと力を込めると、その瞬間、陸があ、と呟いてこちらを見た。
 照れくさくて、見つめ返すことは出来ない。
 一織は陸の視線から逃げるように、ふい、とそっぽを向き、「行きますよ!」と彼の手を引き足早に歩き出した。

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