なんでもない日 陸視点

 いきなり真冬になったみたいに、昨日東京に雪が降った。
 雪はすぐ溶けてなくなったけど、今日も昨日に負けないくらい寒い。
 今日は丸一日オフだけど、こんな日に出歩いて体調を崩すわけにはいかないと、オレは寮で大人しく過ごしていた。
 午前中は壮五さんと一緒に洗濯をして、お昼は三月と一緒にシチューを作って、午後は大和さんとソファに寝転がって、テレビを見ながらのんびり昼寝をした。こんなふうにゆっくりした時間を過ごすのは、すごく久しぶりだ。
 今日は金曜日だけど、なんだか日曜日みたい。
 そう言ったら、大和さんも「あー、わかるわ。毎日日曜だったらいいのにな」って笑ってた。
 そしてオレは、たったいま昼寝から起きたところ。
 時刻はいつの間にか午後五時を過ぎていて、外は暗く、他のみんなはいなくなっていた。
『おはよう陸くん。収録に行ってきます。帰りは夜遅くなると思うから、先に休んでいるよう、みんなに伝えてください。壮五』
 壮五さんのきちっとした字で書かれたメモがテーブルに置かれている。
 そうだ、三人は今日、夕方から番組収録があったんだ。
 ナギと環は雑誌の撮影で朝から留守にしている。一織はオレと同じで一日オフだけど、まだ学校から帰っていないみたいだった。
「……ふぁ」
 小さなあくびが、誰もいないリビングに響いた。
 ひとりきりの寮はがらんとしているけど、暖房が十分にきいた中、オレの肩にはブランケットがかけられているし、いつもの場所より近くに置かれた加湿器がしゅうしゅう音をたてている。三人の優しさを感じて、心はぽかぽかあったかくなった。
 でもやっぱり、ひとりは寂しい。
 オレはソファに寝転がったまま、一織にラビチャを送った。
『一織、学校終わった? 何時頃帰る?』
 じっと見ていると、すぐに既読がついて返事がきた。
『お疲れ様です。あと十分ほどで帰寮します。』
 10分!?もうすぐだ!
 オレは急いで起き上がり、ブランケットを肩にひっかけたままキッチンに向かった。外は寒いだろうから、一織にあったかい飲み物を作ってあげようと思ったんだ。
 いつものお礼にホットミルクを作ろうとして、やっぱりやめてココアにした。ホットミルクは、一織が作ってくれる方がおいしいに決まってるから。
 返事にあった通り、10分ほどして寮の玄関が開く音がした。
 ココアが完成するより早い。オレは慌ててコンロを強火にし、玄関に向かった。
「おかえり一織!」
 廊下に出て声をかけると、一織は「ただいま戻りました」と言いながら、オレを見てふっと笑った。
「どうかした?」
「いえ。羽織られているものがマントのように見えたので」
「あ、これ?」
 肩にひっかけたままだったブランケットは、言われてみればマントみたいだ。オレは調子に乗ってくるりと一回転してみせた。
「へへ、格好いい?」
「ああ、はい。そうですね、格好いいです」
 全然格好いいなんて思ってない顔で一織が言う。
 オレは少しむっとしたけど、すぐに気を取り直して一織の前に進んだ。
「外、寒かった?」
「それほどでもありませんよ。まだ11月ですし」
 一織はそう言うけど、気づいてないのかな?耳も鼻も赤くなってるのに。
 思わずじっと見つめると、「なんですか」とけげんな表情がかえってきた。いつもより迫力がないのは、鼻の頭が赤いせいだ。
 オレはさらに一歩前に出て、手を伸ばし赤くなった一織の両耳をつかんだ。
 するとその瞬間、一織は声にならない声をあげてうしろに飛びのく。大げさなくらいのその反応に、正直こっちがびっくりした。
 知らなかった……一織ってくすぐったがりだけど、耳もだめなんだ。覚えておこう。
「なっ……、いきなりなにするんですか!」
「やっぱ寒かったんじゃん。赤くなってるし、冷たいよ」
「あなたの手が熱いだけでしょう!」
「え、そう?」
 言われて自分のほっぺたに両手を当ててみたけど、そんなに熱いとは感じなかった。
 オレの目の前で、一織は怒ったような、困ったような顔になる。それに……。
「一織、顔赤くない? もしかして風邪?」
「違います!」
「違うの?」
「誰のせいですか!」
 うん?オレのせい?……なんで?
 わからなくて首をかしげると、一織はきゅっと唇を結んで、それから手に提げていたものを無言で差し出した。
「なに?」
 聞きながら受け取ったそれは、コンビニの紙袋だった。手に持つと、ほんのりあったかい。甘いにおいがする。
「……あなた前に、食べてみたいと仰っていたでしょう」
「えっ」
 もしかしてと思って袋を開けると、中身は思った通り、キャラクターものの中華まんだった。少し前に発売になった期間限定のもので、オレはずっと食べてみたかったんだけど、タイミングが悪くていつも買えなかったんだ。
 でも発売になったのは一か月以上前だ。正直オレだって忘れてたのに、一織は覚えててくれたんだ。そう思ったら、すごくうれしくなった。
「うわあ……! ありがとう一織!」
 お礼を言うと、一織はまだ少し赤い顔で「どういたしまして」と答える。オレはもう一度袋の中を覗いて、ふふ、と笑った。
「思ったよりかわいくないね。へんなかお」
「コンビニのクオリティですからね。……レジで見たときは、もう少しましな顔でしたけど」
 一緒に袋の中を覗いて一織が言う。
 湯気でぺしゃってしちゃったのかな?ちょっとだけ残念だけど、でもやっぱり、すごく嬉しい。
「一織、一緒に食べようよ。オレね、一織にココア作って……あっ!」
 その瞬間はっとした。ココアを温めていた鍋を、火にかけたままだったことを思いだしたんだ。
 やばい!!
 オレは一織をその場に残して、慌ててキッチンに舞い戻った。
 ココアは鍋の中でぶくぶくと沸騰していた。慌てて火を止めたけど、焦げた匂いがキッチンに充満している。鍋のふちが茶色くなっているのは、ココアの色じゃないことくらい、確かめなくても明らかだった。
「七瀬さんあなた……」
 オレに続いてキッチンに入ってきた一織が、あきれた声で呟く。
 うっ、また叱られる……。
 そう思ったけど、続いた声は優しかった。
「どいてください」
「一織……」
 オレと場所を交代して鍋の中を見た一織は、それから小さく眉を寄せた。
「勿体ないですが、これは作り直すしかないですね」
「ごめん……! 強火にしたの忘れてた……。牛乳もそれで使い切っちゃったから、もう作れない……」
 牛乳を強火にかけたままその場を離れるバカがいますかとか、だからあなたは注意力が足りないんですとか、いつもの小言を覚悟して、オレはうつむいた。
 どうしていつもこうなっちゃうんだろう。
 そう思いながら、手に提げたままの紙袋を見つめる。一織の優しさが詰まったもの。
 オレだって、一織のためにしてあげたかったのに……。
「七瀬さん」
 呼ばれて思わずびくっとする。ゆっくり顔をあげると、一織は優しい目でオレを見ていて、その目を見た瞬間、どきっと心臓が跳ねた。
「でしたら、紅茶を入れていただけますか」
「え……」
「その中身、チョコクリームだそうですよ。甘い飲み物より、すっきりした飲み物のほうが合っているでしょう」
 なんでもないことみたいに言って、一織は焦げ付いた鍋を流しに戻した。そうして手際よく水にさらしながら、答えを求めるみたいにこっちを見る。
 ぽかんとしていたオレは、そこでようやくはっとした。
「わ……わかった! 世界一おいしい紅茶いれるな!」
 意気込んで答えると、一織はそんなオレを見て小さく笑う。
 それだけで、今の今まで沈んでいた心がふわっと浮き上がっていくのがわかるから。
 オレはくすぐったく笑って、世界一おいしい紅茶のために世界一のお湯をわかそうと、一織の隣にぴったり並んだ。
 

→Iori side

prev / top / next
- ナノ -